『逃げるは恥だが役に立つ ムズキュン特別編』ももう7話まで来ました。
前回の第6話で起こった新婚旅行での衝撃のアレがやはり胸キュンポイントでした。

前回までの記事
逃げ恥の経済学①贈与と返礼(給料前払いとよけいな家事労働)
逃げ恥の経済学②炊き込みご飯とぶどう(藤井隆の役割)
逃げ恥の神話学①星野源を救い出すヒーロー・新垣結衣
5万ポイントとマムシドリンクという「供給」
叔母の石田ゆり子は貯めに貯めた5万ポイントで温泉旅行のチケットを二人にプレゼントします。
これはこれまでの文脈でいえば明らかな「供給(贈与)」ですね。この供給がなければ二人の恋の発展はありえなかった。

そして忘れてはならないのが藤井隆によって「供給」されるマムシドリンク。新婚旅行(社員旅行?)に行ったとしても、星野源が思わずガッキーにキスしてしまうのを後押ししたのは間違いなくあのマムシドリンクでしょう。やはり藤井隆は供給役なんですね。
これまでのように、まず供給=贈与があって、それが需要を生んで返礼が行われる、というのとは違いますが、第三者からの二つの供給によって「星野源の新垣結衣への欲情」という需要が生まれました。
さて、その欲情がどうなるのか、というのが先日の第7話の肝だったわけですが……
貨幣という幻想を共有できない二人
ガッキーがキスのことをかなりあからさまに会話にもちだすのに星野源は逃げてばかり。
そんななか、大谷亮平がおしゃれな紅茶をガッキーにプレゼントしたという話を聞いて、誕生日が過ぎていたことを知る。で、いろいろ考えた末に贈ったプレゼントがこれです。

何と現金。一応、二人は雇用主と従業員という関係なので「ボーナス」という形をとっています。
でも、最初の記事で星野源が先払いした給料とはもう現金のもつ意味が異なります。あのときは本当に現金でよかった。ガッキーは家事代行として働こうとしていただけだから。
現在の二人はもうキスをした関係です。そんな相手に現金⁉
岩井克人という経済学者による名著『貨幣論』によると、「貨幣は貨幣だから貨幣なのである」という循環論法によってしか説明できないそうです。
なぜなら、貨幣に価値があるのは「この貨幣には価値がある」という幻想を共有している場合だけだからです。
金本位制の時代は中央銀行に貨幣をもっていけば時価相当の金と交換することができた。1万円札には本当に1万円の価値があった。しかし、それでは世界の金の総量までしか経済発展できない、ということで各国が金本位制をやめた。では1万円に1万円の価値がある根拠は何か。それが「幻想」なんですね。
よく「国が発行しているから、国の信用によって貨幣に価値があるのだ」という人がいますが、あれは間違いです。もしそうなら、なぜ東南アジアで日本円が通用するのか説明がつきません。
1万円札には1万円の、千円札には1000円の価値があるという幻想を、売る側と買う側が共有しているから貨幣は価値をもつのです。
星野源は数万円の札束にそれ相応の価値があると信じてガッキーにボーナスという名の誕生日プレゼントを渡しました。星野源はプロの独身だからそういう幻想をもっている。でもガッキーはそんな幻想をもっていない。幻想を共有できていないから、第1話の先払い給料と違って、ガッキーは悲しくなるし、見ているこちらはヤキモキしてしまう。
『逃げ恥』で描かれる経済観念はとてもまともだし、理にかなっています。
返礼を怠るアンチヒーロー星野源
しかも、星野源はガッキーの「供給(贈与)」に対して、必ずせねばならない「返礼」を怠るという大失態を演じてしまいます。

あろうことかこんなメールを送ってしまいそうになるくらいガッキーに対して及び腰な彼は、
「好きです。つきあってください!」
と言いさえすればいいものを、それができない。「なぜ私にキスしたんですか」という問いかけにすら答えられない。
二人はハグの日だけは守り、何とかかんとか二回目のキスに辿り着きますが、
「平匡さんとなら、そういうことしてもいいですよ」
というガッキーの一言に恐れをなした星野源は「そういうことをしたいんじゃないんです」と逃げてしまう。
ほんとは押し倒したいくせに。セックスしたいくせに。描かれないけどガッキーをおかずにオナニーしてるくせに。
ヒーローである新垣結衣は、アンチヒーローたる星野源に対して徹底して「供給」をします。何をか。自分の体を、です。
最初はハグという形で提供し、次は「平匡さんとなら……」という一言ですべてを彼の前に投げ出す。
星野源の中にはガッキーを抱きたいという「需要」が芽生えているはずなのに、彼女への返礼ができない。
ヒーローは必死でアンチヒーローを救い出そうと頑張った。でも応えてくれなかった。
星野源の気持ちもわかる気がする

303号室を出るところで第7話は幕を閉じますが、それもむべなるかな。ガッキーの気持ちは痛いほどわかる。
でも彼女のセリフにありますよね。
「なぜいざ告白しようとすると言えなくなるんだろう」
みたいなセリフ。
あれもわかる。今日こそは言おう、明日こそは、とあれこれシミュレーションして、いつ頃どこで待ち伏せして、とか考えに考えまくるのに、いざ相手が来ると何も言えない。言おうとしていたことすら忘れていることもある。
あれはいったい何なのだろう。
だから、ガッキーが「私のすべてを好きにしていい」と言っているのに、ついにそのときが来てしまった星野源が逃げた気持ちもわかるような気がしてきました。
いずれにしても、神話のヒーローがアンチヒーローを救い出すべく自分の体を供給(贈与)したのに、アンチヒーローは自らの需要を封印してしまい、贈与に対する返礼を怠ってしまった。
これはもはや致命的。
この先もどう転回するのかまったく憶えてないので次回、日曜日の8話、9話が楽しみです。
(東京などいろんな地域では土曜日に8話、9話で日曜日に最終回までやるらしいですが、関西では再来週の日曜日にようやく最終回。ま、楽しみを先延ばしにできるのは幸せですかね)
続きの記事
逃げ恥の経済学④と神話学③(終)搾取、呪い、共同ヒーロー

前回の第6話で起こった新婚旅行での衝撃のアレがやはり胸キュンポイントでした。

前回までの記事
逃げ恥の経済学①贈与と返礼(給料前払いとよけいな家事労働)
逃げ恥の経済学②炊き込みご飯とぶどう(藤井隆の役割)
逃げ恥の神話学①星野源を救い出すヒーロー・新垣結衣
5万ポイントとマムシドリンクという「供給」
叔母の石田ゆり子は貯めに貯めた5万ポイントで温泉旅行のチケットを二人にプレゼントします。
これはこれまでの文脈でいえば明らかな「供給(贈与)」ですね。この供給がなければ二人の恋の発展はありえなかった。

そして忘れてはならないのが藤井隆によって「供給」されるマムシドリンク。新婚旅行(社員旅行?)に行ったとしても、星野源が思わずガッキーにキスしてしまうのを後押ししたのは間違いなくあのマムシドリンクでしょう。やはり藤井隆は供給役なんですね。
これまでのように、まず供給=贈与があって、それが需要を生んで返礼が行われる、というのとは違いますが、第三者からの二つの供給によって「星野源の新垣結衣への欲情」という需要が生まれました。
さて、その欲情がどうなるのか、というのが先日の第7話の肝だったわけですが……
貨幣という幻想を共有できない二人
ガッキーがキスのことをかなりあからさまに会話にもちだすのに星野源は逃げてばかり。
そんななか、大谷亮平がおしゃれな紅茶をガッキーにプレゼントしたという話を聞いて、誕生日が過ぎていたことを知る。で、いろいろ考えた末に贈ったプレゼントがこれです。

何と現金。一応、二人は雇用主と従業員という関係なので「ボーナス」という形をとっています。
でも、最初の記事で星野源が先払いした給料とはもう現金のもつ意味が異なります。あのときは本当に現金でよかった。ガッキーは家事代行として働こうとしていただけだから。
現在の二人はもうキスをした関係です。そんな相手に現金⁉
岩井克人という経済学者による名著『貨幣論』によると、「貨幣は貨幣だから貨幣なのである」という循環論法によってしか説明できないそうです。
なぜなら、貨幣に価値があるのは「この貨幣には価値がある」という幻想を共有している場合だけだからです。
金本位制の時代は中央銀行に貨幣をもっていけば時価相当の金と交換することができた。1万円札には本当に1万円の価値があった。しかし、それでは世界の金の総量までしか経済発展できない、ということで各国が金本位制をやめた。では1万円に1万円の価値がある根拠は何か。それが「幻想」なんですね。
よく「国が発行しているから、国の信用によって貨幣に価値があるのだ」という人がいますが、あれは間違いです。もしそうなら、なぜ東南アジアで日本円が通用するのか説明がつきません。
1万円札には1万円の、千円札には1000円の価値があるという幻想を、売る側と買う側が共有しているから貨幣は価値をもつのです。
星野源は数万円の札束にそれ相応の価値があると信じてガッキーにボーナスという名の誕生日プレゼントを渡しました。星野源はプロの独身だからそういう幻想をもっている。でもガッキーはそんな幻想をもっていない。幻想を共有できていないから、第1話の先払い給料と違って、ガッキーは悲しくなるし、見ているこちらはヤキモキしてしまう。
『逃げ恥』で描かれる経済観念はとてもまともだし、理にかなっています。
返礼を怠るアンチヒーロー星野源
しかも、星野源はガッキーの「供給(贈与)」に対して、必ずせねばならない「返礼」を怠るという大失態を演じてしまいます。

あろうことかこんなメールを送ってしまいそうになるくらいガッキーに対して及び腰な彼は、
「好きです。つきあってください!」
と言いさえすればいいものを、それができない。「なぜ私にキスしたんですか」という問いかけにすら答えられない。
二人はハグの日だけは守り、何とかかんとか二回目のキスに辿り着きますが、
「平匡さんとなら、そういうことしてもいいですよ」
というガッキーの一言に恐れをなした星野源は「そういうことをしたいんじゃないんです」と逃げてしまう。
ほんとは押し倒したいくせに。セックスしたいくせに。描かれないけどガッキーをおかずにオナニーしてるくせに。
ヒーローである新垣結衣は、アンチヒーローたる星野源に対して徹底して「供給」をします。何をか。自分の体を、です。
最初はハグという形で提供し、次は「平匡さんとなら……」という一言ですべてを彼の前に投げ出す。
星野源の中にはガッキーを抱きたいという「需要」が芽生えているはずなのに、彼女への返礼ができない。
ヒーローは必死でアンチヒーローを救い出そうと頑張った。でも応えてくれなかった。
星野源の気持ちもわかる気がする

303号室を出るところで第7話は幕を閉じますが、それもむべなるかな。ガッキーの気持ちは痛いほどわかる。
でも彼女のセリフにありますよね。
「なぜいざ告白しようとすると言えなくなるんだろう」
みたいなセリフ。
あれもわかる。今日こそは言おう、明日こそは、とあれこれシミュレーションして、いつ頃どこで待ち伏せして、とか考えに考えまくるのに、いざ相手が来ると何も言えない。言おうとしていたことすら忘れていることもある。
あれはいったい何なのだろう。
だから、ガッキーが「私のすべてを好きにしていい」と言っているのに、ついにそのときが来てしまった星野源が逃げた気持ちもわかるような気がしてきました。
いずれにしても、神話のヒーローがアンチヒーローを救い出すべく自分の体を供給(贈与)したのに、アンチヒーローは自らの需要を封印してしまい、贈与に対する返礼を怠ってしまった。
これはもはや致命的。
この先もどう転回するのかまったく憶えてないので次回、日曜日の8話、9話が楽しみです。
(東京などいろんな地域では土曜日に8話、9話で日曜日に最終回までやるらしいですが、関西では再来週の日曜日にようやく最終回。ま、楽しみを先延ばしにできるのは幸せですかね)
続きの記事
逃げ恥の経済学④と神話学③(終)搾取、呪い、共同ヒーロー

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