WOWOWで放送されていたので、たぶん30年ぶりくらいに見ました、『刑事ジョン・ブック/目撃者』。

それにしても、いやぁ、撮影がジョン・シール(『レインマン』が好き!)で音楽がモーリス・ジャルとか知らなかった。監督のピーター・ウィアーはさすがに知ってたけど。『いまを生きる』とか変な映画も作っている人ですな。

しかし、この『刑事ジョン・ブック/目撃者』は、実に美しい映画です。面白いかどうかと問われると即答できないけれど、美しいかと訊かれたらその通りと即答できます。(以下ネタバレあります)



『刑事ジョン・ブック/目撃者』(1985、アメリカ)
原案:ウィリアム・ケリー、アール・W・ウォレス&パメラ・ウォレス
脚本:ウィリアム・ケリー&アール・W・ウォレス
監督:ピーター・ウィアー
出演:ハリソン・フォード、ケリー・マクギリス、ルーカス・ハース、アレクサンダー・ゴドノフ、ダニー・グローバー


物語のあらまし
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水道もガスも電気もない、近代以前と同じ自給自足の生活をしているアーミッシュの村の母子(ケリー・マクギリスとルーカス・ハース)が親戚を訪ねるために汽車に乗る。ターミナル駅で乗り換えの列車を待つ間に男の子がトイレで警官殺しを目撃してしまう。彼が目撃した犯人は麻薬課の優秀な刑事ダニー・グローバーで、4年前に大掛かりな手入れで押収した麻薬を警察の押収記録に記録せず、売人に横流ししてぼろ儲けしていた。担当刑事のハリソン・フォードはその事実を上司の本部長に伝えるが、その帰りにダニー・グローバーに襲撃され、腹を撃たれる。本部長もグルだった。ハリソン・フォードはこのままでは母子が危ないと彼らの村まで車で送り届けるが、そこで力尽きる。傷が完全に癒えるまでアーミッシュの村で生活することになった刑事と、母子や周囲の人々との交流が描かれるなか、汚職刑事たちは彼らを殺しにやってくる……。

何のことはない。お話だけ取り出せば、「殺人現場を目撃した親子を守る刑事」というどこにでもある内容です。

しかし、この映画は格調高い。そして美しい。その美しさに分け入る前に、物語に隠されたテーマについて書きましょう。


「掟」をめぐる物語
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しかし「物語に隠されたテーマ」というのは語弊がありますね。少しも隠されてないから。

この映画は「反則」じゃないかと言いたくなるくらいテーマを語ってしまっています。それもセリフで。いいのかな、とハラハラしました。

ケリー・マクギリスはハリソン・フォードと恋仲になる。旦那とは死別しているため不倫ではないものの、都会からやってきたよそ者、つまりアーミッシュではない者とそういう仲になれば、ハリソン・フォードが改宗して村に残るか、あるいは、ケリー・マクギリスが村を出るか、どちらかしかありません。「私を抱ける?」と上半身裸で彼を挑発したケリー・マクギリスに対し、ハリソンは情けなさそうに目を伏せ、逃げるように去っていった。

村の内/外の境界はかなり厳しく峻別されています。拳銃をもった野蛮なよそ者を村に入れたという、ただそれだけで日本でいうところの村八分にされそうだと、ケリー・マクギリスの義父は言う。掟を守れ、と。ケリーは気丈に「恥を知りなさい」と返します。


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そのシーンと対比して描かれるのは、ハリソンの同僚刑事が本部長から尋問を受けるシーンです。

「警察には掟がある。掟を守らなければ組織は瓦解する」

本部長はハリソンがひそんでいる村を言わせようとする。

しかし、本部長の言う「掟」は本当の掟ではありません。何しろ彼は汚職刑事の元締めなのですから。掟といっても犯罪組織の掟にすぎない。そんなものをハリソンの唯一の仲間である同僚刑事が守るはずもない。で、彼は殺されます。

生れて初めて聴いた讃美歌以外の音楽に思わず体が動いてしまい、ハリソンとダンスしそうになったケリーに、義父は「恥を知れ」と言うのですが、ケリーは旧来の慣習に縛られている義父に「あなたこそ」と堂々と言い放つ。

体が自然と動くといえば、喧嘩が禁止されているアーミッシュを小馬鹿にするチンピラが出てきますが、ハリソンは自然に体が動いて彼らを血祭りにしてしまう。

刑事の掟とは、本来そういうもののはずです。悪い奴は絶対に許さない。違法か適法かなどより、まず悪人に対して体が動くか否かが問題でしょう。ケリー・マクギリスは自然に体が動いて踊ろうとしたのだから、それを否定するほうが間違っている、と彼女は言っている。

刑事の掟と汚職刑事の掟。
頭でっかちなアーミッシュの掟と、人間としての心と体の自然な動き。

本部長も警察官なのだから、かつては悪い奴は絶対許さない、とハリソンのような青臭いときがあったのです。だから「本部長、あんた道を見失ったな」と電話でハリソンに言われ(30年前の土曜洋画劇場では「道」ではなく「理想」と訳されてましたが)大団円では「みんな殺すのか! この子もか! もういいかげんにしろ!」と怒鳴られた本部長はいとも簡単に降伏します。

あれはアーミッシュの非暴力の思想が暴力に勝ったとかではなく、彼の中にほんの少しだけ残っていた「掟」(ハリソン流にいえば「道」)に従う気持ちがそうさせたのです。


映画『刑事ジョン・ブック/目撃者』の「掟」とは何か
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物語の意味としての「掟」は上記のとおりですが、ここからは、この映画で、プロデューサーや監督、そして脚本家チームが自らに課した「掟」の話です。

この映画を格調高く、美しい映画にしているのは、物語そのものではなく、「物語編集」、つまり「脚本」です。

アレクサンダー・ゴドノフ演じる、ケリー・マクギリスに恋慕している青年は、陰ではハリソンのことを悪く言ってるような気がしますが、そういう場面は一切描かれません。

新婚夫婦のためにみんなで納屋を立てるシーンでも、「あなたとよそ者のことをみんなが噂してるわよ」とケリーが言われるシーンがありますが、実際に噂をしている場面は一切描かれません。確かに義父がケリーに「村八分にされるかもしれない」「村の者たちが何と言っているか知っているか」などの言葉は描かれますが、ハリソンやケリーのいないところでの暴力的な言葉はまったく描かれません。

それは、メインプロットである本部長たちにおいてもそうです。彼とダニー・グローバーがグルなのは明白ですが、ついに最後まで本部長とダニー・グローバーが言葉を交わす場面は描かれません。つまり、具体的にどのような汚職をしているのかは直截には描かれない。売人たちにどういうふうに麻薬を横流ししたり、儲けた金を山分けして馬鹿笑いに興じるなどという、普通なら描かれる場面が一切ない。もちろん、ハリソンの同僚刑事が殺されるシーンも描かれません。セリフで説明されるだけです。

この『刑事ジョン・ブック/目撃者』では、暴力を描かない、主役たちに直接ふりかかる暴力だけ描く、それも最小限に! という「掟」が、脚本を書くうえで、また、脚本を最終的に完成させる「編集」の段階で徹底されたと思われます。

この映画が当時のアカデミー賞で脚本賞と編集賞を受賞しているのはとても象徴的です。

最近の映画は、特にアメリカ映画は何でも見せてしまうから白けることが多い。CGが発達してからは見せなくていいものまで見せてしまうようになりました。

「脚本は何を書くかではなく、何を書かないかだ」

ある高名な脚本家の言葉です。

自らに厳しい「掟」を課した映画を見たい。そのようなストイックな映画こそが映画の未来を切り拓くと愚直に信じています。


蛇足(アレクサンダー・ゴドノフとヴィゴ・モーテンセン)
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アレクサンダー・ゴドノフはこの映画の3年後に出た『ダイ・ハード』の悪役が印象深かったですが、95年にまだ40代半ばの若さで亡くなりました。

そして今回仰天しました。何とヴィゴ・モーテンセンが出ていたのです!(画像の真ん中の人) この映画の6年後、ショーン・ペンの監督デビュー作『インディアン・ランナー』で注目されるんですよね。

もしアレクサンダー・ゴドノフが早死にしてなければ、彼が『ロード・オブ・ザ・リング』や『グリーンブック』に出ていたのかなぁ。それも見てみたかった。ヴィゴ・モーテンセンも大好きだけど。などと夢想したのでありました。


刑事ジョン・ブック/目撃者 (字幕版)
パティ・ルポーン
2013-06-15



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