2年前に生まれて初めて小説なるものを書きましたが、またぞろ書こうとしています。

2年前に書いたときのことについてはこちらの記事を参照してください。⇒小説を書き始めました(一作目)


思いついたのは20年前
ジム・トンプスンの一人称小説がもともと好きで、脚本は三人称しかありえないけど文学なら一人称が使える、もし小説を書くことがあればぜひ一人称で書きたい、と思っていました。

ところが、2年前に書いたのは二人称小説でした。私が私自身を「おまえ」という呼称を使って責める内容だったんですが、本質的には一人称。

でも、もっと前に一人称小説の構想はあったんです。

あれは2000年だからちょうど20年前ですか。詳しくは書けませんが、どこからともなく一人称小説の構想が湧き上がってきました。(「湧く」とか「浮かぶ」という言い方をしますが、実感としては「天から降ってくる」という感覚に近い。これは実際に書いたことのある人ならわかってくれるはず)

しかし、そのときゴジこと長谷川和彦監督から注意されました。

「君は映画をやりたいと思っているのだから脚本を書くべきだろう」

うん、確かにその通りだと簡単にやめてしまいました。

ゴジさんは「一口に小説といってもハードボイルドみたいなのもあるけど」とは言っていました。

誤解している方がたくさんいますが、ハードボイルドとはヘミングウェイが創始した「文体」のことであって、探偵物語とかハードな物語とかの「ジャンル」のことではありません。状況と動きとセリフだけで描写するというのは脚本と同じで、だからゴジさんもハードボイルドなら……という感じで言ったのでしょう。

やめたとはいえ今日まで憶えていたのですから、自分にとってよっぽど魅力的なアイデアだったのでしょう。


逃げるのはいや
黒澤組で有名な橋本忍さんの『複眼の映像』にこんなことが書いてありました。

「脚本家から小説家になった者が多くいるが、彼らは逃げたのである。シナリオは設計図だからはっきりした線を引かなくてはいけない。だから難しい。文学は曖昧な表現でも許されるしそこに味があるなどと評されることもある。彼らはその曖昧さに逃げたのだ」

この言葉を読む前から同じことを思っていました。だから「小説を書いたら?」という呑気な助言を拒否してきました。

脚本家の夢をあきらめて都落ちしてから、あきらめたくせに脚本を構想し、実際に書いたことはあります。

でも、どれもダメだったうえに、決定的だったのは去年の夏ですね。5年前にあきらめる決断をしたときに書いていたものの突破口が見えた気がしたので本腰を入れて取り組んだんですが、結局「自分は脚本家にはなれない」という冷厳な事実に再度直面させられただけでした。

というわけで、長らく創作から遠ざかっていましたが、やはり書くことから逃れることができないのか、2年ぶりに小説を書こうなんていう気になってきました。

橋本忍さんに言わせれば「逃げている」ということになりますが、まぁそれでもいいじゃないですか。大好きな創作に打ち込めるなら。

まだ考え始めたばかりで(だから「小説を書き始めました」というのは違いますね。「考え始めました」ですね。でも考えるのは書くことの大切な一部です)当初のアイデアが膨らんでいるのか脱線しているのかすらわからないありさまですが、まぁいいでしょう。

いまは仕事が繁忙期なのでほとんどノートに向かう時間がありませんが、少しずつ書いていく予定です。


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