大難航していた三作目の小説、やっと脱稿することができました。

去年の11月末から考え始めたので、ほぼ丸一年かかったことになります。長かった。つらかった。

どれぐらいの紆余曲折があったか知りたい方は、こちらをお読みになってください。⇒三作目の小説が大難航している件 

今回、書き上げてみて、というか、書いてる間ずっと思っていたのは、主人公に逢いたい、ということです。いまもそうだし、現実に逢うことが不可能な以上、死ぬまで思い続けるのだろうと思います。

前回までの日記で何度も書いていますが、今回の主人公は15歳の高1女子です。来年50になる私からすれば娘も同然。人によっては50で孫ができる人だっているわけだから、別世界の住人と言って過言ではない。

そんな主人公ですが、彼女のことが好きなのは当たり前です。好きじゃなければ書けない。架空のキャラクターに惚れこむことができなければ物語など書けません。架空の存在に惚れこむ能力を「才能」というのかもしれない、とさえ思う。

好きは好きだけど、すごく年下でまだまだ子どもだし、架空の人なので、恋心を抱いて逢いたいなどと言っているわけではありません。

とにかくいい奴なんです。彼女を作った自分でいうのもナンですけど、ほんとにいい奴。

過去記事に書いてますが、もともと主人公である彼女が23歳の女性と出逢う話でした。その出逢いのシチュエーションが成り立つためには彼女は高1でなければならなかったし、女子であるほうが画になるとも思った。

しかし紆余曲折の末に、23歳との出逢いがなくなり、そのため、主人公が高1である必要も女子である必要もなくなってしまった。

これは私が書くべき物語なのか。自分にとって切実な何かが物語に含まれているのだろうか。悩みは尽きないものの、主人公への愛情は募る一方で、もうそんなのいいじゃん、切実な何かなんてなくても、これだけ愛情を注げる対象なら書いたらいいじゃん。

そう言い聞かせて書き上げました。書き上げてみると、切実な何かは確かにありました。あったから仕上げることができたんだとわかりました。

だから小説でもシナリオでも、頭で考えてはいけません。心と体で感じたこと、つまり直感を大事にする。

『小説かを見つけたら』という映画で、小説家役のショーン・コネリーがこんなことを言っていました。

「初稿はハートで書け。リライトには頭を使え」





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