桐野夏生さんの新作『日没』を読みました。桐野さんの作品を読むのは『ナニカアル』以来だと思うので、もう10年以上ぶりになるんですね。毎日新聞の書評欄「今年の三冊」で複数の票を集めていたとかで読んでみました。
効果的な一人称
マッツ夢井という作家のもとに、「総務省文化局・文化文芸倫理向上委員会」(通称ブンリン)というところから召喚状が来るところから物語は幕を開けます。
ただならぬ気配を読み取ったマッツ夢井は指定されたところへ赴きますが、もとは結核のサナトリウムだったところに連れていかれ、「更生」に励んでほしいと言われる。いや、正確には更生するまで出られないと告げられます。
マッツの作品は興味本位でレイプを扱ったり変態性欲を書いたりしているので読者から通報があった。それでブンリンが動いたと。前年にそういう法律ができた、コンプライアンスを徹底してもらいたいと言われるのだけど、新聞を読まないいまどきの作家であるマッツ夢井にはそれが本当かどうかわからない。
ここらへん、一人称で書かれている効果が如実に出てますよね。国家公務員と称するブンリン側が本当のことを言っているのか、それとも一部の狂信的な人間たちが私刑を行っているのか、マッツ夢井にも我々読者にもわからない。
主人公が知っている情報量と読者が知っている情報量が常にイコールで結ばれています。一人称で書く最大の利点はこういうところですよね。
「正しい小説」とは何か
最後のほうでマッツ夢井は転向するから拘束衣だけは勘弁してほしいと言います。ここらへんのマッツの感情の変化がよくわかりませんでした。転向するというわりには反抗的だし、反抗的なわりには拘束衣と聞いただけで転向すると懇願して土下座も厭わないマッツの目まぐるしい心の変化についていけなかった。しかし、追いつめられた人間の感情ってあんなふうに起伏の激しいものなのかもしれません。
あそこのシーンで大事なのは、「あなたが書いているのは良い小説ですか、悪い小説ですか」という院長・多田の言葉ですね。
ブンリンにとって、作品はコンテンツ(ほんといやな言葉)であり、コンテンツには良いか悪いかしかない。あるいは正しいか正しくないか。普通なら「面白いか面白くないか」でしょう? それを権力者は良いか悪いか、正しいか正しくないかという価値基準で測ろうとする。
マッツ夢井は「あなたの良い小説の定義は?」と訊かれ「自分に正直な小説です」と答える。「読者の側には立っていないということですね」との誘導尋問に「その通り」と居直る。「私たちは自分の書きたいことしか考えていません。それが読者の心を打つかどうかなんて関係ない。まずは自分が書くことに心を打たれないと」という正論を述べます。
ここはマッツ夢井というより桐野夏生という作家の本音なんでしょうね。「まず書いている自分が心を打たれるべきだ。それが他人の心を打つかどうかなんてわからない」と。
確かにそうですね。自分が面白いと思えないものを他人が面白がるはずがないし、とはいえ、自分が面白いと思っても他人も面白がるとはかぎらない。そこに乖離が生じたら売れないし食っていけない。
「たまたま私の場合は、自分が面白がったものが世間の大勢が面白がってくれただけ。運がよかった」という桐野さんの謙虚な言葉にも読めます。
読者におもねってはいけない
マッツ夢井は「母のカレーライス」という駄文を書きますが、ブンリン側は「正しいことが書かれている。もっとこういうのを書いてほしい」と喜びます。
しかし作家は国家権力はおろか、一般読者にすらおもねってはいけないと桐野さんは信じているのでしょうね。私もそう。まずは自分が面白いと思えるかが大事。自分だけが面白いと思っているだけかもしれない駄文を書く自由、出版する自由を奪われたら、読者におもねったことしか書けないし、いま実際にネット空間ではそうなってきています。
ツイッター界隈では世間一般の常識と違うことを書きこむとすぐに炎上するし、炎上させようと有名人の投稿を待っている人がいる。炎上が怖くて最初から「こういうことを書くのはよそう」と無意識に自己検閲している人も少なくないと思います。
かくいう私も少しはそういう「心のブレーキ」をかけているかもしれない。
でも、それはやっぱりだめなことだと思う。そのようなブレーキは作家の矜持を自ら捨て去ることに等しい。
綺麗事だけじゃないよ
世間はきれいごとが大好きですが、その傾向は年を追うごとに強くなっています。夫婦や家族の問題でしかない不倫があそこまで世間の耳目を集めるのは、きれいごとを重んじる人たちがどんどん増加していることの何よりの証左でしょう。
「ありとあらゆる人の苦しみを描くのが小説なんだから、綺麗事だけじゃないよ」
とマッツ夢井は、いや、桐野夏生は言います。
きれいごとを描く小説や映画があってもいい。でも、それだけじゃつまらない。
正しいだけが人生じゃない。
面白ければいいじゃないか、とヒッチコックは言った。
効果的な一人称
マッツ夢井という作家のもとに、「総務省文化局・文化文芸倫理向上委員会」(通称ブンリン)というところから召喚状が来るところから物語は幕を開けます。
ただならぬ気配を読み取ったマッツ夢井は指定されたところへ赴きますが、もとは結核のサナトリウムだったところに連れていかれ、「更生」に励んでほしいと言われる。いや、正確には更生するまで出られないと告げられます。
マッツの作品は興味本位でレイプを扱ったり変態性欲を書いたりしているので読者から通報があった。それでブンリンが動いたと。前年にそういう法律ができた、コンプライアンスを徹底してもらいたいと言われるのだけど、新聞を読まないいまどきの作家であるマッツ夢井にはそれが本当かどうかわからない。
ここらへん、一人称で書かれている効果が如実に出てますよね。国家公務員と称するブンリン側が本当のことを言っているのか、それとも一部の狂信的な人間たちが私刑を行っているのか、マッツ夢井にも我々読者にもわからない。
主人公が知っている情報量と読者が知っている情報量が常にイコールで結ばれています。一人称で書く最大の利点はこういうところですよね。
「正しい小説」とは何か
最後のほうでマッツ夢井は転向するから拘束衣だけは勘弁してほしいと言います。ここらへんのマッツの感情の変化がよくわかりませんでした。転向するというわりには反抗的だし、反抗的なわりには拘束衣と聞いただけで転向すると懇願して土下座も厭わないマッツの目まぐるしい心の変化についていけなかった。しかし、追いつめられた人間の感情ってあんなふうに起伏の激しいものなのかもしれません。
あそこのシーンで大事なのは、「あなたが書いているのは良い小説ですか、悪い小説ですか」という院長・多田の言葉ですね。
ブンリンにとって、作品はコンテンツ(ほんといやな言葉)であり、コンテンツには良いか悪いかしかない。あるいは正しいか正しくないか。普通なら「面白いか面白くないか」でしょう? それを権力者は良いか悪いか、正しいか正しくないかという価値基準で測ろうとする。
マッツ夢井は「あなたの良い小説の定義は?」と訊かれ「自分に正直な小説です」と答える。「読者の側には立っていないということですね」との誘導尋問に「その通り」と居直る。「私たちは自分の書きたいことしか考えていません。それが読者の心を打つかどうかなんて関係ない。まずは自分が書くことに心を打たれないと」という正論を述べます。
ここはマッツ夢井というより桐野夏生という作家の本音なんでしょうね。「まず書いている自分が心を打たれるべきだ。それが他人の心を打つかどうかなんてわからない」と。
確かにそうですね。自分が面白いと思えないものを他人が面白がるはずがないし、とはいえ、自分が面白いと思っても他人も面白がるとはかぎらない。そこに乖離が生じたら売れないし食っていけない。
「たまたま私の場合は、自分が面白がったものが世間の大勢が面白がってくれただけ。運がよかった」という桐野さんの謙虚な言葉にも読めます。
読者におもねってはいけない
マッツ夢井は「母のカレーライス」という駄文を書きますが、ブンリン側は「正しいことが書かれている。もっとこういうのを書いてほしい」と喜びます。
しかし作家は国家権力はおろか、一般読者にすらおもねってはいけないと桐野さんは信じているのでしょうね。私もそう。まずは自分が面白いと思えるかが大事。自分だけが面白いと思っているだけかもしれない駄文を書く自由、出版する自由を奪われたら、読者におもねったことしか書けないし、いま実際にネット空間ではそうなってきています。
ツイッター界隈では世間一般の常識と違うことを書きこむとすぐに炎上するし、炎上させようと有名人の投稿を待っている人がいる。炎上が怖くて最初から「こういうことを書くのはよそう」と無意識に自己検閲している人も少なくないと思います。
かくいう私も少しはそういう「心のブレーキ」をかけているかもしれない。
でも、それはやっぱりだめなことだと思う。そのようなブレーキは作家の矜持を自ら捨て去ることに等しい。
綺麗事だけじゃないよ
世間はきれいごとが大好きですが、その傾向は年を追うごとに強くなっています。夫婦や家族の問題でしかない不倫があそこまで世間の耳目を集めるのは、きれいごとを重んじる人たちがどんどん増加していることの何よりの証左でしょう。
「ありとあらゆる人の苦しみを描くのが小説なんだから、綺麗事だけじゃないよ」
とマッツ夢井は、いや、桐野夏生は言います。
きれいごとを描く小説や映画があってもいい。でも、それだけじゃつまらない。
正しいだけが人生じゃない。
面白ければいいじゃないか、とヒッチコックは言った。
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