『(ハル)』(1996、日本)
脚本・監督:森田芳光
出演:深津絵里、内野聖陽、戸田菜穂


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日本映画専門チャンネルで劇場公開時以来、四半世紀ぶりに再見しました。やはり素晴らしい。

パソコン通信という昔懐かしい「新しいコミュニケーションツール」で出逢う男「ハル」と女「ほし」の物語。

私が感じる素晴らしさと違和感を、主、①読む映画、②一瞬の邂逅、③ローズ問題の3点に絞って綴ってみます。(以下ネタバレあります)


①読む映画
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パソコン通信でメールする二人の物語なんですが、メール文面をすべてゆっくり読める速度で見せるため、確か「読む映画」なんてキャッチコピーがあったように記憶しています。映画評論家の秋本鉄次さんが「映画を読ませてどーする」と揶揄していましたが、私はとてもいいと思いました。

それどころか、ハルもほしもお互い嘘もつくけどすぐ嘘とばらすし、本音だけを語り合えるんだな、うらやましいな、とこの映画の時点ではメールもネッ友未経験だった私はうらやましく思いましたし、ハルの「ほしには本音を言える」みたいな言葉にも、そういうものなのかも、特に日本人は、と思いました。キャラクターの真実が如実に文面に出ているので息をつまらせて読み耽ったものです。

「読む映画」というのは、パソコン通信がなくなりチャットもほとんどの人がしなくなり、ツイッターとかインスタとかLINEとかのSNS全盛の時代になっても充分新しいと思う。

何より、文字の出し方に工夫がありますよね。文章のどこまでをまず見せ、どこからを次のタイミングで見せるか、すごく知恵を絞っています。一文字ずつ見せていくべきところはそうしているし、カットで次のシーンに行ったり、フェイドアウトを使ったり、その場その場の見せ方に工夫とけじめと繊細さがあって、それこそ息をつめて見る/読むしかない。素晴らしい脚本と演出です。


②一瞬の邂逅
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当時、友人とこの映画について語り合ったとき、ハルがほしの住む盛岡に出張で行くことになって、新幹線の中からハルがほしを撮り、ほしがハルを撮影する。この一瞬の邂逅があるかないかでは大違いだ、もしなければぜんぜん違う映画になっていたかもしれない、最後の感動もなかったかも、と意見の一致を見ました。

それほどこの一瞬の邂逅シーンは素晴らしいし、クライマックスでも回想シーンとして最大の盛り上がりを見せます。


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二人はハンカチを振りながら手持ちカメラで撮っているので、拡大してもこんな感じにしか見えない。確かに出逢っている。でも出逢っていない。顔が見えそうで見えない。見えないからよけい見たくなる。

しかも、おそらく二人とも相手が本当に大人の異性かどうか疑いがあったと思うんですよね。もしかしたらネカマかもとか(ネカマという言葉はまだなかっただろうけど)子どもが大人のふりをしているだけかもとか。

でも、その疑いは払拭された。でもちゃんと出逢えていない。だからこそ会いたい。


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ラストシーンで二人は東京駅で「最初の対面」を果たすのですが、その前にこの邂逅があるから、相手への想いが増幅する仕掛けになっています。

ただ、その増幅の仕掛けにはもうひとつあって、それが「ローズ問題」です。


③ローズ問題
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ハルにはもともと彼女がいて、ほしは事故死した彼氏のことを引きずっているのが冒頭の設定なのですが、ハルは彼女に振られてローズというハンドルネームの女性とのメールを楽しみます。

ここで25年前の私がドン引きしたのが、戸田菜穂演じるローズが、深津絵里演じるほしの妹だということが明かされるのです。しかもあの一瞬の邂逅シーンの直後、つまり終盤にです。

この偶然には完全に鼻白んでしまいました。東京と盛岡、離れて暮らす男と女の空間的な広がりをもった物語世界が急に小さなものに感じられたのです。そしてハルは「ローズとセックスした」とメールで嘘をほしに言っていたので、それが原因となって二人の関係が危機を迎えるのは容易に想像がつきます。

安易だと思いました。

今回はすでにそれを知っていて見たので興醒めはしなかったけど、ほしが自分の妹とハルがひそかに知り合いだったことに嫉妬する展開はやはり安易じゃないかと思いました。

しかしながら、このクライシスがないと二人は実際に会わないとも思うんです。激しい嫉妬をするから自分の中にハルへの想いがあることを知るほし。セックスしたと言ったのは嘘だよと慌てて言い訳するからほしへの想いに気づくハル。

ほしはたぶんハルと妹が肉体関係かどうかなんてたいしてこだわってないと思います。でもハルは嘘を言った手前、そんな事実はないと声高に言わねばならない。しかし言えば言うほどほしは言葉を返してくれない。なぜ? これだけあれは嘘だと言ってるしこんなに謝っているのに。とハルは思う。

ほしはそんなの関係ない。そんなことより自分はハルとあんなお互いの顔もわからない出逢い方しかしていないのに、妹とは実際に会って話をしている。メールで毎日文字のやりとりをするよりもっとたくさんの言葉を交わしている。そのことに激しく嫉妬する。

そのためにローズがほしの妹という設定が必要だったのはわかります。ほしは友人が多いタイプではないから親友という設定にはできない。だから妹にするしかない。それもわかります。

でも、それなら、ほしとローズが姉妹であることをローズの登場場面で観客にばらしておくべきだと今回思いました。なまじラスト近くでばらすから「そんな偶然あり?」と鼻白んでしまうのです。

観客にローズとほしが姉妹だと前もって知らせておく。でも二人はハルというメル友を共有しているとは露とも知らない。登場人物が知っている情報量より観客が知っている情報量を多くしておくのです。

この映画は観客が知っている情報量と登場人物が知っている情報量はほぼ等しくなっていて、それはまだいいんですが、決定的に良くないのは、作者が知っていることを終盤まで観客に知らせないこと、つまり観客が知っている情報量より作者が知っている情報量のほうが多いこと。だから「そんなのあり?」と裏切られた気持ちになる。

作者が知っている情報量と観客が知っている情報量を等しくしておいたうえで、登場人物が知っている情報量はそれより少なくしておくと、その差が「いつばれるのか」というサスペンスを生むし、ばれることを期待する。観客は意地悪ですからね。主人公が困った事態に陥るのを常に期待するし、その期待が叶えられると手を叩いて喜ぶ。

ローズとほしの関係を最初に売っておかなかったのはすごく惜しいと、25年前は思いもしなかったことを思いました。

この映画が公開されたのは私が撮影所を辞めてすぐの頃。まだ脚本家を目指すために勉強中だったときで、登場人物、観客、作者、それぞれが知っている情報量の関係なんかほとんど知らなかった。だからこんな簡単な解決法には思い至りませんでした。


蛇足
たくさん言葉をやりとりしていた二人が最後に出逢う映画って、私はルビッチの『街角(桃色の店)』と、そのリメイク『ユー・ガッタ・メール』、それと『ダイ・ハード』ぐらいしか思いつかないんですが、他に何かあるのでしょうか。


街角 桃色の店(字幕版)
マーガレット・サラヴァン
2020-06-01






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