田素弘先生の『紛争でしたら八田まで』第7巻の「シンガポール編」がこれまた実に興味深かった。

よく内田樹先生が「自民党政権は日本をシンガポール化しようとしている。確かに経済発展はしたがあの国は独裁国家だ」と書いてるので、独裁国家だということは知ってましたが、「明るい北朝鮮」の異名を取っているなんて知らなかった。

さて、地政学リスク・コンサルタントの八田百合が「明るい北朝鮮」でどのような活躍をするのでしょうか。


シンガポールってどんな国?
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マレーシアのマレー半島とインドネシアのスマトラ島に挟まれたマラッカ海峡に面したとても小さな国。面積は東京23区より大きい程度。
人口は570万。中華系76%、マレー系15%、インド系7.5%。
公用語は英語、中国語(広東語? 福建省や広東省から渡ってきた華人が多いとか)、マレー語、タミール語。
1965年にマレーシアから独立して誕生。国民一人当たりGDPが世界第2位の経済大国。表向きは民主主義国家だが、実際は与党・人民行動党がほぼ全議席を独占する独裁国家。豊かさと管理社会の両面から「明るい北朝鮮」と呼ばれる。

独裁国家とはいっても一応、自由選挙が行われているらしい。

「管理社会」を維持するためにとても厳しい法律がある。ごみのポイ捨て、鳥に餌をやる、大道芸、地面に唾を吐く、トイレの水を流し忘れる、すべて罰金の対象とか。ヒャー、マジっすか。鳥に餌をやるのもダメ? トイレで水を流し忘れるのもダメ? 信じられん。しかし、おかげで「世界一きれいな国」だとか。うーん、いくらきれいでもそんな国には住みたくないニャ。

しかしながら、シンガポール国民は経済発展の恩恵が続くかぎり、ある程度の制約や不自由を受け容れているとか。ふうん、そういう国もあるのか。というか、日本も少しずつシンガポールみたいになってきてますよね。明るい北朝鮮? いやだいやだ!


八田百合への依頼
そんな素敵な国シンガポールで八田百合が受けた依頼とは?

シンガポールでイムランという同じ里親に育てられたアイシャというマレー系の女性が八田と同じくエリートコースから外れて現在は劇作家になっており、政府系企業がスポンサーについて大々的に新作を上演しようとしていたら、政府が介入して突如公演中止の憂き目に。アイシャのために公演を成功させるのが今回の使命。政府担当者は何と里親のイムラン。かつての父親をどうやって説得するか。(はて、八田は生まれたとき何人で、いま現在はどこの国籍なんでしょう? かつてシンガポール人だったことは確かですが。ややこしい!)


鞭打ち刑事件
アイシャの台本でシンガポール政府が問題視しているのは、1993年に起こった鞭打ち刑事件。

外国人集団が道路標識や車を破壊して検挙された。なかでも罪が重いとされた18歳のアメリカ人に、約23万円の罰金と4か月の禁固刑、そして鞭打ちが言い渡された。

アメリカは鞭打ちなど拷問に等しいと激しく抗議して反シンガポールキャンペーンを開始。西欧をはじめ国際世論はそれに同調し、シンガポールは野蛮な国だと非難した。

小国シンガポールにとって国際社会との良好な関係は命綱なのだが、建国の偉人で初代首相のリー・クアンユーはまったくぶれず、「重罪には厳罰」と秩序の維持を最優先した。つまり、西欧諸国を敵に回しても管理社会を捨てないことが国益として勝ると判断したということですね。そして、欧米にしっぽを振らず自国の価値観を貫いたこの決断にシンガポール国民は誇りをもっているとか。なるほど、リー・クアンユーの決断は正解だったということですな。

アイシャの台本では、この鞭打ち事件を告発したり非難したりはもちろんしていない。そんなことしたら絶対上演できない。だが、アメリカに留学し、アメリカの人権意識を植えつけられたアイシャが書いた台本には、主人公の鞭打ち事件へのフラットな反応が描かれていて、政府はそこに引っかかっているのだろうと八田は推理する。みなが誇りをもっている事件に対するフラットで冷ややかな主人公をシンガポール国民はどう見るか。

しかも、アイシャの芝居はマレーシアやインドネシアにネット配信されることになっており、フェイクニュース禁止法(何がフェイクかは政府が決める。日本の特定秘密保護法も「何が秘密かは秘密」というけったいなものです)がある以上、どんな理由をつけてでも上演禁止にすることは可能。


シンガポールの地政学
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元シンガポール人・八田百合は、シンガポール特有の地政学を説明します。

シンガポールには兵役がある。18歳以上の男性を対象に2年の兵役。それだけならまだしも、その後、予備役として年間最大40日間の訓練が40歳まで続く。当然、兵役中は仕事を休まねばならない。経済発展が国是の国で何とも非効率なことが行われている。

さらに国防費はGDP比で3.2%(日本は0.9%)。ASEANのなかでも突出している。

でも、それも当然だと八田は言います。桁外れにサイズの違う大国マレーシアとインドネシアに挟まれ、しかもマラッカ海峡という要衝に位置するシンガポールは、常に大国からの脅威にさらされている。実際、国土に保水能力がないため水はほぼすべてマレーシアから買っている。その価格で諍いが絶えない。それだけでも戦争の原因になりうる。

常に「戦前」であるシンガポールでは、自由ゆえに起こりうる国民の分断も内乱も受け入れる余地がない。なるほど、「明るい北朝鮮」にはワケがある、ということですな。

アイシャの芝居は、国民が分断する可能性を孕んでいると判断されたため公演中止となったのでした。


八田の解決
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八田の解決はいたって簡単。

・鞭打ち刑事件は削除しない。その代わり、政府が気に入る視点も追記する。エリートコースを外れ劇作家の道を選んだアイシャだが、いまだにシンガポール人である彼女には充分可能。

・フェイクニュース禁止法に触れないよう配信を中止する。その代わり、シンガポール国内だけでなく、マレーシア、インドネシアでも公演する。この三国の緊密な関係がシンガポールにとってもマレーシアやインドネシアにとっても重要。

・さらに主演俳優をアイシャにする。劇作家も主演俳優もマレー系となればマレーシアで受ける。水も食料もマレーシアに依存している以上、マレーシアのご機嫌を取るのがシンガポールの地理的宿命。

・さらに、初代首相リー・クアンユーの「我々は物質的には貧困を克服した。しかし、芸術や文化などが第一世界と同等になるにはもう一世代の努力が必要になる」との言葉を紹介し、「文化振興は国家間の関係を深める合理的な安全保障になるはずです」とトドメの一撃でイムランの説得に成功。


なるほど、うまい解決の仕方だなぁと感心したものの、結局、損得勘定じゃないですか。そりゃ国と国との関係の話だから「国益」というものが大きいファクターなのはわかるけど、損か得かばかり言っていたから、ロシアのウクライナへの暴虐が起こってしまったんじゃないの? とは前回の「ウクライナ編」の感想で述べた通りです。


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