何しろあの2012年製作の隠れた傑作『コンプライアンス/服従の心理』のクレイグ・ゾベル監督の新作だから、トランプが上映禁止にしたとかそんなことに関係なく期待していた『ザ・ハント』。これが期待をはるかに上回る面白さでした。(以下ネタバレあり)


『ザ・ハント』(2020、アメリカ)
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脚本:ニック・キューズ&デイモン・リンデロフ
監督:クレイグ・ゾベル
出演:ベティ・ギルピン、ヒラリー・スワンク、エマ・ロバーツ


町山智浩さんをはじめ、いろんな方々がこの映画を「政治的側面」から解読しようとしています。

が、「最近、アメリカのアクション映画がつまらなくなった」と嘆いてばかりの私にはそういうのはほとんどどうでもいいことです。

でもまぁ、どういう政治的意図がこめられているかを説明しないとどんな映画かわからないだろうから一応説明しておきます。(正直よくわからなかった部分も結構あります)


政治的な内容について
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日本よりもひどい超格差社会のアメリカである噂が広まっている、というのがお話の大前提です。

何でも、グローバル資本主義の勝ち組たちが、負け組の人間を拉致誘拐して自分たちの領地で狩る、つまり殺して楽しむ殺人ゲームをやっているという噂です。

噂通りにバカ高いワインをたしなむ富裕層の人間が乗った飛行機で、拉致されたと思しき男が眠りから覚めたために殺されます。噂は本当だった。で、アーカンソー州と彼らたちが言う領地で人間狩りが幕を開けます。

画像のガソリンスタンドで両手を挙げているのは実は狩りをやっている富裕層で、店主夫妻を演じているのですが「黒人と言ってはダメ、アフリカ系アメリカ人と言わなきゃ」と言っているし、彼らはリベラルな政治思想をもっているようです。

私が重要なセリフを見落としてしまったのかもしれないのですが、町山さんの解説を読むと、狩られる貧困層はみなトランプ支持者らしい。え、そんな描写あったっけ? と思いますが、まぁ実際アメリカはいまそういう国だし、トランプが上映を禁止にしたのも自分の支持者たちが殺される映画だからということなので、そうなんでしょう。


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で、何だかんだの末に、大企業CEOのラスボス、ヒラリー・スワンクとの一騎打ちになるのですが、その前に「1年前」や「8か月前」の描写があり、実は例の噂は真っ赤なウソだったことが明らかになるんですね。

ヒラリー・スワンクとその仲間たちも人間狩りなどやっていない。でも主人公を演じるベティ・ギルピンたちがウソの噂を捏造して拡散しているから懲らしめてやろうと「ウソから出たマコト」で人間狩りを始めたというんですね。

え、それって何? 貧困層の被害妄想でたくさんの人が殺されちゃったの? しかもベティ・ギルピンはクリスタルという名前なんですが近所に同姓同名の女がいて、彼女と間違えていると。自分はデマなんか流していないと言うんですね。ええ? ヒラリ・スワンクが死ぬ直前に「どうせあたしたち死ぬんだからほんとのこと教えてよ」と言っても「人違いだ」というんだからそうなんでしょう。

しかし、となると、彼女がトランプ支持者というのが怪しくなってしまわないでしょうか? 主人公はデマを流してなければ日頃どんな生活をしているのか、どういう政治思想をもっているのかもわからない。政治的風刺劇だったはずなのに作者たちの狙いがどこにあるのかまったくわからなくなってしまっていました。

しかも、ベティ・ギルピンは勝ち残ったあとにヒラリ・スワンクのドレスを着てアメリカへ帰る飛行機に乗り、バカ高いワインを飲み干して「うまい!」というところでジ・エンド。

うーん、ウサギとカメの寓話なんかも思わせぶりに語られていましたが、どっちがウサギでどっちがカメなのかわからないし、あのラストでいったい何を言いたいのか判然としません。

町山さんが「ひねりすぎてわけがわからなくなっちゃってます」というのも深くうなずけます。

でも、最初に申し上げた通り、そういうことはすべて私にとってはどうでもいいことです。


これぞアクション映画!
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確か青山真治監督がかつて、

「銃を構える。構えたら撃つ。撃つ瞬間で切り返して撃たれる者を見せる。アメリカのアクション映画はそういう普通のことが普通にできている」

みたいなことを言っていました。

この『ザ・ハント』は政治風刺劇として見たら「わけがわからない映画」になってしまっていますが、アクション映画として見れば超一級ですよ。青山監督が言っていることが普通にやられてますもの。


語り口の面白さ
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最初、主人公かと思った人物が殺され、次に登場した人物が主人公かと思ったらまたすぐ殺され……というふうに、主人公らしき人物が次々に殺されていき「いったい誰が主人公なの?」というところが面白かった。

主人公かと思わせれば当然観客はその人物に乗って見るわけで、その人物があっけなく殺されたら驚愕するし混乱もする。「なぜ自分がこんな目に……?」という劇中の貧困層たちと同じような恐怖と理不尽さを観客が体感できる作りになっています。

で、30分近くたってから、ガソリンスタンドに丸腰のベティ・ギルピンが登場して「やっと本当の主人公が登場した!」という喜びがあるわけです。

で、そのベティ・ギルピンが初めて富裕層を殺す場面の素晴らしさ。

ここはアーカンソー州だという嘘をタバコの値段で見破って一気に男女二人を射殺するんですが、ちょっとした情報で嘘を見破るとか、アクション映画の常套手段ですが、こういうのを普通にやってるアメリカ映画が最近どんどん減っているので私は快哉を叫びましたね。


巨乳!
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で、ベティ・ギルピンが巨乳というのもいい。しかも最初の殺人シーンでは上着を着ていたのに、店を出るとき脱ぐんですよね。巨乳がよりあらわになる。この手のB級アクション映画が大好きな映画ファン男子の股間をくすぐる、これも常套手段ですが大事なところ。

あれが最初から薄着だとダメなんですよね。最初は上着を着ていて巨乳が見えない。で、颯爽と二人を射殺したあとに脱いで巨乳があらわになる。あれも大事。おおおお、と思いますもの。

クロアチアで国務省の偉いさんか何かを演じる富裕層の嘘を見破り(どこで見破ったのかは少しもわからなかったけど)思いきり蹴飛ばして、ひき殺す場面の一気呵成の畳みかけぶりなども大変よろしい。

そのシーンで仲間と思われていた男が実は敵だったとわかる場面。「銃を置いて」というベティ・ギルピンと、慌てながらも銃を構えたままの男のカットバックから、男が引き金を引こうとしたところでカットを割り、ベティ・ギルピンの発砲を見せる編集の呼吸が何とも素晴らしい。

いや、そんなのは当たり前のことじゃないかと私だって思うけれど、そういう当たり前のアクション映画が最近少なくなっているのだからしょうがない。

ちょっとしたことでウソがばれる、ばれたことで人物間の関係性が劇的に変わり銃撃戦になる、などのアクション映画としての素晴らしさは文句なしなので、できるなら、政治劇としても、ちょっとしたことでウソがばれるとか、ばれたことでその人物の本当の思想や目的が明らかになり、それが積み重なって映画全体のテーマが明らかになる、というごく普通の作劇をしてほしかった、というのが偽らざる正直な気持ち。

いくらアクション映画として素晴らしいといっても、やはり政治風刺劇でもあるわけだから、どちらも完璧にやってほしかったな。でも本物のアクション映画を久しぶりに見れてとても幸せなのも事実。

巨乳のネエちゃんが銃をぶっ放す映画はやはりいいもんですね~。




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