WOWOWの『撮休』シリーズ第3弾『神木隆之介の撮休』第6話「ファン」。(以下ネタバレあります)

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「顔」を活かしたドラマ
道を急いでいた神木隆之介は信号で彼の熱烈なファン、松重豊に一緒に写真を撮らせてほしいとねだられるも「急いでいるので」と謝って先を急ぐ。
その後、喫茶店に入ると、神木が熱烈に好きな声優、大塚明夫がいて、一緒に写真を撮ってくださいとねだると、店に松重豊がいて恨めしそうにその様子を眺めている。
神木は松重に「違うんです。あれから事情が変わって急がなくてもいいことになって。ほんとに違うんです」と弁解して一緒に写真撮りましょうと言うも、完全に拗ねてしまった松重は「神木隆之介は最低な奴だ」とツイートしてしまう。

というのが物語のあらまし。

「神木のファン」と「神木がファンの人」という相似的な関係性を活かしてサスペンスと笑いを生み出していました。

松重豊が素晴らしかったですね。もともとヤクザもできれば刑事もできる強面の役者さんですが、老いと被害者意識の強い性格によって歪んだ強面としていい味を出しています。顔(正確には顎)の微妙な角度で拗ねた感じを出していて、やはり一流の性格俳優だと感動しました。思えば松重さんを見たのはちょうど30年前の『地獄の警備員』なんですよね。30年⁉

さて、そんな松重豊に対する神木隆之介は、どこにでもいそうな普通の青年の顔をしているので、「違うんです、違うんです!」と弁解する芝居がとてもはまっていました。第1話では子役出身という出自を活かしてましたが、この第6話では彼のごく普通の顔が活かされていましたね。

主役と敵役、どちらも俳優の「顔」を活かした作品になっており、常々「映画俳優は顔である」と主張している者としてはうれしいかぎり。


30分ドラマとしての現実
さて、少しも悪くない神木と彼を完全に逆恨みした松重のこじれた関係がどう解決するかが焦点のこのドラマはちょっと残念な形で収束を迎えます。

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一緒に撮りましょうといくら言っても聞かない松重豊。どうしていいかわからない神木。すべてを聞いていた大塚明夫の「じゃ三人で撮りませんか」という一言で丸く収まりかけるんですが、神木が写真はもういい、松重とも大塚とも撮らないと言い出す。

これはよくわかります。憧れの人と一緒にストーカー的なファンまでフレームに収まっていたらあとで見るの嫌ですよね。

しかし、この神木の申し出に対し、カメラマン役を頼まれていた店員の田中要次がノーを突きつける。

彼は上京してもうまく行かず故郷へ帰ろうと思っていたとき、たまたま同郷の神木を街で見かけ、写真をねだると気さくに応じてくれた。それがきっかけでもう少し東京で頑張ろうと思ったと。そのとき松重のスマホに通知が来る。さっきのツイートに返信。「ほんとに急いでただけじゃないですか?」「私のときは気さくに応じてくれましたよ」などと書いてあり、自分の行いを恥じた松重は泣いてしまう。

で、結局三人では撮らず、神木と大塚、神木と松重と、それぞれがそれぞれの憧れの人と写真を撮ってもらい、万事めでたしめでたし。でも私は最初つまらないと思ったんですよね。田中要次がかつて神木と写真を撮ってもらったことがあるなんてただの偶然だし。

神木が「写真はもういいです」と言ったとき、田中要次がこっそり「あとでいくらでも編集できるじゃないですか」とでも言うのかと思ったんですよね。松重だけ切って保存しておけばいい、と。神木は「ナイスアイデア!」と三人で再びフレームに収まろうとするも、すべてを聞いていた松重はまた拗ねてしまい、どんどん沼にはまってしまう。みたいな展開を期待していたんですが、よく考えればこれは不可能ですよね。

だって『神木隆之介の撮休』は30分の一話完結形式だから。恒例のオープニングとエンドクレジットを除いたら正味20分ほど。そんな短い時間ですべてを解決しようと思ったら、一見安易に見える田中要次の昔話が最良のアイデアじゃないかといまでは思えます。偶然ではあるけど、彼もまた「ファン」だったということだし、ちゃんとメインテーマにリンクしていますから。

映画と違ってテレビドラマは尺が決まってますからね。題材と尺の関係からできることとできないことが決まってくる。尺のことを考えていなかった自分はやはりダメだなぁと思って次第。

しかし、以下のことは強く主張します。


手持ちカメラを禁止にしてほしい
最近はテレビドラマも映画も手持ちカメラがえらくはやってますが、このドラマでもほぼすべて手持ちで撮られています。

手持ちはやはりここぞというときだけにしないと、ただ画面が揺れて見にくい結果にしかなりません。

この第6話でいえば、神木が大塚と写真を撮ってもらおうとして松重のいじけた顔を目撃するカットが「ここぞ」というときですよね。他のカットが普通にフィックスで撮られていて、あのカットだけ揺れていたら神木の動揺と恐怖が表現されたいいカットになったと思うんですが、最初からすべてのカットが揺れているのでまったく効果なしという悲しいことになってました。

それと、他のファンから「ほんとに急いでただけじゃないですか?」などのコメントがつくとき、松重のスマホ画面がクロースアップされますが、ひどく揺れているので読みにくい。私はかろうじて読めたけど、ちゃんと読めなかった視聴者もいると思う。不親切です。

確かにフィックスで撮るには、カメラ位置が変わるたびに撮影助手がカメラを水平に据えなければならない。水準器がついていてそれで合わせるんですがそれなりに時間がかかる。フィックスだと時間がかかるということは、手持ちで撮れば早撮りできて製作費も安くなるということですが、視聴者に不親切な結果になったり、内容を強調する効果が生まれなかったりするなら百害あって一利なし。

「手持ちカメラ禁止令」を出してほしいですね。ここぞというときだけの許認可制にする。

表現の自由は何があっても死守しないといけないのでそんなことは現実には無理ですが、そんな無茶な要求をしたくなるくらい最近の手持ちカメラの乱用には腹が立ちます。


さて、あと2話で終わりですが、「はい、カット!」や「ファン」を超える作品は現れるでしょうか。第5話の「優しい人」もよかったですけどね。狗飼恭子さんらしい男女の微妙な機微を表現した脚本が秀逸でした。


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人間ドック
渡辺大知
2020-12-01


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