全26話ある『怪奇大作戦』の中でも最高傑作との呼び声高い第25話「京都買います」。この直前の第24話「狂鬼人間」が欠番なのは痛恨です。未見なので。死ぬまで見れないんですかね。
それはともかく、佐々木守さん脚本のこの「京都買います」はまことにすぐれた30分ドラマになっています。
科学による犠牲。それを科学によって回復しようとする矛盾。そして、人が人を恋することの、科学では割り切れない不可思議。
順を追って見ていきましょう。
①物語のあらまし

京都の仏像が次々と消えていく事件が示されます。そしてSRIの牧(岸田森)の調べによると、消えた仏像はどれも藤森教授という人物が研究したものばかり。そこで見かけた助手の女性、美弥子に牧は一目惚れする。
美弥子を追っていくと、ディスコで若者たちに「ねえ、あなたたち、京の都を売らない? 京都の市民なら売る権利があるわ。どお? ねえ、思い切って売らない?」などともちかけて「京都市民として歴史的文化財の一切の権利を譲渡する」と書かれたビラに署名してもらっている。みんな冗談半分だが数多くの署名が集まる。
京都を買うとはどういうことか。牧が美弥子を追っていくと、いまの京都は排ガスで汚れており、仏像が安心して住める町ではなくなった、という。美弥子は何よりも仏像を愛しているという。藤森教授と一緒に仏像の町を作ってやりたい、と。牧は「僕は現実に生きている人のほうが好きだな」と返す。彼女には通じない。
しかし、一緒にお汁粉を食べると、美弥子は「生きた男の人とお話するのが楽しいといまは思います」と牧によろめきかけていることをほのめかす。
仏像が消えた現場から、ある装置が発見される。カドミウム光線を出す装置で、物質を元素にまで解体して別の場所へ電送できる装置だという。(『ザ・フライ』でジェフ・ゴールドブラムが発明したやつとほとんど同じですね)
美弥子を追っていた牧は、彼女がある寺に同じ装置を取り付けたのを発見してしまう。好きな女が犯人だった。しかし牧はSRIの人間としてそれを警察に知らせる。藤森教授は逮捕され、美弥子もどこへやらと消えてしまう。「仏像以外を信じようとした私が悪かった。ただそれだけです」という言葉を残して。(え、彼女は逮捕されないの? と思いましたけどね。実行犯なのに)
数か月後なのか数年後なのか、牧がある寺を訪ねると尼となった美弥子がいる。彼女は言います。
「須藤美也子は幸せに暮らしているとお伝えくださいと言われています。どうかあなたもお幸せに」

牧が去ろうとして振り返ると、何と、彼は美しい仏像と話していた! という驚愕のエンディングでした。
②科学に科学で復讐する?

実は、本当のラストショットはこの画像です。公害にまみれた京都の町の姿で幕を閉じます。
冒頭、藤森教授が美弥子と同じようなことを言うシーンがありました。
「考えてもごらんなさい。近頃の京都の変わりよう。古来の仏像が安心して住めるところではあらしまへん」
科学によって高度経済成長を迎えた60年代のニッポン。おかげでSRI=科学捜査研究所なるものまでできた。でも、その科学によって町は荒らされ、神々や仏が暮らせるところではなくなってしまった。
その嘆きはわかります。しかし、だからといってカドミウム光線を使った電送という「科学」で仏像を盗むというのがわからない。そりゃま実際問題として、そうでもしないと盗めないということなんでしょうが、毒を以て毒を制すというようなやり方は私は好きではない。鼠小僧のように忍び込んで盗むやり方なら称賛したでしょうが。
しかし、この「京都買います」の肝は、仏像を盗むとかその手口とか科学的なあれこれではなく、やはり私が最初に「これがラスト」と言った場面でしょうね。つまり、牧が実は仏像と話していたというあそこ。
③科学では解明できない「恋情」

あのラストにはいろんな解釈があるようですが、いくら美弥子が仏像好きといっても彼女が仏像に変身したとする解釈には無理があります。牧は仏像を見て美也子だと勘違いして話しかけていたんです。
この「京都買います」のテーマは「恋情」だと私は思います。
牧は美弥子が好きである。
美弥子は仏像が好きである。
この「好き」という気持ち、科学では割り切れない人間の心の不可思議さに、第15話「かまいたち」同様、切り込んでいったのが「京都買います」の本質です。
京都を売ってくださいと署名を集め、実際に盗む手伝いをするほど仏像が好きな美弥子の気持ちが牧には理解できない。
その美弥子に牧がなぜ惹かれるのか、私たちにはわからない。(牧自身にはもっとわからない)
「仏像以外を信じようとした私が悪かった。ただそれだけです」という美弥子の言葉は牧への「告白」ですが、彼を好きになってしまったから足がついてしまった。仏像だけを愛していればよかったのに、生きた人間を、それも「科学」の側の人間を愛してしまった。その理由は我々にも美弥子自身にもきっとわからない。
「須藤美也子は幸せに暮らしているとお伝えくださいと言われています。どうかあなたもお幸せに」
という美弥子の言葉は牧の幻聴です。彼は美弥子が忘れられなくて神社仏閣巡りをしていた。そこで彼女自身の口から「あたしのことはあきらめてください」と言ってほしいあまり、あのような幻想を見てしまった。
幻想だったと気づいたために、自分の心の奥底の願望(美弥子への恋情)に直面せざるをえなくなり、コートをかぶって逃げるように去っていったのでしょう。
科学は万能ではありません。実際、幻想や幻聴など科学では解明できないことが起こるのが人の世の常。なのに科学こそ万能であり、だから科学による排ガスをまき散らすことは正当だと主張する現代社会に、藤森教授と美弥子は反旗を翻したのでしょう。
④実相寺演出

実相寺昭雄監督による映像演出は例によってマスターショットを撮らずにシーンを構成するのを基調にしています。ディスコのシーンはその最たるものですね。↑このようなマスターショットもありましたけど……

こんな感じで画面いっぱいに人物を映すシーンが多かった。余白がほとんどなく、周りの状況もよくわからないので息苦しさを覚えます。排ガスで苦しい思いをしている仏像の気持ちを感じるほどに。
関連記事
考察①第3話「白い顔」(驚喜するもの=戦慄するもの)
考察②第7話「青い血の妻」(愛情と憎しみ、神と悪魔)
考察③第9話「散歩する首」(恐るべき速さ!)
考察④最高傑作第16話「かまいたち」(わからないがゆえにわかる)
考察⑤第18話「死者がささやく」(恐るべき速さ、再び)

それはともかく、佐々木守さん脚本のこの「京都買います」はまことにすぐれた30分ドラマになっています。
科学による犠牲。それを科学によって回復しようとする矛盾。そして、人が人を恋することの、科学では割り切れない不可思議。
順を追って見ていきましょう。
①物語のあらまし

京都の仏像が次々と消えていく事件が示されます。そしてSRIの牧(岸田森)の調べによると、消えた仏像はどれも藤森教授という人物が研究したものばかり。そこで見かけた助手の女性、美弥子に牧は一目惚れする。
美弥子を追っていくと、ディスコで若者たちに「ねえ、あなたたち、京の都を売らない? 京都の市民なら売る権利があるわ。どお? ねえ、思い切って売らない?」などともちかけて「京都市民として歴史的文化財の一切の権利を譲渡する」と書かれたビラに署名してもらっている。みんな冗談半分だが数多くの署名が集まる。
京都を買うとはどういうことか。牧が美弥子を追っていくと、いまの京都は排ガスで汚れており、仏像が安心して住める町ではなくなった、という。美弥子は何よりも仏像を愛しているという。藤森教授と一緒に仏像の町を作ってやりたい、と。牧は「僕は現実に生きている人のほうが好きだな」と返す。彼女には通じない。
しかし、一緒にお汁粉を食べると、美弥子は「生きた男の人とお話するのが楽しいといまは思います」と牧によろめきかけていることをほのめかす。
仏像が消えた現場から、ある装置が発見される。カドミウム光線を出す装置で、物質を元素にまで解体して別の場所へ電送できる装置だという。(『ザ・フライ』でジェフ・ゴールドブラムが発明したやつとほとんど同じですね)
美弥子を追っていた牧は、彼女がある寺に同じ装置を取り付けたのを発見してしまう。好きな女が犯人だった。しかし牧はSRIの人間としてそれを警察に知らせる。藤森教授は逮捕され、美弥子もどこへやらと消えてしまう。「仏像以外を信じようとした私が悪かった。ただそれだけです」という言葉を残して。(え、彼女は逮捕されないの? と思いましたけどね。実行犯なのに)
数か月後なのか数年後なのか、牧がある寺を訪ねると尼となった美弥子がいる。彼女は言います。
「須藤美也子は幸せに暮らしているとお伝えくださいと言われています。どうかあなたもお幸せに」

牧が去ろうとして振り返ると、何と、彼は美しい仏像と話していた! という驚愕のエンディングでした。
②科学に科学で復讐する?

実は、本当のラストショットはこの画像です。公害にまみれた京都の町の姿で幕を閉じます。
冒頭、藤森教授が美弥子と同じようなことを言うシーンがありました。
「考えてもごらんなさい。近頃の京都の変わりよう。古来の仏像が安心して住めるところではあらしまへん」
科学によって高度経済成長を迎えた60年代のニッポン。おかげでSRI=科学捜査研究所なるものまでできた。でも、その科学によって町は荒らされ、神々や仏が暮らせるところではなくなってしまった。
その嘆きはわかります。しかし、だからといってカドミウム光線を使った電送という「科学」で仏像を盗むというのがわからない。そりゃま実際問題として、そうでもしないと盗めないということなんでしょうが、毒を以て毒を制すというようなやり方は私は好きではない。鼠小僧のように忍び込んで盗むやり方なら称賛したでしょうが。
しかし、この「京都買います」の肝は、仏像を盗むとかその手口とか科学的なあれこれではなく、やはり私が最初に「これがラスト」と言った場面でしょうね。つまり、牧が実は仏像と話していたというあそこ。
③科学では解明できない「恋情」

あのラストにはいろんな解釈があるようですが、いくら美弥子が仏像好きといっても彼女が仏像に変身したとする解釈には無理があります。牧は仏像を見て美也子だと勘違いして話しかけていたんです。
この「京都買います」のテーマは「恋情」だと私は思います。
牧は美弥子が好きである。
美弥子は仏像が好きである。
この「好き」という気持ち、科学では割り切れない人間の心の不可思議さに、第15話「かまいたち」同様、切り込んでいったのが「京都買います」の本質です。
京都を売ってくださいと署名を集め、実際に盗む手伝いをするほど仏像が好きな美弥子の気持ちが牧には理解できない。
その美弥子に牧がなぜ惹かれるのか、私たちにはわからない。(牧自身にはもっとわからない)
「仏像以外を信じようとした私が悪かった。ただそれだけです」という美弥子の言葉は牧への「告白」ですが、彼を好きになってしまったから足がついてしまった。仏像だけを愛していればよかったのに、生きた人間を、それも「科学」の側の人間を愛してしまった。その理由は我々にも美弥子自身にもきっとわからない。
「須藤美也子は幸せに暮らしているとお伝えくださいと言われています。どうかあなたもお幸せに」
という美弥子の言葉は牧の幻聴です。彼は美弥子が忘れられなくて神社仏閣巡りをしていた。そこで彼女自身の口から「あたしのことはあきらめてください」と言ってほしいあまり、あのような幻想を見てしまった。
幻想だったと気づいたために、自分の心の奥底の願望(美弥子への恋情)に直面せざるをえなくなり、コートをかぶって逃げるように去っていったのでしょう。
科学は万能ではありません。実際、幻想や幻聴など科学では解明できないことが起こるのが人の世の常。なのに科学こそ万能であり、だから科学による排ガスをまき散らすことは正当だと主張する現代社会に、藤森教授と美弥子は反旗を翻したのでしょう。
④実相寺演出

実相寺昭雄監督による映像演出は例によってマスターショットを撮らずにシーンを構成するのを基調にしています。ディスコのシーンはその最たるものですね。↑このようなマスターショットもありましたけど……

こんな感じで画面いっぱいに人物を映すシーンが多かった。余白がほとんどなく、周りの状況もよくわからないので息苦しさを覚えます。排ガスで苦しい思いをしている仏像の気持ちを感じるほどに。
関連記事
考察①第3話「白い顔」(驚喜するもの=戦慄するもの)
考察②第7話「青い血の妻」(愛情と憎しみ、神と悪魔)
考察③第9話「散歩する首」(恐るべき速さ!)
考察④最高傑作第16話「かまいたち」(わからないがゆえにわかる)
考察⑤第18話「死者がささやく」(恐るべき速さ、再び)

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