『マーリー 世界一おバカな犬が教えてくれたこと』(2008、アメリカ)
脚本:スコット・フランク&ドン・ルース
監督:デビッド・フランケル
出演:オーウェン・ウィルソン、ジェニファー・アニストン


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2009年に公開された『マーリー 世界一おバカな犬が教えてくれたこと』を再見しました。

この映画、ちょいと安っぽい邦題のせいで敬遠する人がいるかもしれませんが、決して侮れません。何しろ、あの、21世紀映画でありながらいまや古典になりつつあると言っても過言ではない『プラダを着た悪魔』のデビッド・フランケル監督の作品ですし、脚本には『アウト・オブ・サイト』『LOGAN/ローガン』などのスコット・フランクらが名を連ねています。原題は『MARLEY&ME』。


ペットは飼い主との「関係性」
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主人公夫婦は子どもがほしいものの、産む前にまず予行演習と称して犬を飼おう、といささか不純な動機でラブラドールを買い求めます。しかもセール品の安物。それがマーリー。いろんなものをかじって破損させたり、家の中でおしっこしたり、迷惑ばかりかける犬が、夫婦ややがて生まれてくる三人の子どもたちにとって、かけがえのない存在だったことを思い知らされ、その死に悲嘆する姿が描かれます。

かつて大島渚がこんなことを言っていたのを思い出しました。

「戦争っていうのは二つ以上の勢力が争って起こるものなのに、太平洋戦争でいえば日本側からだけの視点、アメリカ側からだけの視点で作られている映画が多い。だから僕はそれへのアンチテーゼとして、捕虜収容所を舞台にして日米英の兵士を描く『戦場のメリークリスマス』を作ったんですね」

まったくジャンルの違う『マーリー』でも事情は同じです。

マーリーは飼い犬です。野生の犬ならマーリーだけを描いてもいいかもしれませんが、マーリーは「ペット」です。ペットであるからには「飼い主とペット」の関係性を描かなければいけない。そうするためには動物にだけカメラを向けてはダメで、人間の事情も等しく描かなければいけない。

『マーリー』では犬より人間についての描写のほうが多いくらい。動物にばかりカメラを向け、人間はその周りをウロウロしているだけの凡百の動物映画と一線を画しているのはここです。


マーリーとは関係ない人物描写の数々
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マーリーとは関係ない描写を箇条書きで上げていくと、

・妻は名のあるコラムニストだが夫は記者志望で就活中。雇ってくれた新聞社でも事件取材はさせてくれず、コラムの担当になる。

・ところがマーリーにまつわる騒動を書くと「君の経験が入っているから面白い」と評判になる。

・夫婦で妊活するも、やっとできた子どもは死産。悲嘆にくれるがめげずに子作りに励み、三人の子どもをもつにいたる。

・子育てに奔走する妻は疲れはててしまい、「あの犬を処分してきて!」と夫に当たり散らす。(少しマーリーに関係してますが直接の関係はない。八つ当たりですから)

・夫の念願がかない、別の新聞社に記者として雇われることになる。しかし長くコラムばかり書いていたせいで編集長から「自分の考えを入れずに事実だけを書け」と言われ、「いまさらそんなことできないよ」と妻に愚痴をこぼす。

・夫の親友はなかなかのプレイボーイで、いつ会っても違う女を連れている。久しぶりに会ったときもナンパしていた。

などなどでしょうか。

これらの描写が行われるとき、マーリーが画面に登場しないわけではありません。ちらちらと映ってますが、セックスしようとする夫婦の邪魔をしたり、死産で涙をこぼす妻に寄り添ったり、ほとんど脇役というか、端役に近い扱い。でもこれが効いています。


主役ではないが主役だった
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マーリーを直接描いたシーンとなると、

・去勢手術を受けさせに行くときのひと悶着。

・犬のしつけ方教室でトレーナーに非礼を働き出入り禁止を命じられる。(白いドレスの女キャスリーン・ターナーのあまりの変わりよう!)

夫婦は特に犬好きではなく、子どものしつけの訓練として犬を飼おうと思っただけなので、それほど犬への思い入れがありません。だからマーリーそっちのけでスキンシップしたり、喧嘩したりする。友だちと駄弁ったり子どもと遊んだりする。

マーリーはいつもそばにいるけど、ほとんど端役。なのに、老いが訪れ、病に倒れると、途端に彼の存在の大きさに気づき、トーンは一変。映画は完全にマーリーが主役となります。

もうじきこいつはこの世からいなくなる。そうなったとき、それまでいろんな場面の端っこにいた彼の存在の大きさに気づく。自分たちより後に生まれ、そして先に死んでいく者への哀惜の情。

「助かる可能性は10%」という獣医に、

「こいつは普通の犬じゃないんです。食べ物じゃない物を飲み込んだことも何度もあるけど平気でした。こいつは普通の犬じゃないんです。だから助かる可能性はもっとあるはずだ」

と答える夫の「こいつは普通の犬じゃないんです」という言葉の真意は「こいつは犬じゃなくて家族なんです」ということでしょう。号泣必至の名場面です。

でも、そうなるのは、マーリーが死ぬからではなく、彼の死を悲しむ飼い主たちにとっくに感情移入できているからでしょう。希望の職種に就けなくて愚痴を言い、転職したのにまた愚痴を言う社会人あるあるとか、死産で悲嘆にくれる夫婦の姿とか、飼い主たちの喜怒哀楽を見て観客は彼らと同化した。だからマーリーの死に際しても同じように悲しく思う。

マーリーには何も関係ない描写はだから必不可欠だったわけです。


二重構造
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そのため、この映画は巧妙な「二重構造」になっています。

・登場人物たちにとって小さな存在でしかなかったマーリーが、終盤とてつもなく大きな存在になる。

・犬の映画を見に来た観客にとってほとんどどうでもよかった夫婦の喜怒哀楽が、マーリーの死に涙するにあたって、とても大事な描写だったことがわかる。

見事な相似形。これこそ『マーリー 世界一おバカな犬が教えてくれたこと』という映画の要諦と言って過言ではないでしょう。





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