城定秀夫監督の最新作『アルプススタンドのはしの方』がとんでもなく素晴らしかった。今年のベストワンという人がいるのもうなずけます。


『アルプススタンドのはしの方』(2020、日本)
脚本:奥村徹也
監督:城定秀夫
出演:小野莉奈、平井亜門、西本まりん、中村守里、黒木ひかり



残念なタイトル
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タイトルは残念でした。いや、この見せ方のことではありません。字体も色もいいと思う。

そういうことではなくて、『アルプススタンドのはしの方』の「方」は「ほう」にすべきじゃなかったか、ということです。

アルプススタンドのはしの方
アルプススタンドのはしのほう

上は最後だけ漢字なので少しだけバランスが悪いように思います。ま、好みの問題ですが。

そんなことより……


戦略
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アルプススタンドのはしのほうだけでドラマを展開させる企画はひとつの発明ですよね。(球場の中の廊下とかが舞台になったりもするけど)

もともとは高校の演劇部がやった舞台劇らしいですが、見事に「映画」になっていました。

その要因のひとつはやはり「カメラ」でしょう。


カメラ
私は常々「意味もなく手持ちカメラで撮るのやめて」と言っていますが、この『アルプススタンドのはしの方』は後半、手持ちで撮ったショットが散見されましたが(試合展開が動きまくるのに合わせていたのでちゃんと意味があった)前半の落ち着いたシーンはすべて三脚にカメラを据えて普通に撮っていました。それだけで好もしく思えてしまうのがいまの映画。内外問わず。

クレーンでググっと上がるショットもありましたが、基本的にアルプススタンドで接写しようと思ったらクレーンを使うしかないのかしら。

私が現場にいた頃はクレーンを1日レンタルすると100万かかると聞きました。いまはいくらくらいするのだろう。仮に同じ100万だとしても、10日借りたらそれだけで1000万でしょう? かなりの低予算映画みたいだからそのへんどうやりくりしたのかぜひ知りたい。

長回しを基本に撮られていますが、黒木ひかり(この子しか役者の名前がわからなかった)演じる吹奏楽部部長の久住がガリ勉で友だちのいない宮下にお~いお茶を差し出すところなど、ここぞというときはクロースアップの切り返しになる。

基本といえば基本ですけど、最近は基本をおろそかにした映画が多いので、とてもうれしい。

カットを割るべきときしか割らない。かつての古典的ハリウッド映画はすべてそういう作法で作られていたはずですが、その遺伝子を受け継ぐ映画を久しぶりに見れて本当に幸せ。


見えないものが見える!
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『映像の発見』という名著中の名著を書いた松本俊夫監督は、

「映らないものを見せるのが映画だ」

みたいなことを言っていて、『映像の発見』を教科書にシナリオを書いてきたという荒井晴彦さんも同様の主張をしています。


矢野君が見える!
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『アルプススタンドのはしの方』で「映らないもの」といえば、当然のことながら野球の試合ですよね。そして重要人物でありながらついに登場しない「園田」と「矢野」という部員も映らない。

でも、映画を見ていたら彼らの顔が見えてきますよね。

エースの園田のせいで試合では絶対に投げられない控え投手だった藤野は「しょうがない」と野球部を辞めたところから物語が始まります。

強制的に応援しに連れてこられた演劇部の安田と田宮は、去年の関東大会で田宮がインフルエンザで出演できなくなり、台本を書いてその芝居に賭けてきた安田は「しょうがない」と自らを慰めている。

勉強しかできなくて学年1位だけが取り柄だった宮下は、黒木ひかりの吹奏楽部部長で園田の彼女に学年1位の座を奪われる。宮下は園田のことが好きなので恋敵に追い落とされた。それもまた「しょうがない」。

でも、劇中「しょうがない」などという言葉が辞書にない人物がいて、一人目が野球部の矢野。

彼はどうしようもない下手糞なのに人一倍練習に励む。藤野はそんな矢野を馬鹿にしている。でも9回裏の大事な局面で矢野が打席に立ちます。

ただし送りバント要員として。矢野は見事に監督の期待に応えて送りバントを成功させる。送りバントとは劇中でも語られるように、自分はアウトになって味方のランナーを進めること。矢野はおそらく送りバントの練習を必死にやってきたのでしょう。

そして田宮が「矢野君、すごくうれしそう」と言います。安田は「顔見えないじゃん」と突っ込みますが、おそらく矢野君は本当にうれしそうな顔をしていたと思う。それをカメラは矢野君には背を向けたまま、「矢野君、すごくうれしそう」という田宮の笑顔だけを捉えることで「映っていない矢野君」を見せることに成功している。お見事!


黒木ひかり=久住
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「しょうがない」という言葉を知らない人物二人目は、黒木ひかりの久住。

彼氏の園田にLINEを送ってもほとんど返事が来ない。うまくいっていないらしい。もう別れるしかないのか。最終回の前に一言送ろうとするけど、やめる。でも彼女は「しょうがない」とは思わない。やる気のない部員を叱咤し、LINEは送らないがもっと大きな音を贈ることにする。その決意と行動が素晴らしい。


厚木先生
喉が使い物にならないくらい大声を出して応援する茶道部顧問の厚木先生もまた矢野と同じ「しょうがない」を知らない人物でしたね。

「しょうがない」なんて言うな! という暑苦しい教師ですが、世界を変えるのはあのような人物だというのが作り手たちの信条なのでしょう。

演劇部の田宮、吹奏楽部の久住、そして厚木先生の三人によって、矢野君の顔や人となりが見えてしまう。これぞ映画のマジック!!

矢野君は練習の甲斐あってプロに入ったことがラストで示されますが、これはほとんどファンタジー。人生はそんなに甘いものではない。

でも、頑張れば報われるというファンタジーを映画というメディアが信じられなくなったら終わりだろう、というのもまた作り手たちの思想信条なのでしょう。


「しょうがない」は呪いの言葉
では、この『アルプススタンドのはしの方』という映画は、ファンタジーばかりを語っているのでしょうか? 現実的な不条理や理不尽さは描かれていないのでしょか?

まさか!

何度も上に書いている「しょうがない」がそれですよね。「しょうがない」は自らを縛り、自らを罠にはめる呪いの言葉だというのも、これまた作り手たちの思想信条なんだと思います。

『仁義なき戦い』を書いた笠原和夫さんは、

「枷は主人公の心のあり方にこそ求めよ」

と説きました。

まさに登場人物はみな「しょうがない」という心に巣食う呪いに縛られていました。でも、周囲から馬鹿にされる「能天気」な人間がそれを取り払う。

しょうがないと現実を見つめるより、もっとバカになろう。自分が犠牲になって周りを生かす送りバントしかできなくても、その先にきっと光が見えてくる。

それを信じられるか否か。おそらくその力を「才能」というのです。


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