昨夜、素敵な言葉を読み、ほっこりしたいい気持ち眠ることができました。

私も去年応募した文學界新人賞の来年9月締切の募集要項が発表されたらしいんですが、まず去年今年とは審査員が半分くらい変わっています。確か去年応募したときは東浩紀さんがいた。あとは中村文則さん以外は新任じゃないだろうか。よく憶えてないけど。

で、金原ひとみさんも新任審査員の一人なんですけど、公式HPに載っている、審査員の「こういうのを読ませてほしい」「こういうのを応募すべし」みたいな言葉の中で、金原ひとみの言葉は一味違うということで話題になっているようです。

まず、他の四者の言葉をお読みください。

青山七恵
「言葉では言えそうにないことを、言葉でしか表せないものに変えるのが小説だと思います。それ以外にはどんな言い換えもきかない、あらゆる表現の可能性をかいくぐった、タフな小説を読ませてください」


阿部和重
「選考に際してはまず作品の志向性を読みとり、その難易度や達成度をはかりつつ各作を比較します。独自性や新奇性や革新性を歓迎しますが、それは伝統性をただちに退嬰的と見なすことの表明ではありません。娯楽性を軽視することもないでしょう。いずれにせよ完成度や趣向性の高低によって評価は定まります。以上が個人的な選考基準です。ふるってご応募くださいませ」


中村文則
「現代の文学シーンでデビューするにはどうすればいいかとか、そんなことを考える必要はありません。ただあなたの文学を、全力で小説に込めればいいです。シーンなどあなたが変えてしまえばいい」


村田沙耶香
「小説家とは職業ではなく人間の状態なのではないか、と尊敬する方が仰っていたことがあります。その状態でしか生み出せない、新しい言葉にたくさん出会えるよう願っています。同じ書く生きものとして、未知の小説を読むのを楽しみにしています」


なるほど、皆さん、ひとかどの小説家だけあって言うことも一流。

でも応募した経験のある者からすると、ちょっと「怖い」のです。

確かに言っていることはすごく正当だし、そうでなくちゃ困る、と思うのだけど、自分が書いた作品がこの人たちの気に入るだろうか。こんなの出しても鼻で笑われるだけじゃないだろうか。と、いらぬ心配をしてしまうのです。

そんななか、金原ひとみさんの言葉は異彩を放っています。たった一言です。


kanaharahitomi

「何でもいいよ! 小説書けたら送ってみて!」

何か救われる。涙があふれた。自分が書いたこんなものでもいいんだ、と思えるし、もっと大げさに言えば、自分みたいな人間も生きてていいんだと思える。両親から否定されて生きてきた者からすると、この全肯定された感じは救い以外の何物でもない。こういうことをさらっと言えるから『蛇にピアス』みたいな作品が書けるのでしょう。(すいません、『蛇にピアス』しか読んだことないです)

今年の文學界新人賞は先月末で締め切られてるのでもう出すことはできません。完成したら何に出すか考えます(しかしたかだか原稿用紙100枚ちょっとの作品に一年もかかるとは思わなかった)。文学賞には疎いので金原ひとみさんが他の文学賞でも審査員を務めているのかは知りません。

誰が審査員だろうと、「何でもいいよ! 書けたら送って」というプロの小説家が少なくともこの世に一人いるとわかっただけでも気が楽になりました。

自分で言うのもナンですけど、今回の小説、主人公のキャラクターには自信があります。自信というより、単に私がその子のことが好きなのです。

15歳の高1女子なんですが、もし現実にこの子が存在したら会ってみたいと思える。それはこの作品を読んだ人すべてがそう思ってくれるんじゃないかと書き直すごとに期待が高まっています。お話が面白いのかどうか、語るに値するものなのかどうかについてはまったく未知の領域です。(そこまでわかったら苦労せんわ)

というわけで、ラストスパートします!


蛇にピアス (集英社文庫)
金原ひとみ
集英社
2019-06-14



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