2021年05月01日

芳根京子主演のNHKドラマ『半径5メートル』。私が見始めた今季のテレビドラマでいまのところ一番面白い。


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まるでアメリカ映画のような作劇
まず導入部がいいですよね。部屋から女の喘ぎ声のような声が聞こえる。男の声も聞こえる。ヤッてるのか。と思ったらスポーツジムで汗を流す主役・芳根京子登場。登場のさせ方がうまい作品は内容も面白いのが常。

すぐジムのトレーナーの「あんた、ほんとは週刊誌の記者なんでしょ」の一言で出禁を食らってデスクの三浦誠己に怒られる。しかし、ひょんなことからある芸能人が30歳年上の有名人のマンションに入っていく現場を目撃しスクープを取れと発破をかけられる。が、スクープ直前にトランシーバーを落としてばれてしまい、他紙に抜かれて左遷。

ここまでたった10分。素晴らしい。昔のハリウッド映画はこういう歯切れの良さがありました。

最初の「あんた、ほんとは週刊誌の記者なんでしょ」と言われたときでも、「え? ええ? ハハハ、あたしただのOLですよ。入会するとき書いたでしょ」「聞いちゃったんだよ。あんたがトイレで上司と喋ってるところを入ったばかりの新人が」みたいな無駄な会話がない。ハッとなる表情だけ見せてスパンと次のシーンへ行く。デスクに怒られてるところを見せればすべてはわかる。

先日始まった『ドラゴン桜』もなかなか痛快な内容でしたが、無駄な描写が多かった。特にクライマックス直前のバイクでのチェイスシーン。長すぎ。あんなのもっと短く刈り込まないと。大事なのはその次の学校でのひと悶着でしょ。ついでに言わせてもらえば、いくら田舎が舞台とはいえ対向車が一台もなく、あれだけのスピードで走っているのに前を走る車に追突しそうになるとかそういうのもない。追う阿部寛と追われる生徒だけなんて芸がなさすぎ。

それはまた別の話ですが、最近のテレビドラマは第1話が15分とか30分とか拡大バージョンというのが幅を利かせてますよね。楽しみにしている我々視聴者を満足させるために、と思われがちですが、単に作劇の力が落ちてるだけ。かつては90分前後だったアメリカ映画が最近は軒並み120分を超え、150分近くなんてのも特に珍しくなくなったのと同じ現象。

物語の最初は主人公や脇の人物の紹介をせねばならず、同時に話を前に進めないといけないんですが、そこに時間をかけすぎている。『半径5メートル』の簡潔さは正攻法すぎるほど正攻法なんですが、いまや貴重。

日本映画と外国映画に分けるなんてナンセンス。映画において意味があるのは「アメリカ映画」と「非アメリカ映画」の分け方しかないと私は常々言っていますが、『半径5メートル』はシナリオの精神において正統派のアメリカ映画です。


ヨーロッパ的な「縦」の深さ
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芳根京子が左遷されてからが副題にある「おでんおじさん」の物語が始まります。その前に。

「一折」「二折」という言葉を初めて知りました。週刊誌で芸能人の熱愛とか不倫などの下衆な紙面が一折、生活情報などの紙面が二折というなんて初めて知りました。生活面が格下というのは、『美味しんぼ』で主役たちが属する文化部なんて盲腸みたいな部署で政治部や社会部が花形、というのを読んだことがあるから週刊誌だって絶対そうだろうと思ってましたが、「一折」「二折」という言葉は知らなかった。

「映画は芸術でもあったし娯楽でもあったろう。でもその前に『情報』だと俺は思う」

とは、かの大島渚の名言ですが、やはり情報としての面白さが満載だとそれだけで面白いですよね。

さて、「おでんおじさん」とは何かというと、ある主婦が時間がないのでレトルトのおでんを買うと、「おでんぐらい自分で作りなさい」と、「子どもにはちゃんと手料理を」的なことを言われ、それをSNSに上げたら炎上した、というエピソード。

二折の尾美としのり編集長が芳根京子にそのネタをやるように言われ、不思議ちゃん的な先輩ライター・永作博美と取材を開始。

おでんおじさんその人は出てきません。これも当たり前のようでナイスな判断。おでんおじさんを出してしまったらその人の「個人悪」を糾弾することにしかならない。本当の問題は「日本社会に巣食う男らしさ・女らしさ」というジェンダー問題だというのが第1話の独創です。

おでんおじさんにいちゃもんをつけられた前田亜季が「主人にはおでんおじさんのことは話してません」と哀しげに言うのに引っかかった芳根京子は、レシートをひとつひとつチェックして妻の買い物に文句をつける厭味な旦那を尾行。

旦那がスーツ姿で出勤したらパチンコ屋でウーバーイーツの配達員の姿に変身して出てくる。おそらくリストラされたのでしょう(はっきりリストラとか説明しない節度も素晴らしい。言わなくてもわかる)。配達が遅れてしまって客からフィードバックがあり、会社からこういうことがもう一度あればクビにすると通知が来る。そんな彼の前でいじめられっ子が泣いている。「男なら泣くな」と諭す彼は「男らしさ」というジェンダーに囚われてしまっている。

男なら強くあらねばならぬと刷り込まれた彼は、リストラされたことを妻に言えず、こそこそバイトをしている。己の弱さを隠そうと無意識に妻につらく当たる。妻は女をいじめる男は最低だと思い、息子にだけはそんな男になってほしくないと「女の子をちゃんと守ってあげるんだよ」と諭す。しかし、それが原因で息子は「男のほうが女より格上。男は女より強くあらねばならぬ」という意識を刷り込まれ……

歴史は繰り返す。おそらく旦那もそうやって育てられたのでしょうし、息子もこのままだと大人になったら父親と同じような男に成り下がる。そして社会はジェンダー格差を解消できない。

前田亜季は息子のためにと思ってるんでしょうが、長い目で見れば彼をスポイルしていることを自覚できていない。自分は正しいことを言っていると彼女は思っているのでしょうが、実は違う。おでんおじさんと五十歩百歩。

深い物語です。これが全体で45分。もちろん冒頭の10分やラスト5分など芳根京子の汚名返上エピソードを除けば、正味30分ほどでジェンダーの歴史を描き切っています。

半径5メートル。一折と違って二折は自分の周り半径5メートルのことを扱うの、と永作博美が言うんですが、確かに男らしさ・女らしさというのは半径5メートルのこと。距離的には小さい範囲のことでも、「歴史」という時間的にはとても長く、根が深いことを見事に描いています。

私が行ったことのある外国はアメリカとイタリアとイギリスだけですが、アメリカは横に広いんですよね。マンハッタンだけでもこの道はどこまで続くんだというくらい広い。ヨーロッパはアメリカのように横には広くない。ロンドンもミラノも東京とたいして変わらない(シチリアは広かったけど)。でもアメリカにはない歴史がある。つまり時間的な深さ。アメリカは横に広く、ヨーロッパは縦に深い。

この『半径5メートル』はアメリカ映画的作劇のうまさがあり、ヨーロッパのように深い世界を描いています。

それがそのまま芳根京子が書く記事になるわけですが、彼女がそんなに深い記事を書くことができたのは永作博美のおかげですよね。

「おでんくらい自分で作れ」と言ったおでんおじさんの言うとおりにまずおでんを二人で作るのですが、これだけでは充分ではないと、コンニャクイモをすりおろしてこんにゃくを作るところから始めてみます。でも永作博美はまだ懐疑的。「いったいどこから作れば『おでんを自分で作る』ことになるのか。3年かけてコンニャクイモを飼育するところから始めないといけないのかも」と言います。さすがにそれはいくら何でもと誰でも思いますが、あれは先輩ライターとしての新人教育だったのですね。

「もっと物事をラディカルに見つめなさい。徹底してラディカルに!」という。あれがなければまだ若い芳根京子がジェンダー差別の歴史やその根源的な理由に気づくことはなかったでしょう。

いい記事は書けたけれど問題は山積しています。花形の一折は熱愛報道などの一過性の話題を扱うだけ。二折はこの国の、世界の歴史を扱える。しかし稼いでいるのは一折。三浦誠己デスクの言うように「芳根京子たち二折の面々の給料は一折が稼いでいる」。現代社会の深い闇。


第2話へ向けて
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芳根京子が憧れているという一折の先輩・毎熊克哉はセクハラ野郎です。冒頭の張り込みシーンで「おまえも男たらしこんでネタとってこいよ。まぁおまえじゃそそられねーけど」と他の先輩からとんでもないセクハラ発言を受けます。芳根京子はドン引きしながらも受け流すんですが、毎熊克哉は「成長したな。セクハラを流せるようになった」という。しかし、それもまたセクハラであることに彼は少しも気づいていない。

しかも芳根京子が自分に憧れているのを利用してか、酔わせて一発ヤッてしまう。寝てるところを抱いたんですからほとんどレイプですな。

だから第2話のタイトルが「出張ホスト百人斬り」と知ってますます楽しみになってきました。


蛇足・芳根京子
yoshinekyouko

朝ドラに抜擢されたときは「何でこんな変な顔の子が?」と思いましたが、去年の『コタキ兄弟と四苦八苦』からいい顔つきになってきましたね。いい目をしている。







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