今日のワイドナショーで、非常に興味深い問題が紹介されていました。

サンリオのマイメロディのママの名言を集めたバレンタインチョコが「ジェンダー偏見ひどすぎ」と発売中止になった問題。


ポリコレはうんざり

meimelo (1)

この中で特に「女の敵はいつだって女なのよ」という文言がジェンダーバイアスを幼い子に刷り込むのではないかとトラウデン直美などが言ってましたが、最初は「またポリコレかよ」とうんざりしたんですよね。

ちょうど今朝、ツイッターで「アメリカでルーズベルト大統領の像が撤去される」というニュースを見ました。

何でもアメリカ自然史博物館前にあるセオドア・ルーズベルト大統領の像が先住民と黒人を従えているのが人種差別的だと批判があったので撤去を決めた、と。

これについての私の意見はこの人とまったく同じです。


だから、マイメロ問題でも「またポリコレか」とうんざりしたんですが、「マイメログッズを手に取る女の子はそういうことまったく考えないでかわいいからという理由だけで買うのでどうなのかな」というワイドナティーンのちょっと戸惑った言葉を聞いたとき、少し立ち止まって考えみました。

ジェンダーバイアスとかポリコレ的な観点から見るから目が曇ってしまう。政治を排した観点から見るとどうなるか。


努力は必ず報われる?
子どもの頃、兄の机に「努力は必ず報われる」と書いた紙が貼られていました。それを見ながら受験勉強に励んでいましたが、あれってウソですよね?

確かに努力が報われるときもある。でも報われないことのほうが圧倒的に多い。

しかし、だからといって、↓こんなふうに↓言うのはただのひねくれ者です。

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やはり、子どものうちはウソでも「努力は必ず報われる」という「理想=きれいごと」を教えるべきだと思う。きれいごとであっても、きれいごとを信じて頑張ったほうが、仮に報われなくてもおそらくその子は幸せになれる。ひろゆきのような言葉を胸に大きくなった人は結局何もしないで人生を終わるでしょう。


ニヒリズムよりリアリズムを!
確かに現実は理想通りには行きません。きれいごとは「現実」ではなく、ただの「理想」です。しかし、理想へのベクトルを失った現実主義は「ニヒリズム」です。理想を失わずに現実を直視することを「リアリズム」と言うのです。

「女の敵は女」「男ってプライドを傷つけられるのが一番こたえるのよ」といった文言は圧倒的に正しい。でもそれは現実という荒波を生きれば自然にわかることだし、理想を失ったニヒリストの文言と言って差し支えない。

マイメロママの言葉が毒舌でありながら支持されるのは、「傷ついた心の絆創膏は新しい恋よ」などの明日への希望も謳っているからでしょう。ひろゆきの言葉とは一味も二味も違うと感じられるのは、マイメロママの言葉がニヒリズムではなくリアリズムだからです。

なら、発売中止にしなくてもいい?

いやいや、私は発売中止という判断は、トラウデン直美と同じく致し方ないと思います。


問題の核心は「客層」では?
マイメログッズが人生の酸いも甘いも味わった大人の女性向けの商品なら、発売中止にしたらそれこそ「ポリコレだ」「言葉狩りだ」と激怒したでしょう。

が、マイメログッズはワイドナティーンが言っていたように年端もいかない子どもが買うもの。変な刷り込みを生んでしまうから発売中止やむなしと思います。

トラウデン直美が言うようにジェンダーバイアスを刷り込むからではなく、これから普通に生きたら身に沁みるだろうことをわざわざ幼少の頃に刷り込む必要はないと考えます。刷り込まれた子はおそらくひろゆきのようなニヒリストになってしまう。

「女の敵は女」を身に沁みて体で憶えた場合は「傷ついた心の絆創膏は新しい恋よ」みたいな言葉も体で憶えているだろうからニヒリストに陥らずリアリストでいられると思うのです。

だから今回の問題の核心は「客層」だと思います。客層が大人であれば発売中止は不当だし、子どもであれば正当というのが私の結論です。




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