昨年の1月~3月クールに放送された深田恭子主演『初めて恋をした日に読む話』が再放送されたので見てみました。まずは昨日放送された1話から3話。
深田恭子は好きだけれど、作品にハズレが多い印象が強く、去年は乗り気になれずに最初から見ずじまいでしたが、コロナのおかげというべきか再放送されたのでせっかくだから見てみようと思った次第。
致命的な欠陥
で、やっぱり深田恭子はハズレが多いと思いました。
だって、恋多き女と誉れ高き彼女が30代でまだ恋愛経験がない役とか説得力なさすぎでしょ?
それに、2話からは横浜流星に個別指導で授業するシーンがありましたが、1話では皆無でしたから、生瀬勝久塾長が「あなたの授業には熱くたぎるものがない」みたいなことを言う場面でも、見ているこちらは深田恭子の授業風景を見たことがないのでどう思っていいのかわからない。
塾講師の話なのに授業シーンがないのは致命的ではないかしらん。2話3話では授業シーンがあるとはいえ、少しも「これなら東大に合格できるかも」というような代物ではなく、中村倫也の学校での授業には面白味があったとはいえ、それまで授業の面白さが皆無だったからという相対的な理由によるものでしかありませんでした。
なぁんてことを思いながら、結局3話まで一気見しました。そして来週の4話5話も録画予約しました。
致命的な瑕疵があると思いながら最後まで見ると思えたのは、ひとえに神話的世界観が物語を根底から支えているからでしょう。
はじこいの「神話」
神話とはつまるところ、このブログで再三再四言ってきていますが、英雄の旅=ヒーローズ・ジャーニーのことです。
そして英雄とは何か。端的にいえば「問題を解決する者」のこと。もちろんのこと、横浜流星を東大に入れるべく奮闘する深田恭子がそれにあたります。
じゃあ『はじこい』における問題とは何か。
やはりそれは、深田恭子が「きらめくような青春を檀ふみ演じる母親から奪われた」ということでしょう。
そうです。このドラマは「喪失プロット」で成り立っています。(喪失プロットが何かについてはこちらの記事を参照してください⇒「過剰プロットと喪失プロット①ハイ・コンセプトとは何か
喪失プロットとはいっても、深田恭子が自分自身の失われた青春を取り戻すのではありません。
確かに、深田恭子は幼馴染の永山絢斗や同級生の中村倫也から好かれている。横浜流星もはっきり「あいつのことが好きだ」という。遅れてやってきたモテキ到来ですが、失われた年月はもう取り戻せません。
彼女の主要アクション(問題を解決に導く行動)は、あくまでも横浜流星の「親父を見返してやりたい」という気持ちを成就させてやろうとすることです。
ここがこの『はじこい』の勘所ですね。
深田恭子が横浜流星の「東大に入って親父を見返す」という夢を成就させてやれば、彼の青春を失わせることになる。
檀ふみが深田恭子の青春を奪ったように、今度は深田恭子が横浜流星の青春を奪ってしまうことになる。
つまり、ヒーローの主要アクションが同時に誘引アクション(問題を引き起こす行動)と完全に一致しているのです。
ヒーローがヒーローたらんとすればするほどアンチヒーローへと堕落していく可能性が高まる。
ヒーロー=アンチヒーロー
これこそドラマ作りの要諦である「葛藤」というやつですね。
この構造に気づいたとき、私は「最後まで見る!」と固く誓ったのでした。
まだ3話なのでとりあえずここまで。来週が楽しみです。
続きの記事
②本当の「青春」とは何か
深田恭子は好きだけれど、作品にハズレが多い印象が強く、去年は乗り気になれずに最初から見ずじまいでしたが、コロナのおかげというべきか再放送されたのでせっかくだから見てみようと思った次第。
致命的な欠陥
で、やっぱり深田恭子はハズレが多いと思いました。
だって、恋多き女と誉れ高き彼女が30代でまだ恋愛経験がない役とか説得力なさすぎでしょ?
それに、2話からは横浜流星に個別指導で授業するシーンがありましたが、1話では皆無でしたから、生瀬勝久塾長が「あなたの授業には熱くたぎるものがない」みたいなことを言う場面でも、見ているこちらは深田恭子の授業風景を見たことがないのでどう思っていいのかわからない。
塾講師の話なのに授業シーンがないのは致命的ではないかしらん。2話3話では授業シーンがあるとはいえ、少しも「これなら東大に合格できるかも」というような代物ではなく、中村倫也の学校での授業には面白味があったとはいえ、それまで授業の面白さが皆無だったからという相対的な理由によるものでしかありませんでした。
なぁんてことを思いながら、結局3話まで一気見しました。そして来週の4話5話も録画予約しました。
致命的な瑕疵があると思いながら最後まで見ると思えたのは、ひとえに神話的世界観が物語を根底から支えているからでしょう。
はじこいの「神話」
神話とはつまるところ、このブログで再三再四言ってきていますが、英雄の旅=ヒーローズ・ジャーニーのことです。
そして英雄とは何か。端的にいえば「問題を解決する者」のこと。もちろんのこと、横浜流星を東大に入れるべく奮闘する深田恭子がそれにあたります。
じゃあ『はじこい』における問題とは何か。
やはりそれは、深田恭子が「きらめくような青春を檀ふみ演じる母親から奪われた」ということでしょう。
そうです。このドラマは「喪失プロット」で成り立っています。(喪失プロットが何かについてはこちらの記事を参照してください⇒「過剰プロットと喪失プロット①ハイ・コンセプトとは何か
喪失プロットとはいっても、深田恭子が自分自身の失われた青春を取り戻すのではありません。
確かに、深田恭子は幼馴染の永山絢斗や同級生の中村倫也から好かれている。横浜流星もはっきり「あいつのことが好きだ」という。遅れてやってきたモテキ到来ですが、失われた年月はもう取り戻せません。
彼女の主要アクション(問題を解決に導く行動)は、あくまでも横浜流星の「親父を見返してやりたい」という気持ちを成就させてやろうとすることです。
ここがこの『はじこい』の勘所ですね。
深田恭子が横浜流星の「東大に入って親父を見返す」という夢を成就させてやれば、彼の青春を失わせることになる。
檀ふみが深田恭子の青春を奪ったように、今度は深田恭子が横浜流星の青春を奪ってしまうことになる。
つまり、ヒーローの主要アクションが同時に誘引アクション(問題を引き起こす行動)と完全に一致しているのです。
ヒーローがヒーローたらんとすればするほどアンチヒーローへと堕落していく可能性が高まる。
ヒーロー=アンチヒーロー
これこそドラマ作りの要諦である「葛藤」というやつですね。
この構造に気づいたとき、私は「最後まで見る!」と固く誓ったのでした。
まだ3話なのでとりあえずここまで。来週が楽しみです。
続きの記事
②本当の「青春」とは何か
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