2021年09月08日

メナヘム・ゴーランとヨーラン・グローバスの二人が立ち上げたキャノンフィルムズの栄枯盛衰を描いたドキュメンタリー『キャノンフィルムズ爆走風雲録』をWOWOWにて視聴。無類の面白さでした。そして身につまされる痛い映画でした。


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メナヘム・ゴーランって一時期のアメリカ映画でよく名前を見たプロデューサーであり監督でもあったけど、ディノ・デ・ラウレンティスと同様、「よく名前を見るけどよく知らない人」だった。

『オーバー・ザ・トップ』が彼の作品なのは知ってたけど(監督もしてるしね)、『ゴダールのリア王』『フール・フォア・ラブ』『ラヴ・ストリームス』がキャノン作品なんてぜんぜん知らなかった。見てるのに。

ただ『オーバー・ザ・トップ』は大好きな作品ですが、アメリカでは当たらなかったんですってね。これも知らなかった。私が本格的に映画を見始めたのは80年代末というか厳密には90年代からなので、彼らが没落したあとだったのかな。


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根っからの映画好きの二人ですが、とにかく映画を作りたいメナヘム・ゴーランと、彼が言うには「権利を売り買いするのが好き」なヨーラン・グローバスはタイプが異なり、それがゆえに上昇気流に乗っているときは車輪の両輪になって強いんでしょうが、座礁しかかると「おまえが悪い」と責任をなすりつけあって決裂してしまう。

実際は、どちらが悪いというわけでもなく、どちらも悪いんでしょうね。二人とも「数」にこだわってしまったから。

「メジャースタジオが10年かかって作る本数を奴らは1年で作る」と誰かが言ってましたが、とにかく低予算でどんどん作っていくバイタリティはたいしたもの。しかし、結局たくさん作ることを至上命題にして粗製乱造してしまい、買い手が離れていってしまう。

そこで彼らが打った手は、何と他の会社の買収。。。

そりゃ沈没しますわな。会社を大きくすれば彼らの得手ではない大規模予算の映画を大ヒットさせざるをえない。そうなると低予算のときのフットワークのよさは失われてしまう。しかも「たくさん作る」体質は変わってないので、『スーパーマン4』に全身全霊をこめないといけないときにも他の作るべき企画をたくさん抱えていて情熱も金も分散してしまい、すべてが中途半端に終わる。

このへんはまるで自分のことのようで身につまされました。

私があるシナリオコンクールで受賞したとき、10社のプロダクションに売り込んだんですが、唯一ある会社の社長さんが「面白い」と返事をくれました。「面白いとは思うがこれを映画化したいとは思わない」。でもある人気シリーズの企画コンペに参加させてくれたり、「独自の企画があればいつでも送ってきなさい」と言ってくれました。

私はじっくり腰を落ち着けないといけなかった。なのに、キャノンの二人が『スーパーマン4』1本に全身全霊をこめないといけないときに、あれもやりこれもやりとすべてが中途半端に終わったのとまったく同じように、「数」にこだわってしまった。あまり間が空くと忘れられてしまうと思い、粗製乱造してしまった。で、結局「もう送ってくるな」みたいなことを言われて、ジ・エンド。あれは痛恨。やり直せるものならやり直したいが、もうそれは叶わぬ夢。

メナヘム・ゴーランはこの映画が完成した2014年に亡くなっているようです。そのゴーランがこの映画の最後のインタビューを受けているとき、製作者陣の手引きで喧嘩別れしたヨーラン・グローバスが入ってくる。二人は20年の時を飛び越えて悪態をつく。ここらへんは男の子でないとわからない感覚でしょうか。

そして二人は一緒に自分たちの映画を見る。


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あのときは忙しすぎてゆっくり見る暇がなかった。という二人は、主題歌が流れると一緒に歌い出します。ゆっくり見る暇はなくても編集やダビングで何度も見てるからか歌は憶えてるんですね。

『ニュー・シネマ・パラダイス』もこういうふうにしなきゃいけなかったと思いますよ。回想形式にする以上、主人公は子どものトトではなく中年になったトトなんだから、若者から中年に至るまでの彼に何があったのかをきちんと描かないと、ラストでキスシーンの連続を見るトトの胸中がわからないし、見たあとでトトがそれを明日からの人生にどう活かすのかも見えてこない。

『キャノンフィルムズ爆走風雲録』のこのラストシーンは本当に素晴らしかった。もう叶わない夢。もう戻ってこない若い日々。悔恨。まだ失わない飽くなき情熱。いい映画でした。








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