『ドライブ・マイ・カー』がアカデミー賞の前哨戦であるアメリカの批評家協会賞を席巻していますが、同じ濱口竜介監督のもう1本も作品賞や脚本賞にノミネートされています。


『偶然と想像』
脚本・監督:濱口竜介
出演:古川琴音、玄理、森郁月、渋川清彦、占部房子、河井青葉


タイトル通り、「偶然」と「想像」が織りなす物語3編から成るオムニバス映画なんですが、私は見ていて、Jホラーの仕掛け人と言われた脚本家・高橋洋さんが『映画の魔』で語っていたことを思い出しました。

「歳月の流れを示す『翌朝』とか『3日後』『1年後』などのテロップがあるが、作者の内側から出てきたのならいいが、単に時間がたったことだけを示すなら問題である」

これが私にはよくわかりませんでした。というか、まったくわからなかった。そりゃ「1年後」とテロップを出すことなく1年後であることをわからせる作劇が最上なのはわかるけど、それが難しいなら「1年後」と説明したほうがわかりやすくていいんじゃないの? と。

でも、今日『偶然と想像』を見て、高橋さんの言っていたことの意味がやっとわかりました。


第2話「扉は開けたままで」
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個人的に一番興味深かった第2話の「扉は開けたままで」は、芥川賞を受賞した大学教授をハニートラップにかけようと女が受賞作のエッチ場面を朗読するんですが、渋川清彦演じる教授はまったく乗ってこない。女は正直に録音していたことを明かすと、教授はその音声データがほしいという。あなたのような美しい人に読まれたそのシーンに興奮すると。それを聞きながらオナニーしてくださいと女が頼んだり、ユニークなシーンでしたが、問題はこの前後です。

渋川教授に単位をもらえずテレビ局の内定を取り消された男が土下座して単位がほしいと訴えるシーンが最初にあります。そのあと「5か月後」のテロップが出て、芥川賞受賞インタビューという晴れの場に出ている教授を見ながら男が女にハニートラップにかけてと頼むシーンがあり、上述のユニークなシーンのあとには「5年後」とテロップが出て、女がメールを教授ではなく大学の事務局に誤送信したために教授は免職となり作家としても消えたまま。女は校閲の会社で働いており、本など読まない男は出版社で働いており、今度小説の編集部に配属されることになったと言う。

この前後のシーンは必要でしょうか? つまり、ハニートラップとか、誤送信とか。誤送信がなければ「偶然」がなくなってしまうけど、そういう問題ではなく、単位をもらえない男の土下座(ハニートラップの動機)があり、「5か月後」にはハニートラップを女に頼むシーンがあり、その翌日か数日後かは不明だけど、仕掛けるも乗ってこない教授が音声データがほしいと言い、女はそれを聞いてオナニーしてくださいというユニークなシーンがあり、「5年後」に女と男の再会(後日譚)が描かれる。

動機の説明と後日譚は完全に不要です。男から頼まれたとかそういうことは教授との会話でセリフで示せば充分だし、いっそのこと女自身が単位がもらえず自分で復讐すべくハニートラップを仕掛けたというふうに変えてもいい。

いずれにしても、女と教授の二人だけの芝居だけのほうが断然面白かったはず。だから、その前後の「5か月後」「5年後」というテロップが上滑りしているというか、「作者の内側から出てきた言葉」とは感じられなかったのです。ただ月日の流れを示すだけの空疎な言葉。必要のない前後のシーンをつけてしまったためにそうなってしまったんだと思います。


第3話「もう一度」
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巷で最も評判がよく、私も完成度はピカイチだと思う第3話の「もう一度」では(私の記憶が正しければ)月日の流れを示すテロップはなかったですよね。最初が同窓会のシーンで、あとは別の日の出来事がワンシークエンス描かれるだけですから。

つまり、この第3話は必要なシーンだけで構成されているから「翌日」とか「数日後」とかのテロップが不要だったということ。だから人気が高いんだと思います。作者の内側から出てきた言葉だけで構成されています。

第1話の「魔法(よりもっと不確か)」では、古川琴音が昔の男とのあれやこれやのあと「3日後」とテロップが出て、玄理を含めた3人で会います。テロップの前後どちらも必要なシーンですが、いかんせん、「3日後」というテロップが完全に不要です。あれが3日後である必要はない。翌日でもいいし1週間後でもいい。だから「3日後」という言葉は作者の内側から出てきたものではないということです。

動きのない会話だけで構成されたドラマで、作者の内側から出てきたものじゃない言葉があるというのはいただけません。

それに、もっと基本的なことを言わせてもらえば、濱口監督の師匠格に当たる黒沢清監督が『映画はおそろしい』で語っていた言葉がこの映画を見事に批評してくれると思う。

「愛してると一言つぶやくより、一発ぶん殴るほうが映画においては決定的なのだ」



濱口流演出と『家族ゲーム』
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『ドライブ・マイ・カー』で西島秀俊演じる演出家が取る独特の演出法がありました。感情を一切排除した言葉だけを役者の体に入れて、そこから感情の表出を待つという演出法は、濱口竜介監督自身のものだそうです。

その独特の演出から生まれる芝居はとても面白いんですが、たまたま昨日、森田芳光監督の名作『家族ゲーム』を再見したんですが、あっちのほうがよっぽど自然でした。松田優作や伊丹十三の素晴らしさは言うに及ばずですが、宮川一朗太の担任教師を演じる加藤善博がすごい。松田優作が学校に来て志望校を変更したいというシーンでの加藤善博は本当に素晴らしい。アドリブを連発していたはずの松田優作と互角にやりあっている。食ってました。

森田芳光の演出法がどんなものか知りませんが、少なくとも『家族ゲーム』の役者は全員ジーン・ハックマンじゃないかと思うくらい自然でした。

逆に『偶然と想像』の役者は素晴らしいとは思うものの、監督の演出が見えてしまうというか、何度も稽古しているのが見えてしまうんですよね。独特の演出法を知っているからなのか、言葉だけを入れる稽古から何度もリハーサルを重ねた過程が透けて見えてしまうので少し興醒めしてしまう。

『ドライブ・マイ・カー』はそんなことを思わせない、ずしりと重量感のある傑作でしたが、この『偶然と想像』は『ハッピーアワー』や『親密さ』と同じく、私にとっては面白いんだけどあまりリアルには感じられない映画でした。


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