兄の薦めで、みうらじゅんとリリー・フランキーの対談本『どうやらオレたち、いずれ死ぬっつうじゃないですか』を読みました。

特に「お!」と唸った言葉について感想をつらつらと綴ります。


miurajun-riry (2)

リリー
「副流煙が迷惑だ」みたいなことを言う人がいるけど、そんな迷惑を考えたらファミレスの隣で話しているくだらない話が耳に入るだけで、こっちだって相当迷惑してるんだって言いたいですよね。喫煙席と禁煙席じゃなく「面白くない話するヤツ席」を作ってほしい。

ハハハ。これは面白いというか、私は面白くない話も含めて他人の話に興味があるので別にそんな席がほしいとは思わないが、喫煙者ばかりを迫害するここ20年、30年くらいの政府のやり口には非喫煙者だけど憤りを感じているので、「我が意を得たり!」って感じだった。自分が受けた迷惑にだけ敏感で、自分が他人に与えているかもしれない迷惑には鈍感な人が増えてますね。


リリー
そもそも喧嘩までならないにしても、何かに対して怒りみたいなものを覚えなくなるという感覚が人としては一番死んだ状態だと思うんですよね。やっぱり何かを憎めないと何かを愛せないはずでしょ。それを乗り越えないとすべてを愛するなんてできないのに、「博愛」とかを聞きかじって何にも努力してない人ってすごく生ぬるいですよ。

これはビートたけしの「振り子理論」みたいなものですかね。それはともかくよくわかる言葉。愛情の裏返しが憎しみなんだから、憎しみをもってないことはその裏返しの愛情ももてていないことになる。
そういえば、ちょっと意味がそれるけど、前の職場で、「男の人でうわべばかり言う人ってすごく苦手。疲れる」と言ってた女性がいて、お世辞とか社交辞令をめったに言わない私(言うとしても冗談とわかる形でしか言わないんじゃないか)としてはこれまた「我が意を得たり!」な言葉だった。ただ、その人は異性のうわべが苦手だと言ってたが、私は同性のうわべばかりの奴が苦手です。なぜかは知らない。


リリー
いわゆるDVみたいな意味のない暴力はダメだけど、殴られてもいいようなことをしたら、それは男でも女でも子どもでも殴られていいと思うんです。

これはもう本当にそうですよ。いまや親や教師が子どもに体罰を与えてはいけないんですって? そりゃ理不尽な暴力とか行きすぎたものはダメだけど、言ってもわからない奴には体で憶えさせないといけないと思う。
肉体的な痛みを感じる脳の部位と心の痛みを感じる部位は同じらしく、体罰を与えると心が傷つくらしい。しかし、心の痛みをある程度感じさせてやらないと他人にやさしくしたりできないと思うが……? 幼少の頃に肉体的な苦痛をまったく感じなかった人間は長じてから不幸になると聞いたことがある。


リリー
才能豊かな人が天才という考えは間違い。それは秀才。天才というのはもっとエネルギーのある人ですよ。人間としてどこか破綻して欠落してても、その人のもつエネルギーが圧倒的に強い人だと思う。
世の中に認められてる程度の人っていうのは、要は凡人が認める程度の人ですから。まだ秀才ですよ。天才というのは「終わってから評価を得る」じゃないけど、なかなか人にはわかりにくいものですよ。


だからエロスクラップ作りを30年以上作り続けているみうらじゅんは天才じゃないか、みたいな展開になるんですが、そう考えると、30年以上映画を熱心に見続けている私は天才的映画ファンなのだろうか。脚本家としては世間的な評価は得られなかったから秀才にすらなれなかったけど、映画を見る、ということにかけては天才なのかも。しかし、リリーさんは「天才は何かを作る人」とも定義している。私は映画を見て何を作っているだろうか。このブログ? 


みうら
そうやってノイローゼが癖になってくるといいんですよ。仏像も、もう好きかどうかもわかんない状態。でも見たいんです。で、飽きずに続けること以外に輝けるものがないと思っているから長生きしたいんです。

これはわかるなぁ。私も、もう結構前から「俺は本当に映画が好きなのか」と自問自答することが度々ある。でも見たい。これは何なのか。そもそもこのブログも本当に好きで書いてるのか? とかね。最初は爆発的な瞬発力で始めたものが、いつの間にか惰性だけでやってる気がしてくる。何でもそうか。結局、その「惰性」を愛することができるかどうか、ということなんですかね。 


リリー
金がないと人はバカになりますよ。電気もガスも水道も止められていたとき、昔の女に電話したら来てくれたんですよ。弁当を買って食べさせてくれたうえに、帰り際に2000円胸ポケットに入れてくれて「超ラッキー!」と、ヤレたはずなのにそこに思いが至らない。だから貧乏暮らしに戻りたくない。金がないのがいやなんじゃなくて、昔の女に2000円もらってガッツポーズする品性の卑しさがいや。

そこまで金に困ったことがないからわからないが、そういうものかもしれない。


リリー
2008年暮れの年越し派遣村。東京の派遣村で飯もらえなくて名古屋の派遣村まで歩いて飯もらった人がいるけど、そのガッツがあれば必ず働くところがあるはずだし、その頑張りを他に使えばすごい仕事ができるはずでしょ。同じ理由でパチンコ屋に朝から並べる人とか朝から競馬に行ける人って就職したほうが絶対儲かると思うんですよ。

これは違うと思った。
よく、オレオレ詐欺とか巧妙な手口で金を盗む人たちについて「その頭の良さを普通の仕事とかで活かせばいいのに」という人がいるけど、違いますよね。犯罪に手を染めるような人はネガティブなことにしか頭が回らないんですよ。いわゆる悪知恵しかもっていない。知恵があれば人を騙したりしない。パチンコ屋に朝から並べる人が会社勤めしても遅刻ばかりのような気がする。


リリー
高校生の頃は自殺とか考えたなぁ。考えなきゃバカと思われるんじゃないかって。でも、いくら自分らしさとか個性とかいっても結局、周りの人がいて環境があって自分が成立しているからね。
みうら
他人の存在って反射じゃないですか。だからまったく独りで無人島にいる人ってどこまで人間らしい生活を維持できるのかなって思うんですよ。

何でもかんでも下ネタ(エロス)に還元してしまう二人がタナトスについて語っている。でもそのタナトスは見栄で考えていただけだった。
これと同じ意味のやり取りはこの本ではすごく多い。自分というのは自分だけで成り立っているのではなく、他者との関係性で成り立っている、というお話。だから自分探しなんかやめな、なんてこの二人は言わないけど、そういえば、みうらじゅんは「自分なくし」というのを提唱しているらしい。『自分なくしの旅』という本を読んでみよう。


リリー
若い人がこの本を読んですぐに意味がわからなくてもいいと思いますよ。いずれわかるから。だってほんとか映画ってそのときにすべてがわかるものってたいしたものじゃないし。
みうら
あとでじわじわ効いてくるもんだよね。

ビジネス書と言われるものって即効性ばかりが期待されてますよね。タイトルを見ればわかる。でも、即効性のあるものはすぐ効くけど、その効力は長続きしない。内田樹先生も「すぐ役に立つものはすぐ役に立たなくなる」と言っている。
この本を読んで「何の役に立つのか」なんて無粋なことを言う人はたくさんいそうだけど、別に役に立たなくてもいいんじゃないですか。みうらじゅんが言ってるように、というか、世間的によく言うように、「人生なんて死ぬまでの暇つぶし」なのだから。


しかし、振り返ってみると私の心の琴線に触れた言葉ってリリーさんばかりだったんですね。こういうのは読むだけではわからない。書き出して初めてわかる。だからこのブログは続けていこうと思う。






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