『5時に夢中』エンタメ番付で紹介されていた田素弘というマンガ家さんの『紛争でしたら八田まで』。現在8巻まで出ている本作を2巻の途中まで読みましたが、あの中瀬親方が絶賛するだけあってすこぶる面白い!
知性とプロレス技で国家や民族に内在する紛争を解決する主人公・八田百合の肩書きは「地政学リスク・コンサルタント」。
これまで解決した4つの紛争のうち特に印象的だったエピソードについて書きます。
英国ブレグジット問題
イギリス(正式名称「グレートブリテンおよび北部アイルランド連合王国」)が2016年にブレグジット(EU離脱)を決定し、2020年に実際に離脱した国際問題を背景にした紛争。
八田への依頼主は、イギリスの最大手パブチェーンのオーナー、トラヴィス・キング氏。マンチェスター出身で労働者階級のキング氏は庶民の成功例として尊敬されていたが、ブレグジットで風向きが変わった。自他ともに認める新自由主義者のキング氏は、サッチャー政権以来の経済政策の波にのってEU全域に事業を拡大させていた。つまりブレグジットでキング氏は大幅な事業の見直しを迫られている。そのうえ、愛国者として有名なキング氏にとって都合の悪い情報が流れた。パブの労働者が低賃金で雇える移民ばかりで英国民の雇用創出に寄与しておらず、さらに株主の40%が外資で利益が国外に流出している、と。そのキング氏のパブで乱闘事件が頻発しているうえにIRA(アイルランド共和軍)の関与も噂されている。
いとも簡単な問題解決
百合はアレックスというゲイと同居しているのですが、彼の彼氏がMI5で働いていて(都合よく)IRAの関与は簡単に否定される。そして乱闘が起こるのは決まってマンチェスター・ユナイテッドの試合がある日(「マンチェスター・ユナイテッド」と言わず単に「マンチェスター」としか言わないところが痛快。マンチェスター・シティというクラブはこの『紛争でしたら八田まで』の世界には存在していないらしい)。フーリガンがキング氏のパブを襲撃しているのはわかったが、動機は何か。
これも簡単に首謀者を捕まえることができ、彼の名はウェインという青年。父親のウェイン・シニアはキング氏とともに小さなパブの頃から一緒にビールを作ってきた仲間だった。だが、ウェイン氏のビールの味は格別だったが、それでは店も会社も大きくなれない。サッチャリズムのせいで拡大経営しないと生き残れない。しかしそれをすれば確実に味が落ちる。味が落ちるとわかっていてキング氏は盟友ウェイン氏を裏切った。そして会社は巨大になった。代わりにウェイン氏は失意のあまり酒に溺れて死んだ。
そう。ブレグジットだIRAだサッチャリズムだと複雑なことを匂わせてきたこの事件は、単なる「仇討ち」だったわけです。
本当の問題解決は
しかし、そこで終わらせないのがこの『紛争でしたら八田まで』の面白さです。
ウェイン・ジュニアを逮捕してキング氏に突き出せば任務完了、ギャラももらえるのに、我らが主人公・八田百合はそこで終わらせない。
キング氏にウェインを雇うよう進言します。
「何をバカな! こいつは乱闘の首謀者だぞ!」
「こいつは親の仇だぞ!」
という二人に八田百合は諭します。
ウェイン・ジュニアは労働者階級でまともな稼ぎもない、キング氏から見れば負け犬だけれど、実はそうでもない、と。昼はコールセンター、夜はレジ打ちをして一日中働いても給与はほんの少し。暮らしはいつまでたっても上向かない。
その問題の本源は……
1978年。マーガレット・サッチャー率いる保守党が、英国経済の本源を製造業から金融・不動産業へシフトしたこと。その結果、製造業に従事する労働者階級は貧困層へ転落した。
1997年。労働党が政権を握るも、時の首相ブレアは、労働者階級を重視したかつての労働党とは真逆の、高度専門職に就く中流階級を重視するという保守党と同じ政策を受け継ぎ、労働者階級はさらなる貧困層と化した。
イギリス社会は上流階級と下流階級の格差が拡大し続け、下は上を恨み、上は下を「努力が足りない」「10代で子どもを産む」「生活保護でビールを飲む」などと蔑む。
弱者批判の流れは、少ない下層労働を奪い合う移民にも向けられ……そうして起こったのがブレグジットだった、と。
見事な着地。なるほど。なぜ国民投票であんな愚かな結果が出たのか、明快に説明されています。
ブレグジットは問題の原因ではなく結果だったわけです。だから八田百合は「本当の問題解決」のために動くのです。
ウェイン・シニアのビール醸造技術を知るウェイン・ジュニアを雇うことでキング氏のパブのビールの品質は向上する。製造業を軽視したサッチャリズムのせいで何も生産できなくなった英国の「希望の光」になってほしいと八田はキング氏に語りかけます。ウェイン・ジュニアを雇えば国賊の誹りを受けることもなくなるとも言い添えて。
八田の進言通りウェインを雇ったキング氏は、これまた八田の進言通り、二人で労働組合を結成させる。労働者階級を軽視したのが問題の始まりなのだから本から正すのが八田流。ここまでやらないと「問題解決」とは言わせないと言わんばかりの迫力があります。
ひとつだけ難を言うと、相手がマシンガンを構えたりするときに八田が素早い動きで銃を奪ったり相手の動きを止めたりしますが、あのへんのアクションがわかりにくい。政治的なあれこれはとても勉強になるし面白いけど、絵があまり好きになれません。
でも、内容が面白いのでこれは継続して読み続けようと思います。
続きの記事
ロシアとウクライナの地政学 ~『紛争でしたら八田まで』感想②~
「明るい北朝鮮」シンガポールの悩み ~『紛争でしたら八田まで』感想③~
知性とプロレス技で国家や民族に内在する紛争を解決する主人公・八田百合の肩書きは「地政学リスク・コンサルタント」。
これまで解決した4つの紛争のうち特に印象的だったエピソードについて書きます。
英国ブレグジット問題
イギリス(正式名称「グレートブリテンおよび北部アイルランド連合王国」)が2016年にブレグジット(EU離脱)を決定し、2020年に実際に離脱した国際問題を背景にした紛争。
八田への依頼主は、イギリスの最大手パブチェーンのオーナー、トラヴィス・キング氏。マンチェスター出身で労働者階級のキング氏は庶民の成功例として尊敬されていたが、ブレグジットで風向きが変わった。自他ともに認める新自由主義者のキング氏は、サッチャー政権以来の経済政策の波にのってEU全域に事業を拡大させていた。つまりブレグジットでキング氏は大幅な事業の見直しを迫られている。そのうえ、愛国者として有名なキング氏にとって都合の悪い情報が流れた。パブの労働者が低賃金で雇える移民ばかりで英国民の雇用創出に寄与しておらず、さらに株主の40%が外資で利益が国外に流出している、と。そのキング氏のパブで乱闘事件が頻発しているうえにIRA(アイルランド共和軍)の関与も噂されている。
いとも簡単な問題解決
百合はアレックスというゲイと同居しているのですが、彼の彼氏がMI5で働いていて(都合よく)IRAの関与は簡単に否定される。そして乱闘が起こるのは決まってマンチェスター・ユナイテッドの試合がある日(「マンチェスター・ユナイテッド」と言わず単に「マンチェスター」としか言わないところが痛快。マンチェスター・シティというクラブはこの『紛争でしたら八田まで』の世界には存在していないらしい)。フーリガンがキング氏のパブを襲撃しているのはわかったが、動機は何か。
これも簡単に首謀者を捕まえることができ、彼の名はウェインという青年。父親のウェイン・シニアはキング氏とともに小さなパブの頃から一緒にビールを作ってきた仲間だった。だが、ウェイン氏のビールの味は格別だったが、それでは店も会社も大きくなれない。サッチャリズムのせいで拡大経営しないと生き残れない。しかしそれをすれば確実に味が落ちる。味が落ちるとわかっていてキング氏は盟友ウェイン氏を裏切った。そして会社は巨大になった。代わりにウェイン氏は失意のあまり酒に溺れて死んだ。
そう。ブレグジットだIRAだサッチャリズムだと複雑なことを匂わせてきたこの事件は、単なる「仇討ち」だったわけです。
本当の問題解決は
しかし、そこで終わらせないのがこの『紛争でしたら八田まで』の面白さです。
ウェイン・ジュニアを逮捕してキング氏に突き出せば任務完了、ギャラももらえるのに、我らが主人公・八田百合はそこで終わらせない。
キング氏にウェインを雇うよう進言します。
「何をバカな! こいつは乱闘の首謀者だぞ!」
「こいつは親の仇だぞ!」
という二人に八田百合は諭します。
ウェイン・ジュニアは労働者階級でまともな稼ぎもない、キング氏から見れば負け犬だけれど、実はそうでもない、と。昼はコールセンター、夜はレジ打ちをして一日中働いても給与はほんの少し。暮らしはいつまでたっても上向かない。
その問題の本源は……
1978年。マーガレット・サッチャー率いる保守党が、英国経済の本源を製造業から金融・不動産業へシフトしたこと。その結果、製造業に従事する労働者階級は貧困層へ転落した。
1997年。労働党が政権を握るも、時の首相ブレアは、労働者階級を重視したかつての労働党とは真逆の、高度専門職に就く中流階級を重視するという保守党と同じ政策を受け継ぎ、労働者階級はさらなる貧困層と化した。
イギリス社会は上流階級と下流階級の格差が拡大し続け、下は上を恨み、上は下を「努力が足りない」「10代で子どもを産む」「生活保護でビールを飲む」などと蔑む。
弱者批判の流れは、少ない下層労働を奪い合う移民にも向けられ……そうして起こったのがブレグジットだった、と。
見事な着地。なるほど。なぜ国民投票であんな愚かな結果が出たのか、明快に説明されています。
ブレグジットは問題の原因ではなく結果だったわけです。だから八田百合は「本当の問題解決」のために動くのです。
ウェイン・シニアのビール醸造技術を知るウェイン・ジュニアを雇うことでキング氏のパブのビールの品質は向上する。製造業を軽視したサッチャリズムのせいで何も生産できなくなった英国の「希望の光」になってほしいと八田はキング氏に語りかけます。ウェイン・ジュニアを雇えば国賊の誹りを受けることもなくなるとも言い添えて。
八田の進言通りウェインを雇ったキング氏は、これまた八田の進言通り、二人で労働組合を結成させる。労働者階級を軽視したのが問題の始まりなのだから本から正すのが八田流。ここまでやらないと「問題解決」とは言わせないと言わんばかりの迫力があります。
ひとつだけ難を言うと、相手がマシンガンを構えたりするときに八田が素早い動きで銃を奪ったり相手の動きを止めたりしますが、あのへんのアクションがわかりにくい。政治的なあれこれはとても勉強になるし面白いけど、絵があまり好きになれません。
でも、内容が面白いのでこれは継続して読み続けようと思います。
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