2020年11月07日

昨日、仕事中にふと疑問に思ったことがあります。

先月ある人(Yさん)が辞めたんですが、その人はまぁ一応管理職みたいなものだったんですが、仕事ができないくせに高圧的な態度で現場を制圧する人で誰からも嫌われていました。

ただ、あまりに嫌われていたし、辞めたあとにいくつも放ったらかしの仕事が見つかったりで休憩時間でも結構話題になっていたんですよ。ずっと前に作った「Yさん川柳」を披露したりね。

でも、それもYさんが辞めて2週間後くらいまでで、昨日まで話題にも上らなければ思い出すことすらありませんでした。

それが昨日ふっと「あんな人もいたなぁ」と思い出したんですが、そのとき同時に思い出したのが、父方の祖母でした。

祖母もYさんと同じで誰からも嫌われていた人でした。私ももちろん嫌いで、死んでも少しも悲しくありませんでした。

でも、いまだに実家に帰ると祖母の話でもちきりになったりするのです。いろいろひどい言動の多い人でしたが、もう死んで30年以上たつのですべては笑い話。笑い話ではあっても話題に上る。

対してYさんはたった2週間で忘れ去られてしまった。

どちらも骨の髄まで嫌われていたのにこの違いは何なのだろう? と考えてみました。

①肉親か否か
②付き合いの長さ
③家庭か職場か

これぐらいしか違いが見つかりませんでした。

①の肉親か否かというのはあまり関係ないと思うんですよね。少なくとも私にとっては。肉親だろうが肉親じゃなかろうが嫌いな奴は嫌いなので。

ただ、②の付き合いの長さは大いに関係あるかもしれない。祖母は中1のときに死んだんですが、生まれたときから13歳までという多感な時期に、あそこまで強烈なキャラクターと起こした軋轢の数々は私の人格形成に多大な影響を及ぼしていると思われます。

それは③の家庭か職場かというのと同じかもしれない。学校から帰ってリラックスできる場であるはずの家庭で罵詈雑言を浴びせられたり、それを見せられたりするのと、職場というどこでも緊張を強いられる場で高圧的な態度を取られるのとではストレスの量に差があるのではないか。もちろん、家庭でのストレスのほうが大きいはず。ストレスが大きいほうが記憶が定着しやすいことはあるでしょう。

で、ですね、よく言うじゃないですか。人は二度死ぬ、と。

一度は生物学的に死んだとき。次はその人のことを憶えている人が誰もいなくなったとき。

それに倣えば、祖母は没後30年以上たってもまだ生きているわけです。Yさんは死んだわけじゃないけど、職場から消えたのだから「職業上の死」と言えないことはない。そしてその死から2週間で二度目の死を迎えたのでした。

そう考えると、祖母とYさんでは格が違うというか、同じ嫌われ者でもカリスマ性が段違いだったような気がする。

祖母は根っからの悪人ではなく、被害者意識が強く自意識過剰なだけでしたが、でもそれがあまりに過剰すぎてあそこまで忌み嫌われてしまっていた。

でも『王様のレストラン』で千石さんが言うように「何でも王様になることはいいことです」が本当なら、祖母は嫌われ者の王様だったがYさんはそこまでの器じゃなかった、ということになるのでしょうか。





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