『ロボコップ』(1987、アメリカ)
脚本:エドワード・ニューマイヤー&マイケル・マイナー
監督:ポール・バーホーベン
出演:ピーター・ウェラー、ナンシー・アレン、ダニエル・オハーリヒー、ロニー・コックス、カートウッド・スミス、ミゲル・ファーラー
(以下ネタバレあります)

オムニ社の社長に「名前は?」と問われた主人公は、微笑みとともに「マーフィだ」と答えて幕を閉じ、そこで初めてメインタイトル『ROBOCOP』と出ます。本編が終了してからメインタイトルが出る走りの作品だと思いますが、今回再見してみて、この最後の『ROBOCOP』が「本当のロボコップは誰か」と観客に問いかけている気がしました。
物語の背景
近未来のデトロイト。オムニ社の社長は旧市街地に「デルタ・シティ」という新しい街を建設する野望を抱いています。が、犯罪の多発がそれを邪魔している。いくら儲かる街を作っても人が来なければ繁栄しない。だから犯罪を減らさなければならないのに警察は腑抜けばかりでどうにもならないと憤る。
そこでデトロイト市と交渉した結果、警察の経営権を入手します。オムニ社が警察の親会社となります。警察の民営化です。
この映画が作られた80年代は、あのロナルド・レーガンが大統領だった時代です。ソ連との軍拡競争で軍事費は増大し、いわゆる「双子の赤字」にまみれていました。レーガンは少し前にイギリス首相となったサッチャーに倣って「小さな政府」を提唱。規制緩和を進め、民間企業に任せられるものはどんどん民営化していきました。「新自由主義」の始まりですね。
『ロボコップ』ではこの時代背景が如実に反映されています。警察の民営化というありえない事態の発生とともに、軍事衛星が誤爆して元大統領二人を含む100人以上ものアメリカ人が殺されたという笑えないニュース。あれはレーガンの戦略防衛構想、通称「スターウォーズ計画」への痛烈な皮肉ですね。
『ロボコップ』はだからレーガン批判、新自由主義批判を土台としています。
しかしそれはあくまでも土台、背景としてであって、それがこの映画の本質ではありません。本質は「本当のロボコップとは誰か」です。
『ロボコップ』の悪人たち

この映画には悪人が数人出てきますが、代表的なのはオムニ社の専務ジョーンズと彼と結託している犯罪組織のボス、クラレンスです。
このジョーンズがどうも妙です。ロボコップ開発の立役者のボブにトイレで中傷されたとき、彼は言います。
「社長はいいお年寄りだ。立派な人だ。だが先は見えてる。俺がナンバー2だ」
ED209というロボット警官で恥をさらし捲土重来を狙っているのはわかりますが、彼ほどの野心家が「ナンバー2」を目指しているというのは解せない。社長を蹴落として自分が社長になりたいタイプに見えますが……?
ジョーンズに逆恨みされて殺されるボブ副社長にしても、彼は悪人ではなくただの野心家で、コンピュータ・プラグラムにも精通した優秀な科学者なだけですが、彼もナンバー2になったところで満足してしまっている。
これはなぜでしょうか?
警察官の大量ストライキ
2004年にプロ野球史上初のストライキが結構されたとき、「夜回り先生」ともてはやされた人が、中日や阪神の監督として鳴らした星野仙一さんにこんな意見をぶつけていました。
「なぜ彼らはストライキなんかしたんです? プロでしょう? もし僕ら教師がストライキを起こしたら子どもたちはどうなります?」
私はそれはないだろうと思いました。プロ野球選手はスポーツという娯楽を提供しているだけ。野球に興味がある人だけのための財産です。
しかし教育は社会を構成する人間全員の財産です。気鋭の経済学者、斎藤幸平さんの『人新世の資本論』に何度も出てくる言葉を使えば「コモン」ですね。共有財産のこと。あの夜回り先生は、ただの娯楽とコモンを同列に扱うことで、星野さんをやりこめようとした。非常に卑劣な詭弁だと思いました。
『ロボコップ』では、警察官の大量ストライキが起こったとき、市民にインタビューすると、
「警察がストライキ? まったく馬鹿げてる!!」
と怒りの返答が返ってきますが、正論ですね。治安の維持はコモンですから。しかし民営化されて労働組合もある以上、ストライキの権利はある。しかし、ほんとにそんなことしていいの? というのが普通の感覚でしょう。
それにもまして絶対おかしいのは、『ロボコップ』の警察官たちのストライキの理由です。
「今週だけで4人も殺されてる。もうたまったもんじゃない」
と誰かが言います。どうやら給料や待遇に不満があるわけではなく、治安の悪化が理由のようです。
治安が悪化してるから警察官がストライキ? コントか!!!
彼らは自分の仕事に何のプライドもなければ、市民の生活を守らなくてはならないなどのプロ根性もない。ただストライキ権という後ろ盾が得られたから怠けようとしているだけ。
悪漢クラレンスも似たようなものです。ジョーンズからボブを殺せと命じられればその通りにするし、マーフィに殺されかかって文句を言うも、デルタ・シティの建設が本格化すれば麻薬・ギャンブル・売春で儲けられる、全部おまえに任せてもいい、武器もある、とジョーンズから言われると、その武器を振り回してやりたい放題のかぎりを尽くす。
クラレンスはジョーンズという後ろ盾がないと何もできない。ジョーンズとボブも同じです。彼らがナンバー2を目指すのは、社長の一番そばにいれば安泰だからです。ラストシーンがその象徴でしょう。マーフィに秘密をばらされたジョーンズは社長を盾にしましたよね。
ジョーンズ、ボブ、クラレンスたちは「盾」がないと何もできないのです。社長は何かあったら責任を取らないといけませんが、彼らは何かあったら社長に責任を押しつければいいと思っている。だからナンバー2を目指すのです。社長だって資本家だからいろいろ手を汚した過去はあるはずだけど、それでも体を張ってオムニ社を牽引している。ジョーンズやボブにそんな気骨はない。
それは警察官たちも同じ。マーフィは「オムニ社の役員を逮捕してはならない」というプログラムが手枷足枷となってジョーンズに手を出せませんが、何とかしようとはします。でも、ナンシー・アレン以外の警察官たちは、ジョーンズからロボコップを殺せという命令に唯々諾々と従ってマーフィに銃弾の雨を降らせます。
そうです。本当のロボコップとは、マーフィに銃弾の雨を降らせたデトロイト西署の警察官たちです。上からの命令を何の疑いもなく実行する彼らは人間の顔をしたロボットです。
象徴的なラスト

「いい腕だな。名前は?」
「マーフィ」
この映画が、自分の意思でプログラム=命令に抗おうとしたマーフィと、裸一貫でオムニ社を引っ張る社長の会話で終わるのは象徴的です。
あの微笑みは、自分のアイデンティティを回復したものでもあるのでしょうが、「あんたと俺は同じだよ。仲間だよ」という微笑みにも見えました。
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脚本:エドワード・ニューマイヤー&マイケル・マイナー
監督:ポール・バーホーベン
出演:ピーター・ウェラー、ナンシー・アレン、ダニエル・オハーリヒー、ロニー・コックス、カートウッド・スミス、ミゲル・ファーラー
(以下ネタバレあります)

オムニ社の社長に「名前は?」と問われた主人公は、微笑みとともに「マーフィだ」と答えて幕を閉じ、そこで初めてメインタイトル『ROBOCOP』と出ます。本編が終了してからメインタイトルが出る走りの作品だと思いますが、今回再見してみて、この最後の『ROBOCOP』が「本当のロボコップは誰か」と観客に問いかけている気がしました。
物語の背景
近未来のデトロイト。オムニ社の社長は旧市街地に「デルタ・シティ」という新しい街を建設する野望を抱いています。が、犯罪の多発がそれを邪魔している。いくら儲かる街を作っても人が来なければ繁栄しない。だから犯罪を減らさなければならないのに警察は腑抜けばかりでどうにもならないと憤る。
そこでデトロイト市と交渉した結果、警察の経営権を入手します。オムニ社が警察の親会社となります。警察の民営化です。
この映画が作られた80年代は、あのロナルド・レーガンが大統領だった時代です。ソ連との軍拡競争で軍事費は増大し、いわゆる「双子の赤字」にまみれていました。レーガンは少し前にイギリス首相となったサッチャーに倣って「小さな政府」を提唱。規制緩和を進め、民間企業に任せられるものはどんどん民営化していきました。「新自由主義」の始まりですね。
『ロボコップ』ではこの時代背景が如実に反映されています。警察の民営化というありえない事態の発生とともに、軍事衛星が誤爆して元大統領二人を含む100人以上ものアメリカ人が殺されたという笑えないニュース。あれはレーガンの戦略防衛構想、通称「スターウォーズ計画」への痛烈な皮肉ですね。
『ロボコップ』はだからレーガン批判、新自由主義批判を土台としています。
しかしそれはあくまでも土台、背景としてであって、それがこの映画の本質ではありません。本質は「本当のロボコップとは誰か」です。
『ロボコップ』の悪人たち

この映画には悪人が数人出てきますが、代表的なのはオムニ社の専務ジョーンズと彼と結託している犯罪組織のボス、クラレンスです。
このジョーンズがどうも妙です。ロボコップ開発の立役者のボブにトイレで中傷されたとき、彼は言います。
「社長はいいお年寄りだ。立派な人だ。だが先は見えてる。俺がナンバー2だ」
ED209というロボット警官で恥をさらし捲土重来を狙っているのはわかりますが、彼ほどの野心家が「ナンバー2」を目指しているというのは解せない。社長を蹴落として自分が社長になりたいタイプに見えますが……?
ジョーンズに逆恨みされて殺されるボブ副社長にしても、彼は悪人ではなくただの野心家で、コンピュータ・プラグラムにも精通した優秀な科学者なだけですが、彼もナンバー2になったところで満足してしまっている。
これはなぜでしょうか?
警察官の大量ストライキ
2004年にプロ野球史上初のストライキが結構されたとき、「夜回り先生」ともてはやされた人が、中日や阪神の監督として鳴らした星野仙一さんにこんな意見をぶつけていました。
「なぜ彼らはストライキなんかしたんです? プロでしょう? もし僕ら教師がストライキを起こしたら子どもたちはどうなります?」
私はそれはないだろうと思いました。プロ野球選手はスポーツという娯楽を提供しているだけ。野球に興味がある人だけのための財産です。
しかし教育は社会を構成する人間全員の財産です。気鋭の経済学者、斎藤幸平さんの『人新世の資本論』に何度も出てくる言葉を使えば「コモン」ですね。共有財産のこと。あの夜回り先生は、ただの娯楽とコモンを同列に扱うことで、星野さんをやりこめようとした。非常に卑劣な詭弁だと思いました。
『ロボコップ』では、警察官の大量ストライキが起こったとき、市民にインタビューすると、
「警察がストライキ? まったく馬鹿げてる!!」
と怒りの返答が返ってきますが、正論ですね。治安の維持はコモンですから。しかし民営化されて労働組合もある以上、ストライキの権利はある。しかし、ほんとにそんなことしていいの? というのが普通の感覚でしょう。
それにもまして絶対おかしいのは、『ロボコップ』の警察官たちのストライキの理由です。
「今週だけで4人も殺されてる。もうたまったもんじゃない」
と誰かが言います。どうやら給料や待遇に不満があるわけではなく、治安の悪化が理由のようです。
治安が悪化してるから警察官がストライキ? コントか!!!
彼らは自分の仕事に何のプライドもなければ、市民の生活を守らなくてはならないなどのプロ根性もない。ただストライキ権という後ろ盾が得られたから怠けようとしているだけ。
悪漢クラレンスも似たようなものです。ジョーンズからボブを殺せと命じられればその通りにするし、マーフィに殺されかかって文句を言うも、デルタ・シティの建設が本格化すれば麻薬・ギャンブル・売春で儲けられる、全部おまえに任せてもいい、武器もある、とジョーンズから言われると、その武器を振り回してやりたい放題のかぎりを尽くす。
クラレンスはジョーンズという後ろ盾がないと何もできない。ジョーンズとボブも同じです。彼らがナンバー2を目指すのは、社長の一番そばにいれば安泰だからです。ラストシーンがその象徴でしょう。マーフィに秘密をばらされたジョーンズは社長を盾にしましたよね。
ジョーンズ、ボブ、クラレンスたちは「盾」がないと何もできないのです。社長は何かあったら責任を取らないといけませんが、彼らは何かあったら社長に責任を押しつければいいと思っている。だからナンバー2を目指すのです。社長だって資本家だからいろいろ手を汚した過去はあるはずだけど、それでも体を張ってオムニ社を牽引している。ジョーンズやボブにそんな気骨はない。
それは警察官たちも同じ。マーフィは「オムニ社の役員を逮捕してはならない」というプログラムが手枷足枷となってジョーンズに手を出せませんが、何とかしようとはします。でも、ナンシー・アレン以外の警察官たちは、ジョーンズからロボコップを殺せという命令に唯々諾々と従ってマーフィに銃弾の雨を降らせます。
そうです。本当のロボコップとは、マーフィに銃弾の雨を降らせたデトロイト西署の警察官たちです。上からの命令を何の疑いもなく実行する彼らは人間の顔をしたロボットです。
象徴的なラスト

「いい腕だな。名前は?」
「マーフィ」
この映画が、自分の意思でプログラム=命令に抗おうとしたマーフィと、裸一貫でオムニ社を引っ張る社長の会話で終わるのは象徴的です。
あの微笑みは、自分のアイデンティティを回復したものでもあるのでしょうが、「あんたと俺は同じだよ。仲間だよ」という微笑みにも見えました。
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