内田樹先生の『コロナ後の世界』(文藝春秋)を読んで、長年うまく答えられなかった質問に答えられるようになりました。



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「本を読んでも憶えられないでしょ?」
こういうことを言う人にいままで何度出会ったかわかりません。

いや、読書というのは読んで自分が内側から変わることが大事なのであって……云々かんぬんなどと答えてましたが、はたして自分でも本当にそう思っているのかどうかかなり怪しかった。

でも、いまははっきり答えられます。

本の内容を憶える必要などありません!

「読んだ本の内容を全部記憶したい」という人は、知識の量を増やしたいのですね。その気持ちはわかるし、実際、読むことで知識は増えるし教養は深まる。

でも、ここが勘所ですが、知識量も増えるけど「わからないこと」の量はもっと増えるんですね。

だって、そうですよね。一冊の本を読むと、巻末に参考文献がたくさん載っていて、「うわぁ、自分はここに載ってる本のほとんどを読んでいない」と愕然となる。

参考文献が載ってない本でも、何らかの知識を得ると、もっと突っ込んだことが知りたくなる。知りたいということは、そのことについて知らないということ。読書し、勉強することで、逆に「わからないこと」「知らないこと」は増えていくのです。

勉強すればするほど己の勉強不足を思い知らされる。これが勉強というものの本質です。だから、読書すればするほど「わからないこと」のリストが長くなっていく。

なのに、読んだ本の内容を憶えられないと嘆く人は、「わかったこと」のリストを長くしようとしているんですね。

おそらく知ったかぶりする人はこの手の人なんだと思います。

知っているリストをできるだけ長くしたいその人は、自分の知らないことに出くわすと、そのリストが意外に短いことが明るみに出るのを恐れて知ったかぶりをするのでしょう。

それは「勉強」から最も遠い姿勢です。


図書館や本棚は何のためにあるか
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『コロナ後の世界』で内田樹先生は、自分の家の壁一面の本棚をびっしり埋め尽くす蔵書の8割から9割が未読だと書いています。

「自分はこの本もあの本も読んでいない。だから何もわかっちゃいない」と謙虚な姿勢を維持するために本棚を眺めるとか。おそらく図書館も同じ機能を期待されているはずだ、と。積読の効能ですね。

そういえば、私は最近、ネットで読みたい本を予約して図書館にはただ借りるだけ、返すだけのために行っていると気づきました。もっと読んだこともタイトルすら知らない本に「おまえはまだ何もわかっちゃいない」と叱られたほうがいい。そのための時間を惜しんじゃダメだなと痛感させられました。

なお、なぜ『コロナ後の世界』と題した、アベノマスクを難じたり、コロナ終息後の中国とアメリカはどうかなるかなどに多くのページが割かれたこの本に「図書館や本棚の効用」についての一節が収録されているのかについてはよくわかりません。

たぶん、ステイホームで本を読む人が増えたからじゃないかな、とは思うんですがね。定かではない。


コロナ後の世界 (文春e-book)
内田 樹
文藝春秋
2021-10-20


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