21世紀最高傑作と信じて疑わないウルグアイ映画『MONOS 猿と呼ばれし者たち』。

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昨日はテーマのひとつである「性」について書きましたが、今日は「家族」についてです。『東京物語』と『機動戦士ガンダム』と同じ構造という主旨です。(昨日の記事はこちら⇒『MONOS』考察①セクシャリティとジェンダー

いま一度、物語のあらましを復習しておきましょう。公式HPからの転載です。

「世間から隔絶された山岳地帯で暮らす8人の兵士たち。ゲリラ組織の一員である彼らのコードネームは‟モノス”(猿)。「組織」の指示のもと、人質であるアメリカ人女性の監視と世話を担っている。ある日、「組織」から預かった大切な乳牛を仲間の一人が誤って撃ち殺してしまったことから不穏な空気が漂い始める。ほどなくして「敵」の襲撃を受けた彼らはジャングルの奥地へ身を隠すことに。仲間の死、裏切り、人質の逃走…。極限の状況下、‟モノス”の狂気が暴走しはじめる」


政府軍⇔反政府ゲリラ=モノス
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(以下、ネタバレあります)

「博士」と呼ばれるアメリカ人女性を幽閉しているので、モノスは誘拐を生業にする犯罪組織だと思ってました。コロンビアってマフィアがすべてを支配してるとか、そういうイメージが強いので。

ラストが、モノスから脱走したランボーが政府軍のヘリに救出されるシーンなので、そこで初めてモノスが反政府ゲリラの組織だと知りました。この映画は普通の映画のように説明をまったくしないので最後まで見てもわからないことが多々あります。ランボーがランボーという名前だというのも最後のほうで知ったし、最後まで名前のわからないキャラクターもいました。

それはともかく、政府軍と反政府ゲリラとの闘い、ゲリラの下部組織である「モノス」、これが『MONOS』における「政治」の根幹です。


モノスの暴走
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牛を殺してしまったこと、博士に脱走されたことによる組織司令部の懲罰があり、密告合戦の末に、モノスの面々は司令部へ連行されることになります。連行されたら殺されると思ったのでしょう、隊長のビッグフットは組織の上官を殺し、これからはモノス単体で活動することを宣言します。

モノスは上部組織へ反旗を翻し、政府軍だけでなく、ゲリラ組織まで敵に回します。

モノスは、観光客らしき人たちを襲撃し、金品を強奪していく。もはや彼らに「政治」など関係ありません。顔を黒塗りにして強盗に励む彼らは、ただの犯罪組織に堕してしまいます。


ランボーが追い求めた「家族」
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モノスは反政府ゲリラの下部組織ですが、それ以上に「家族」です。厳しい訓練を受けたり、リンチ制裁があったりしますが、牧歌的な側面もある家族です。それが、組織司令部の介入、博士の脱走によって崩壊していく。

『ゴッドファーザー』も『東京物語』もホームドラマの傑作ですが、どちらも「家族の崩壊」が主題です。『MONOS』も凄惨なアクション映画ですが、その系譜に連なる作品です。


ランボーがたどる道
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脱走した博士を追う過程で、ランボーがジャングルで出逢った夫婦に保護される。ランボーは子だくさんの夫婦の仲間となり、家族の温かみを知る。仲間が助けに来ても彼らから逃げ、激流の中に飛び込み、下流の川辺で気絶しているところを政府軍に救出されます。

モノスという暴力装置的家族から、子どもたちのいる普通の家族へ移る。しかし、そこでの生活が破綻し、最後は敵対していた政府軍に救出される。これがランボーがたどる道、『MONOS』の物語です。

「家族」は『MONOS』を読み解くうえで重要なキーワードです。


ファーストガンダムとの類似性
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私は『機動戦士ガンダム』を思い出しました。

アムロがガンダムのパイロットになったのは正規のパイロットがシャアたちの襲撃で大怪我をし、たまたま機械好きのアムロがそばにいて好奇心からマニュアルを読んだだけで乗ってみたら見事ザクを倒してしまった。成り行きです。ブライトがホワイトベースの艦長になるのも同様です。

ホワイトベースは地球連邦軍にとって捨て駒です。シャアたちをひきつけておく囮です。ホワイトベースがどうなろうと地球連邦軍の将軍ほか中枢の人間たちは何とも思わない。

『MONOS』に当てはめれば、組織司令部=地球連邦軍、モノス=ホワイトベース、政府軍=ジオン公国ということになります。

アムロに政治的信条などなかった。だから成り行きで軍服を着せられ、強制的に地球連邦軍の兵士にされることに強い反発を覚えます。

でもアムロもブライトもセイラもフラウ・ボゥもみんなホワイトベースという「家族」のために戦う。地球連邦軍のために戦っているわけではない。

最終的にホワイトベースの面々はア・バオア・クーでの壮絶な戦いを切り抜け、お互いがお互いを助け、全員が生き抜きます。

でも『MONOS』は違う。


あらかじめ運命づけられた悲劇
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なぜ違うかといえば、牛を殺したドッグを殺すべきか議論したり、ビッグフットが保身のために上官を殺したことに象徴されるように、彼らは自分の保身しか考えていないからです。

『ゴッドファーザー』は登場人物がみな家族のために行動するのに、それがすべて裏目に出て家族は崩壊します。対して、『東京物語』の子どもたち、山村聰や杉村春子は親の不幸に遭遇しても遺品の分けあいをしている。自分のことしか考えていない。それが末娘の香川京子の反発を招きます。

『MONOS』はだから『東京物語』と同じ構造です。ランボーは香川京子です。お互いがお互いのためを思いやる家族がほしい。その一心でランボーは激流に飛び込み、九死に一生を得て政府軍に助けられる。元は政府軍と敵対していたはずのモノスの一員が政府軍に命を救われるという皮肉きわまりないラスト。

ランボーほかモノスの面々は政治的組織に属しながら政治思想をもちあわせていなかった。それはアムロたちと同じです。そこまではいい。でも杉村春子のような親を厄介者としか考えない利己主義があだとなり、家族が崩壊してしまう。

「組織から預かった大切な乳牛を仲間の一人が誤って撃ち殺してしまったことから不穏な空気が漂い始める」というのは、だから当然なんですよね。あのとき死んだウルフという人間は前隊長で自殺なんですって。私はまったく憶えてないし、見ているときもそんな認識はなかったけど、ウィキペディアにそう書いてありました。

ウルフが過ちを犯したドッグのために行動できていれば。そうできるだけのリーダーシップがあればよかった。でもウルフは自殺し、組織司令部は利己主義の塊、ビッグフットを新リーダーに任命する。

もしかすると、組織司令部は地球連邦軍と同じように、モノスを「捨て駒」と見ていたのかもしれません。だからビッグフットでいい、どうせいつかは用済みになる、と考えたのでしょう。

ただ家族がほしかった。でも家族を家族と思わない利己主義者のために家族が崩壊した。

『MONOS』の物語を一言で要約するとこうなりましょうか。

まさか『東京物語』と同じ構造だったとは。驚きました。


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東京物語
笠智衆
2020-09-19



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