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もう3週間前になりますが実家の犬が死にました。(3週間⁉ もう?)

そして、父親が食事はおろか大好きな酒も飲まなくなり、水すら飲まないので入院することになりました。

で、私たち家族(主に兄弟)はみんな同じことを思ってたんですよね。犬が死んだショックでそうなったんだろう、と。

しかし、母親だけは違っていて、「お父さんの介護が必要になるからベス(犬の名前)のほうから身を引いたんだろうか」と言っていました。

いやいや、それは違う。犬はそんなことわかるはずがないし、ショックでこうなったに決まってる。とそのときは笑いました。

でもまったく違いました。犬はまったく関係ないというのが医者の見解でした。父親は認知症のため犬が死んだことを憶えられない。もし死んだことがショックなら「犬が死んだ。犬が死んだ」と言うはずなのにまったく言わない。犬が死んだのはまったく関係なく、もともと心臓の持病があり、それが悪化したために入院することになったのが真相でした。

それを知ると、にわかに母親の見当違いだと思った一言が現実味を帯びてきたんですよね。

「お父さんの介護が必要になるから犬のほうから身を引いた」

考えてみれば、犬は最後の4か月は寝たきりだったので介護が必要でした。食べさせてやって、水を飲ませてやって、庭に出しておしっこさせてやって。全部母親がやってました。

犬がそのような状態で、さらに父親の介護もとなると、とてももたないでしょう。だから自分から身を引いた。

そう考えると一番しっくりくる。

でも、とも思うのです。

そんなことは我々人間が自己満足のためにそう考えているだけではないのか。

犬から身を引いたと考えればちょっと感動的で、そういう「物語」に浸りたいだけではないのか。

でも、人間はどうもそういう生き物らしいんですよね。ひとつの出来事ともうひとつの出来事の間に因果関係を見出さずにはいられない。

犬が自ら身を引いたのはファンタジーだと笑っていた私も、「父親は犬の死がショックで酒も飲まなくなった」というウソの物語を信じていたわけです。それもつまりはファンタジーです。ただのフィクションです。

だから人は誤解をする。

Aという事象のすぐあとにBが起こると、Aが起こったからBが起こったと考えがち。

つい先日まで働いていた職場で、最後のほうに体調不良で4日も休んでしまったんですが、病院に行くと「12月の疲れと正月特有の気分の落ち込みが影響している」という診断が下されました。

それは会社に休む電話をしたときに伝えたんですが、向こうは仕事がいやだから休んでいた、つまりサボっていたと思い込んでいるから聞こえていなかったらしい。あの会社では12月が殺人的な忙しさで1月は暇すぎるほど暇なので、暇すぎるのがいやだと思われていたみたいです。

しかし、真相は先述のとおり、12月の疲れと正月特有の気分の落ち込みが原因。会社の人は私が精神科にかかってるなんて知らないし、知っていても12月の疲れが1か月遅れて襲ってくるとか意味がわからないでしょうし、正月特有の気分の落ち込みなんてもっとわからないはず。もともと1月末までの短期契約だったのでこちらから誤解を解くことはありませんでした。

でも、そういうふうに、人間は何らかの「物語」を勝手に作ってしまう。いいにつけ悪いにつけ作ってしまう。そしてその物語の因果関係が明らかに見えれば見えるほどその物語は強力に頭にこびりつき、他の可能性を排除してしまうようになる。

私も、母親が最初に言った「犬のほうから身を引いた」という言葉を排除してましたからね。

だから、勝手に因果関係をこしらえずに、事実を確認することがとても大事だと思います。「AだからB」に見えるときでも、Aについて当事者によく聞いてみる。Bについてもよく調べてみる。

すると、父親の病気が最初は脱水症状に見えながらも実は心臓病であることがわかった、というふうに新しい本当の因果関係が見えるようになる。もし医者が脱水症状という物語に固執していたら、いまごろとっくに死んでいたでしょう。

人間は物語なしには生きていけません。人間が神を作ったはずなのに、神が人間を造ったという逆さまのフィクションを信じて生きています。

だから、思い込みや先入観も「神」のようなものです。事実でなくフィクションだから。人間はどこまでも「宗教的な存在」なのです。

フィクションを信じないと精神がもたないこともあります。そう、物語はとても大事。「犬のほうから身を引いた」という物語は本当かウソかもう誰にも確認のしようがない。犬が生き返っても言葉が通じない。なら信じればいい。そういう居心地の良い物語に安住することも大事。そういう「宗教」の領域も大事にせねばならない。

でも、自分が頭で勝手にこしらえた「物語」を疑わないといけないときも多々ある。

そのバランス感覚が重要だと、この3週間の家庭や職場でのあれやこれやを経験して思った次第です。「宗教」と「科学」のバランス。





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