三浦春馬が自殺した日に見たのがこの映画だったのは何やら象徴的のような……?

内容をまったく知らず、ただ京アニ作品などで敬愛している吉田玲子さんが脚本を書いているというただそれだけで見に行ったのだけど、これが大当たり。やっぱり吉田さん、天才だと思う。


『のぼる小寺さん』(2020、日本)
脚本:吉田玲子
監督:古厩智之
出演:伊藤健太郎、工藤遥、鈴木仁、吉川愛


ひたむきな、どこまでもひたむきな
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小寺さん(ちなみに「コデラ」ではなく「コテラ」です)はボルダリング部に所属してクライマーを目指す高校生。ひたすら登ることしか考えていないので不思議ちゃんと陰口を囁かれている。

それでも彼女は登る。


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クラスメイトで写真家を目指す子が自分を盗撮していたと知っても怒るどころか自分の登るフォームのおかしさのほうが気になってしまう。というかそれしか気にしていない。「盗撮」という概念そのものが小寺さんにはない。

進路希望でも第一志望に「クライマー」と書く小寺さん。もっと現実的になれ、体育大学とかスポーツ推薦を目指すとか、と担任教師は諭すけれど、それに対する返答が「嘘を書けってことですか?」。

担任は図星を衝かれて何も言えない。小寺さんはあくまでクライマーを目指すという。先輩の話によると、宇宙飛行士やハリウッド女優を目指すのと同じぐらいの難関だという。それでも目指すという小寺さんに教師はもう何も言えない。言わない。

ここが素晴らしい。凡百の映画ならもっと叱責するところ。それが世界の原理。でも『のぼる小寺さん』の映画の原理は「ひたむきな人間を嗤ってはいけない」というものだから、教師は受け容れる。

現実にこんなことありえない、などと腐す人とはおそらく私は一生友だちになれない。映画がファンタジーを語らなくていったい何が語るというのか。

教師だけでなく、普通なら馬鹿にするであろう先輩たちも小寺さんのひたむきさに何も言えない。最初は小馬鹿にしていたけど、大会での小寺さんのひたむきさに思わず「ガンバ!」と叫んでしまう。

ほとんど学校に来ないヤンキーみたいな子も、小寺さんに感化されたのか、いまは自分で学費を稼いでネイルアートの学校に通っているという。小寺さんのような人をいの一番に馬鹿にするようなかわいい女の子が、小寺さんのクライミングを見て「何か泣けるじゃないですか」という場面は圧巻の素晴らしさ。

小寺さんのことばかり語ってきたけど、実はこの映画の主人公は小寺さんではなく、彼女に恋慕するクラスメイトの男子。


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彼は卓球部に所属するも、隣のボルダリング部ばかり見ている。クラスでも小寺さんばかり見ている。そのひたむきさがいい。

ひたむきといえば、四条君という、中学の時分に小寺さんに告白して振られた男子がいて、彼は気が弱いにもかかわらずクライミングシューズをはかずに登ろうとした不良たちに「シューズをはかずに登るな!」と引きずりおろす。そのせいで首領格の男子に馬乗りになられるのだけど、四条君は勝ったんですよね。不良たちはゲラゲラ笑いながら去っていったけど、あれを負け犬の遠吠えという。

四条君のそういうひたむきさに打たれたのか、バレー部(でしたっけ)の女の子に告白されてつきあうことになる。

それを聞いた我らが主人公・近藤君は驚きながらも、自分はあくまでも小寺さんをひたむきに見つめ続けようと決意する。

その決意のご褒美がこれ。


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「静けさや岩にしみいる蝉の声」
松尾芭蕉の句が好きだという小寺さんと蝉の声を聞きながらこんなことになる。

「世界中の脚本家が『アイ・ラブ・ユー』に代わるセリフを毎日探している」

とは君塚良一さんの言葉だけれど、セリフなしで背中に寄り掛かるだけで表現したことの素晴らしさに感涙しました。抱き合うんじゃなくてそれとは真逆というのがね。ささやかな幸福感があってたまらなかった。


三浦春馬の死
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映画に行く直前に「三浦春馬が死亡。自殺とみられる」というニュースを見て心がざわざわしながら家を出たんですが、いま最新のニュースを見てみると、東出昌大が不倫で大バッシングの嵐に晒されていたとき、そんなに叩くのはおかしいんじゃないか、とツイートして、逆に彼がバッシングされていたとか。

別にネット民はひたむきであることを嗤ったわけじゃないけれど、小寺さんや近藤君や四条君のような人たちを嗤う人間と、三浦春馬を自殺に追いやった者どもは同じ穴のムジナだと思う。

世界がコテライズムに染まるといいと思う。
誹謗中傷したくなる気持ちを抑えて「ガンバ!」と叫びたい。


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