話題沸騰中の林真理子さんの新作『小説8050』を読んだんですが、あまりにあんまりな内容でげんなりしてしまいました。
少しも「8050問題」じゃない
8050問題といえば、若い頃から引きこもっていた人が50代になり、親は80代で、50歳まで何もしてこなかった人間が稼げるはずもなく、親の年金や遺産を当てにするしかない。そこで、親の死体遺棄をして年金を不正受給したり、子どもを不憫に思う親による一家心中が起こると予想されているというか、すでに起こっている問題。2020年代末には「9060問題」というさらに事態が悪化した問題に変化するとかしないとか。
だから「父さんと死のう」と帯にあるこの『小説8050』を興味深く読み始めたんですが、少しも「8050問題」の話じゃなかったので詐欺に遭ったかのように腹を立てています。
まず、主人公は50代で古びた歯科医を営んでいる正樹という男で、引きこもっているのはその息子の翔太20歳。歯科医は割に合わないということで普通の医者になってほしいと有名私立中学に入学するまでは順調だったのが、中学でひどいいじめに遭って引きこもってしまった。30年後には正樹は80代、翔太は50歳。「30年後の8050」として物語は起動するのですが、結局、7年前のいじめをした加害者たち相手に裁判を起こし、勝訴してめでたしめでたし。って、それじゃ少しも「8050問題」じゃないじゃないですか。
そりゃいじめが原因なのだから、いじめた連中に社会的制裁を加えないことには何も始まらない。それはわかる。
でも、引きこもりってすべてが「いじめが原因」なんでしょうか?
厚生労働省の定義によると、
ひきこもりは単一の疾患や障碍の概念ではなく、「様々な要因によって社会的な参加の場面が狭まり、就労や就学などの自宅以外での生活の場が長期にわたって失われている状態」
だそうです。
様々な要因とあるから、やはりいじめだけじゃないですよね? 私だって引きこもりみたいな時期ありましたけど別にいじめられてはいなかった。確かに高校で無視されたりというのはあった。でも無視しないやさしい人もいた。厚労省の定義の続きには「統合失調症などの精神疾患や発達障碍などにより周囲との摩擦が生じて引きこもる場合と、そういった疾患や障碍など生物学的な要因が原因とは考えにくい場合があります」とある。
私は一応、神経症という精神疾患だったが、まぁ半分以上は親への反抗で引きこもっていたんでしょう。自分でも本当の理由がよくわからなくなっているのが現実です。
いずれにしても、いじめは数多い引きこもりのうちの「ある一つのパターン」にすぎないし、いじめの場合は加害者という明確な敵がいるぶん、まだ対処しやすいんじゃないでしょうか。
7年前のことをもちだして裁判で勝つためにはそのための証人が必要ですが、この『小説8050』では、焼却炉に閉じ込められていた翔太を発見した用務員さんとか、パンツを脱がされた画像をいじめっ子たちから送られた隣の女子校の優等生とか、加害者のうち被害者でもあった寺本という男を被告ではなく証人として招致するなど、あとがきにもありますが、この作品の完成に尽力してくれた弁護士が「これなら勝てる」と太鼓判を押せるほど証人や証拠をそろえたとか。
いや、これだけ味方がそろってたら、そりゃ勝てるでしょうよ。
私のように、自分自身に問題があったり、親に問題があったりするように、本当の敵は「自分たちの中にある」というふうに設定しないと引きこもりの問題は解けないんじゃないかしら。
正樹という父親は、敵の弁護士が隠し玉としてもっていた、息子の翔太がいじめている現場写真を見て半狂乱になります。本当は翔太はむりやりいじめさせられていた。そんなのはそれまでの文脈を見れば少しは想像できそうなのに、「おまえのせいですべてパーだ! もう負けだ。裁判なんて終わりだ!」と息子を非難しまくり、翔太は3階(1階が歯科医院なので自室が3階にある)から飛び降りて下半身不随になります。
これ、ひどくないですか? こんな父親だったら別にいじめなんかなくても何がしかの問題が起こっていたように思う。妻の節子も「勝手なことばかり言う」と裁判が終わったら離婚すると言って、実際そうなるし、この正樹という父親の問題を少しもあぶりださないのはいかがなものか。
だいたい、息子が焼却炉に閉じ込められたり、パンツ脱がされたりして帰ってきたら、いつもより違う様子でしょう。なぜ息子の異変に気づかなかったんでしょう? そこを完全スルーして、しかも下半身不随になったのは父親のせいなのに、そこもスルーして、「お父さん、ありがとう」という幕切れには開いた口がふさがりませんでした。
そもそもタイトルで「8050」と銘打つからには、「30年後の8050」ではなく、いま親が80代で引きこもっている子どもが50代の「現在進行形8050」を題材にしないと意味ないんじゃないでしょうか。実際、若い引きこもりより中年以上の引きこもりのほうが多いらしいですし。
「引きこもり」とは何か
はたして、布団で寝ている柴犬は「引きこもっている」と言えるのでしょうか?
いや、最近のワンちゃんはみんなこんな感じですよ。と言う人もあれば、犬が人間の布団で寝るとはこれ如何に。と憤る人もいるでしょう。
私みたいに、就労も就学もしていないが自室にずっと引きこもっているのではなく、普通に買い物に行ったり映画に行ったりする人は「引きこもっている」のでしょうか?
以前、同じ職場で働いていた人とLINEで会話した際、その人は私と似たような病気を患っていて「療養中」と言っていました。「引きこもってどれぐらいになるのか」と私が問うと、「引きこもってませんよ。めっちゃ買い者とか行ってますよ」と返事が来て、いや、引きこもりというのは外に出る出ないではなく社会参加していない状態のことを言うはずだが……? と思ったんですが、それ以上言うのはやめておきました。
巷でも、その子みたいに「就労や就学など社会参加してなくても買い物には頻繁に行くから引きこもりではない」と考えている人って多いと思うんですよね。どうしてもテレビドラマや映画の影響で、引きこもりというと、ずっと自室に閉じこもって、親が寝静まったあとに起きてきて冷蔵庫の物を勝手に食べたりする髪の毛ボサボサで不潔な男、みたいなイメージがありますから。(ちなみに、引きこもりのうち男性はやはり多く全体の7割。逆にいえば3割は女性とのこと)
もっと「引きこもり」の定義を世に広めるべきだと思う。それに……
これは犬が人間社会に進出している、つまり社会参加していると見るべきか。
それとも、犬社会に参加せず人間が作った巣に引きこもっていると見るべきか。
「引きこもり」の定義とは何か。そこらへんをラディカルに問う物語を読みたいですね。
少しも「8050問題」じゃない
8050問題といえば、若い頃から引きこもっていた人が50代になり、親は80代で、50歳まで何もしてこなかった人間が稼げるはずもなく、親の年金や遺産を当てにするしかない。そこで、親の死体遺棄をして年金を不正受給したり、子どもを不憫に思う親による一家心中が起こると予想されているというか、すでに起こっている問題。2020年代末には「9060問題」というさらに事態が悪化した問題に変化するとかしないとか。
だから「父さんと死のう」と帯にあるこの『小説8050』を興味深く読み始めたんですが、少しも「8050問題」の話じゃなかったので詐欺に遭ったかのように腹を立てています。
まず、主人公は50代で古びた歯科医を営んでいる正樹という男で、引きこもっているのはその息子の翔太20歳。歯科医は割に合わないということで普通の医者になってほしいと有名私立中学に入学するまでは順調だったのが、中学でひどいいじめに遭って引きこもってしまった。30年後には正樹は80代、翔太は50歳。「30年後の8050」として物語は起動するのですが、結局、7年前のいじめをした加害者たち相手に裁判を起こし、勝訴してめでたしめでたし。って、それじゃ少しも「8050問題」じゃないじゃないですか。
そりゃいじめが原因なのだから、いじめた連中に社会的制裁を加えないことには何も始まらない。それはわかる。
でも、引きこもりってすべてが「いじめが原因」なんでしょうか?
厚生労働省の定義によると、
ひきこもりは単一の疾患や障碍の概念ではなく、「様々な要因によって社会的な参加の場面が狭まり、就労や就学などの自宅以外での生活の場が長期にわたって失われている状態」
だそうです。
様々な要因とあるから、やはりいじめだけじゃないですよね? 私だって引きこもりみたいな時期ありましたけど別にいじめられてはいなかった。確かに高校で無視されたりというのはあった。でも無視しないやさしい人もいた。厚労省の定義の続きには「統合失調症などの精神疾患や発達障碍などにより周囲との摩擦が生じて引きこもる場合と、そういった疾患や障碍など生物学的な要因が原因とは考えにくい場合があります」とある。
私は一応、神経症という精神疾患だったが、まぁ半分以上は親への反抗で引きこもっていたんでしょう。自分でも本当の理由がよくわからなくなっているのが現実です。
いずれにしても、いじめは数多い引きこもりのうちの「ある一つのパターン」にすぎないし、いじめの場合は加害者という明確な敵がいるぶん、まだ対処しやすいんじゃないでしょうか。
7年前のことをもちだして裁判で勝つためにはそのための証人が必要ですが、この『小説8050』では、焼却炉に閉じ込められていた翔太を発見した用務員さんとか、パンツを脱がされた画像をいじめっ子たちから送られた隣の女子校の優等生とか、加害者のうち被害者でもあった寺本という男を被告ではなく証人として招致するなど、あとがきにもありますが、この作品の完成に尽力してくれた弁護士が「これなら勝てる」と太鼓判を押せるほど証人や証拠をそろえたとか。
いや、これだけ味方がそろってたら、そりゃ勝てるでしょうよ。
私のように、自分自身に問題があったり、親に問題があったりするように、本当の敵は「自分たちの中にある」というふうに設定しないと引きこもりの問題は解けないんじゃないかしら。
正樹という父親は、敵の弁護士が隠し玉としてもっていた、息子の翔太がいじめている現場写真を見て半狂乱になります。本当は翔太はむりやりいじめさせられていた。そんなのはそれまでの文脈を見れば少しは想像できそうなのに、「おまえのせいですべてパーだ! もう負けだ。裁判なんて終わりだ!」と息子を非難しまくり、翔太は3階(1階が歯科医院なので自室が3階にある)から飛び降りて下半身不随になります。
これ、ひどくないですか? こんな父親だったら別にいじめなんかなくても何がしかの問題が起こっていたように思う。妻の節子も「勝手なことばかり言う」と裁判が終わったら離婚すると言って、実際そうなるし、この正樹という父親の問題を少しもあぶりださないのはいかがなものか。
だいたい、息子が焼却炉に閉じ込められたり、パンツ脱がされたりして帰ってきたら、いつもより違う様子でしょう。なぜ息子の異変に気づかなかったんでしょう? そこを完全スルーして、しかも下半身不随になったのは父親のせいなのに、そこもスルーして、「お父さん、ありがとう」という幕切れには開いた口がふさがりませんでした。
そもそもタイトルで「8050」と銘打つからには、「30年後の8050」ではなく、いま親が80代で引きこもっている子どもが50代の「現在進行形8050」を題材にしないと意味ないんじゃないでしょうか。実際、若い引きこもりより中年以上の引きこもりのほうが多いらしいですし。
「引きこもり」とは何か
はたして、布団で寝ている柴犬は「引きこもっている」と言えるのでしょうか?
いや、最近のワンちゃんはみんなこんな感じですよ。と言う人もあれば、犬が人間の布団で寝るとはこれ如何に。と憤る人もいるでしょう。
私みたいに、就労も就学もしていないが自室にずっと引きこもっているのではなく、普通に買い物に行ったり映画に行ったりする人は「引きこもっている」のでしょうか?
以前、同じ職場で働いていた人とLINEで会話した際、その人は私と似たような病気を患っていて「療養中」と言っていました。「引きこもってどれぐらいになるのか」と私が問うと、「引きこもってませんよ。めっちゃ買い者とか行ってますよ」と返事が来て、いや、引きこもりというのは外に出る出ないではなく社会参加していない状態のことを言うはずだが……? と思ったんですが、それ以上言うのはやめておきました。
巷でも、その子みたいに「就労や就学など社会参加してなくても買い物には頻繁に行くから引きこもりではない」と考えている人って多いと思うんですよね。どうしてもテレビドラマや映画の影響で、引きこもりというと、ずっと自室に閉じこもって、親が寝静まったあとに起きてきて冷蔵庫の物を勝手に食べたりする髪の毛ボサボサで不潔な男、みたいなイメージがありますから。(ちなみに、引きこもりのうち男性はやはり多く全体の7割。逆にいえば3割は女性とのこと)
もっと「引きこもり」の定義を世に広めるべきだと思う。それに……
これは犬が人間社会に進出している、つまり社会参加していると見るべきか。
それとも、犬社会に参加せず人間が作った巣に引きこもっていると見るべきか。
「引きこもり」の定義とは何か。そこらへんをラディカルに問う物語を読みたいですね。
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