菅田将暉主演の『ミステリと言う勿れ』は物語自体もなかなか面白いですが、私は美術と撮影にもかなり見るべきものがあると思っています。というか、正直言ってよくわからないのです。


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まず、遠藤憲一さんが真犯人という超意外な結末だった第1話。この取調室のセットはかなり気合入れて作ってますよね。だから私は菅田将暉が安楽椅子探偵として、毎回警察に任意同行を求められて、この取調室ですべてなぞ解きをすると思っていたんです。

だって、こんなにいい感じのセットを作るにはお金がかかるじゃないですか。

でも違った。第2話から第3話のバスジャック事件は豪邸が舞台だったし、第4話の記憶喪失爆弾犯は屋外でしたが、最新第5話は病室が主たる舞台でした。

毎回舞台が違う。お金かけてますね。フジテレビが社運を懸けているんでしょうか。しかし共通していることがあります。

それは「できるだけその場所が広いところに見えるよう撮られている」ということです。

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もともと広いセット(ロケセットかもしれませんが)なのにそれを強調するように撮ったり、魚眼レンズを使って実際より広い場所に見えるように撮っています。

これはいったいなぜなんでしょう?

普通、日本のテレビドラマはホームドラマなど室内劇が主流のうえに家屋が狭いので、玄関とか階段あがってすぐの部屋のドアの前などでは、魚眼レンズが多用されます。それはわかります。

しかし、社運を懸けているのかどうかは知らないけれど、意図的に広いセットを作っているにもかかわらず(豪邸や病室はロケだとしても警察署内でのロケは絶対許可されないので取調室は100%セットです)さらに意図的にもっと広く見せようとするのはなぜ?

おそらく、内容には何の関係もないのでしょうけど、すごく気になる。菅田将暉が病室を出ようとしたとき、室内から出入り口までのほんの短い通路さえ、ものすご~く長い通路のように撮っていました。

奇しくも屋外が主な舞台だった4話を除いて、すべて松山博昭さんという方が監督です。松山さんの生理なんでしょうか。

あの広い広い空間への偏執狂的なこだわりへの興味が回を追うごとに増してきて、各話の謎解きとか、ガロ君との再会はどんなものなのか、その前のライカという女性は何者か、という内容への興味よりこっちのほうがより興味深く感じられるようになってきました。





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