2020年05月04日

新聞の書評欄で興味深く取り上げられていた、イタリアの気鋭作家パオロ・ジョルダーノのエッセイ集『コロナの時代の僕ら』(早川書房)を読みました。


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パオロ・ジョルダーノといえば、確かずっと前に新聞のインタビューで、

「書くことで世界を変えることはできないかもしれない。でも自分が変わることはできる」

という名言を語っていた人だと思います。(⇐あやふやですが、たぶん)

世界を変えることはできないかもしれない、でも自分が変わることはできる。だいぶ消極的ですが、自分が変わることで世界を変えることを希求する気持ちはよく理解できました。

しかし、この数年でだいぶ考えが変わったようです。この『コロナの時代の僕ら』は積極的に「世界を変えよう」という意志にあふれています。


僕は忘れたくない
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訳者が言っているように、最後に置かれた「コロナウイルスが過ぎたあとも、僕が忘れたくないこと」と題された著者のあとがきが一番印象深い。日本版にだけ特別に掲載が許可されたとか。(なぜだろう)

マーティン・ルーサー・キングのあの有名な「私には夢がある」という演説のように、印象的なリフレインがあります。(以下、一部抜粋)


・僕は忘れたくない。最初の数週間に、初期の一連の控えめな対策に対して、人々が口々に「頭は大丈夫か」と嘲り笑ったことを。

・僕は忘れたくない。結局ぎりぎりになっても飛行機のチケットを一枚キャンセルしなかったことを。この自己中心的で愚鈍な自分を。

・僕は忘れたくない。頼りなくて、支離滅裂で、センセーショナルで、感情的で、いいかげんな情報が、今回の流行の初期にやたらと伝播されていたことを。

・僕は忘れたくない。今回の緊急事態があっという間に、自分たちが、望みも、抱えている問題も、それぞれ異なる個人の混成集団であることを僕らに忘れさせたことを。

・僕は忘れたくない。ヨーロッパが出遅れたことを。遅刻もいいところだった。

・僕は忘れたくない。今回のパンデミックそのものの原因が秘密の軍事実験などではなく、自然と環境に対する人間の危うい接し方、森林破壊、僕らの軽率な消費行動にあることを。

・僕は忘れたくない。パンデミックがやってきたとき、僕らの大半は技術的に準備不足で、科学に疎かったことを。

・僕は忘れたくない。誰かを元気にするどころか、自分すらろくに励ませなかったことを。


ヨーロッパが遅刻もいいところなら日本はどうなるのか、とも思うけれど、いまそれは措きます。

著者はこのような文章を書くことで、まず自分自身がコロナ以前に逆戻りしないよう厳しく戒め、変わろうとしている。そしてこの文章を公にすることで周りを、世界を変えようとしていることに感動しました。


コロナ以前/以後
そして著者はこう問いかけます。

「すべてが終わったとき、本当に僕たちは以前と同じ世界を再現したいのだろうか?」

いま日本ではコロナ騒動にかこつけて「学校の9月入学」を実現しようと躍起になっている人たちがいます。

私は賛成であり同時に反対です。

小中高大すべてを9月入学にするなら、単に世界と足並みをそろえるというだけの話でしょう? 留学生を受け入れやすくなるという皮算用だけでしょう?

高校の卒業式直前の学年集会で、ある教師がこんなことを言いました。

「君たちの中から将来この国の中枢を担う人材が出たら、そのときは大学の入学を9月に変えてもらいたい」

そうすれば、高校を卒業してから受験勉強しても間に合うし、おそらく7月と8月は夏休みでしょうから、大学卒業は6月末くらいですよね。そこから就職活動を始めて次の年の4月に入社。という考え。

つまり、大学の入学時期だけを9月に変える。それだけで3年間の高校生活も4年間の大学生活も充分エンジョイすることができる、という主旨でした。

いまの議論には学生たちのためを考える気持ちがないように思われるのは私だけではないでしょう。確かにコロナ以前とは違う世界を生み出そうとしていますが、形だけ変えようとしているように感じられます。

私が高校を卒業したのはバブル真っ盛りの頃で、日本中が浮かれていた。そういうときでさえ冷静に考えている人が確実にいた。

いま、現代人のほぼ全員が初めて直面する未曽有の事態が起きているのだから、せめてパオロ・ジョルダーノが数年前に語っていたように、「自分を変える」ところから始めていただきたい。

世界を変えることはできないかもしれない、でも自分が変わることはできる。

これはやはり「自分が変わることで初めて世界を変えることができる」という意味でしょう。

政治家のみなさんにはぜひ「あなた自身がまず変わってください」と言いたい。



見ず知らずの人への礼儀
いまは街なかや電車の中など家の外ではマスクをするのがエチケットになっています。マスクをしてないだけで白い目で見られる。

何しろ、移される危険性もありますが、知らず知らず自分がウイルスをもっていて移してしまう危険性もあるん。だからマスクをするのがエチケット。

こういう「見ず知らずの人に対するエチケットやマナー、礼儀」というのはコロナ以後の世界でも続いてほしい。

常にマスクをつけるという意味ではなくて、例えば、先日ニュースでやっていた、ゴミ収集車の人へ感謝の手紙ををつけてゴミを出すとか、そういうの。

いままでゴミ収集業の人たちは「生活の中の黒子」でしかなかったはずですが、いまは「ごみを収集してくれる人がいるから自分たちの生活が成り立っている」ことをみんな痛感している。それはコロナ以後も忘れてはいけない。

そして、自分の軽率な行動が見ず知らずの人に迷惑を及ぼすかもしれない可能性について、ずっと敏感でいたい。

そんなことを考えさせてくれる良書でした。


コロナの時代の僕ら
Paolo Giordano
早川書房
2020-04-24








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