2021年08月26日

カンヌで脚本賞と国際批評家連盟賞など全4賞に輝いた濱口竜介監督最新作『ドライブ・マイ・カー』を見てきたんですが、これが噂にたがわぬ大傑作でした。(以下ネタバレあります。ご注意を)


泣いた
drivemycar1

クライマックス、ドライバーの三浦透子に連れられて彼女の故郷(ほんとに故郷かどうか定かじゃないが)に来た西島秀俊が、

「僕は正しく傷つくべきだった。そうすれば妻は死ななかったかもしれない。謝りたい。生きて帰ってきてほしい。でももう取り返しがつかない」

みたいなことを言って泣きますが、私もさめざめと泣きましたね。ここに至るまでの「言葉」についてのドラマ(それはつまり「ホント」と「ウソ」をめぐるドラマ)の結構があまりにしっかりしているので、3時間という長丁場をものともせず観客の心を鷲づかみにできたのだと思います。


乗れなかったオープニング
drivemycar4

ただ最初はまったく乗れませんでした。セックスのあと、妻の霧島れいかが構想している物語を語るじゃないですか。

私はもともと濱口竜介監督の作品を面白いと思ったことがないんです。大人気の『ハッピーアワー』も『寝ても覚めても』も『親密さ』も。だから、架空の物語をああでもないこうでもないと語り合うオープニングにまったく乗れず、ここからまだ3時間もあるのかと暗澹たる気持ちになり、劇場脱出しようかと思ったほど。

しかもそのあとも、チェーホフの『ワーニャ伯父さん』のセリフを西島秀俊が車内で稽古する姿を見せられたり、常に映画というウソの中にもうひとつ別のウソがあるのでなかなか乗れませんでした。劇中劇ならまだしも劇中妄想ですからね。

ただ、私もかつて脚本を書いていた人間のはしくれとして「セリフというのは脚本家や劇作家が考えた言葉(ウソ)だけど、一度肉体をもった役者が発語した以上、それはその役者の言葉(ホント)だ」ということを乗れないながらも考えていました。


ブルース・リー「考えるな、感じろ」
o0626028514783135448

ブルース・リーの言葉とされる「考えるな、感じろ」は『燃えよドラゴン』の中のセリフです。だからあれはあの映画の脚本家が考えた言葉です。なのにブルース・リーの言葉として語り継がれています。

そうです。「考えるな、感じろ」はまぎれもなくブルース・リーの言葉です。

紙に書かれた言葉はしょせん観念にすぎません。声に出して初めて受肉するのです。

この『ドライブ・マイ・カー』を見ている間、ずっと「考えるな、感じろ」が頭の中で渦を巻いていました。


「言葉」をめぐる物語
kirishimareika

この映画が「言葉」、つまり「ホント」と「ウソ」をめぐる映画であることは誰の目にも明らかです。

霧島れいかは岡田将生と不倫していながら西島秀俊に「あなたのことを一番大切に思っている。あなたでよかった」という。それがホントかウソかはもう誰にもわからない。

西島秀俊は演出も兼ねる舞台俳優で、海外の演劇祭に審査員として呼ばれるくらい世界的な役者。霧島れいかはテレビの脚本家。どちらも言葉を生業にしている。

彼らが書き、語るセリフはすべて「ウソ」です。芝居の言葉は100%ウソ。でもそのウソを手掛かりに劇作家や脚本家は真実を探求する。だからそのウソはホントの裏返しでもある。

事実、『ワーニャ伯父さん』のいろんなセリフが要所要所で登場人物の気持ちとリンクしてヒリヒリするような痛みを発していました。

一番グッとくるのは、やはり岡田将生の「私が殺した」ですよね。

霧島れいかが冒頭で語っていた、ある女子高生が好きな同級生の山賀という男の家に空き巣に入り、自分が入った痕跡としてパンツを脱いで置いておくという倒錯的な物語。西島秀俊は空き巣の最中に誰かが入ってきたところまで知らなかった、つまり結末を知らずに死に別れてしまったんですが、不倫相手の岡田将生と初めて腹を割って話をしたら、彼が「僕は結末を知っています」と語り始める。

入ってきたのは別の空き巣で、女子高生はその空き巣に襲われて殺した。でも翌日、山賀は何事もないふうで特に事件のニュースもない。変わったことは山賀の家に監視カメラがつけられたことだけ。でも女子高生は確かに自分のしたことだから責任を取らねばと、その監視カメラに向かって「私が殺した」と音がなくてもはっきりわかるように何度も喋った、と。

私が殺した。

西島秀俊は妻から「今夜話がある」と言われていたのに、離婚を切り出されたらどうしようと不安でわざと遅く帰った。すると妻がくも膜下出血で帰らぬ人となった。もしあのとき不倫や離婚に向き合う覚悟があれば救えていたかもしれない。私が殺した。


drivemycar3

それは岡田将生の言葉でもある。彼はテレビに出て売れっ子になりかけたのに、女性スキャンダルで干されていた。だから、西島秀俊が広島でやる演劇祭に応募してきた。一般市民パパラッチに悩まされている彼は、その日もこっそり写真を撮る不届きな輩を追いかけた。殺すつもりはなかったけど、殴られておそらく頭の打ちどころが悪くて翌日死んでしまい、彼は警察に逮捕される。私が殺した。

ドライバーの三浦透子も同じ。母親の暴力に苦しめられていた彼女は、災害で生家が崩れ落ちたとき、自分は真っ先に外へ出られたけど、母親が中にいるとわかっていながら助けに戻らず、母親は死んだ。私が殺した。

岡田将生が車内で「私が殺した。私が殺した。私が殺した」と繰り返すとき(あのカメラ目線の芝居は神がかっていた)我々観客は、ホントに彼が霧島れいかからそういう物語の結末を聞いたと思う。

だけど、彼が逮捕されてからは、彼は自分の暴力によって人が死ぬことを予感していたのではないかと思う。警察が来たときあまりにあっさり容疑を認めるし。すぐに救急車を呼べば助かると思いながら、「うまく自分をコントロールできない」岡田将生は放っておいたのだろう、と。

だから、その後の車内であんな作り話をしたのかもしれない。それはもうわからない。少なくとも彼が娑婆に出てくる数年後までは。

いずれにしてもあの「私が殺した」という言葉を聞いた西島秀俊の心中で「俺が妻を殺したのだ」という心の傷がまた大きく疼きだす。ウソだろうとホントだろうとそれは変わらない。そこが大事。

実際、西島秀俊は言葉の意味など考えず、ただ言葉そのものを感じ、動揺する自分を感じていた。

しかし、三浦透子のあのエピローグは何なんでしょうね? 北海道出身、広島在住と言っていたのに韓国で暮らしてるし、演劇祭スタッフの家の犬を車に乗せてるし。しかもその車は西島秀俊の車と同じやつ。

ほんとは韓国人だけどウソを言ってたってことですか? 母親についての込み入った話も全部ウソ? 何のために? あの朴訥そうな韓国人のスタッフが仕組んだんですか? 別にそんなにはっきりすべてがウソだと見せる必要はなかったように思いますがね。『ワーニャ伯父さん』が終幕して拍手喝采でエンドマークでよかったのでは?

「奥さんの言葉はウソだったかもしれないしホントだったかもしれない。そういうの全部込みでまるごと受け止めてあげることはできませんか?」って言っていたのに。。。


言葉=声(考えるべきか、感じるべきか)
drivemycar2 (2)

言葉に関する別の面白い仕掛けは、霧島れいかが死んだあとも彼女の声を西島秀俊が聴くことです。普通、あんな死に別れの仕方をしたらその人の声なんか聴けないんじゃないかと思いますが、西島秀俊は『ワーニャ伯父さん』の稽古に彼女の声が入ったテープを車内で必ず聴く。彼の間合いでワーニャのセリフをしゃべり、それだけの間をあけて彼女が他のセリフを喋る。

西島秀俊にとっても、彼に感情移入して見ている我々にとっても、霧島れいかの声はほとんど亡霊の声です。ただでさえ声が録音されるとその時点で「情報」と化すのに、その声の主はすでに死んでいるからよけいに不変の情報として固着せざるをえない。

でも、それを聴いた三浦透子は「声がとても素敵で好きです」という。彼女はそのときまだ霧島れいかの死を知らない。それでも「声が好き」というのは重要です。声とはつまり音(霧島れいかの役名でもある)であり、音とは空気の波動です。言葉とは空気の波動にすぎないのです。

なのに、その空気の波動に人は惑わされる。三浦透子のようにただ波動を感じればいいのに、他の登場人物や我々観客のように意味ばかり考えてしまう。

考えるな、感じろ。

西島秀俊は浮気現場を目撃したとき激しく動揺した。ならその感情のまま行動すればよかった。男を追い出すなり、妻を問いつめるなり。それは彼自身がクライマックスで言うことだけど。

でも一方で、岡田将生のように感情の赴くままに行動していると、人生が破綻してしまう。難しい。

少なくとも、西島秀俊のように、痛みや憎しみを感じているはずなのに感じてないふりだけは絶対ダメということですね。

しかし彼はなぜあのとき何も感じていないふりをしたのでしょう?

感情をこめない言葉そのものを体に入れてから始める、というのが彼の演出手法で、それが染みついていると感情表出に時間がかかるのかもしれない。

となると、なぜ彼があのような独特な演出手法を取るようになったのかについて何も言及がないのはちょっとがっかりな気もします。もしかすると、この物語の根っこは彼の演出手法にあるのかもしれないわけですから。

しかし、すべてはこの一言で終わらされてしまいそうです。






o0626028514783135448


とてもよかったので『ハッピーアワー』など見直したほうがいいかもしれませんね。考えずに、感じて。

蛇足ながら、この映画ではタバコとライターがとても印象的かつ効果的に使われていました。やはりタバコは映画を豊かにする小道具ですね。タバコをこの世からなくしてはいけない。



Drive My Car Original Soundtrack
NEWHERE MUSIC
2021-08-18




  • このエントリーをはてなブックマークに追加

コメントする

このブログにコメントするにはログインが必要です。