『コタキ兄弟と四苦八苦』は第1話がとても面白く(感想は⇒こちら)あの感じで押してくれるのかと思ってたら期待とは違ったので、最近見るのが億劫だったんですが、昨日の第8話「五蘊盛苦」がとても面白かったので筆を執りました。


女の悲哀を描くにあたって男の体が入れ替わる?
9a173f83e46b0bb1d8c6c58ec88459d6

今回の主人公は喫茶店「シャバダバ」のアイドル、さっちゃんこと芳根京子。前回出番がなかったので作者が見せ場を作ってあげたんでしょう。

しかしながら、それならそれで芳根京子のほうに何らかの仕掛けをするのが普通でしょうが、野木亜紀子さんはそんな凡庸なことはせず、古館寛治と滝藤賢一の体を入れ替えるという奇策に打って出ました。

これはすごいことです。

だって芳根京子の話なんですよ。なのに主役とはいえ兄弟のほうに仕掛けをするというのはなかなか思いつきません。

で、Y字路で流れ星を見たのが入れ替わりのきっかけだと判明し、その結果、芳根京子も交えて三人でどんどん体が入れ替わる乱打戦になる。芳根京子の体になった滝藤賢一が「お約束だろう」と胸を揉もうとしたりするんですが、その過程で、芳根京子が同性愛者で「男になりたい」という願望をもっていることが明らかになります。

なるほど、そのための体の入れ替わりだったのか。それで「五蘊盛苦」だったのか。

私も御多分にもれず仏教用語には詳しくないんですが、番組では「肉体と心がうまくいかない苦しみ」(でしたっけ?)というような簡単な説明でしたが、実際はいろいろと複雑な意味のようです。

私は同性愛者ではないからよくわからないが、もしそうだったら「女になりたい」と思うものなのかしらん。ぜんぜんわからない。でも、芳根京子が「男になりたい」と思うということは、同棲していた恋人は「女のままでいたい」と思ってたってことですよね。違うか?

ただ、野木亜紀子さんがすごいのは「五蘊盛苦」に苦しむ一人の女性を解放する言葉として「すべての道はローマに通ず」をもってきたことですね。


すべての道はローマに通ず!
作品内でこの言葉は、

「どれだけ遠回りをしても、最後はあるべき場所にだどり着く」

というような意味だと古館寛治が滝藤賢一に教えますが、その前にクドカンが芳根京子に言う言葉が秀逸です。

「五蘊は空です。あなたはあなたがあなたをあなただと思うからあなたなのであり、他の誰かがあなたをあなただと思うからあなたなのです」

芳根京子は理解できないと言いますが、そんな彼女にクドカンは「すべての道はローマに通ず!」と指差します。

その先にあるのは……

UDI226

この少女はかつての芳根京子であり、二人の男は古館寛治と滝藤賢一であることが明らかとなります。

これはどういうことなんでしょう?

芳根京子は紆余曲折を経て「あるべき場所」へ帰ってきた。その「あるべき場所」がコタキ兄弟のいる喫茶店「シャバダバ」ということのなのでしょうか。

確かに彼女はそこで爆睡していた。その間、客の兄弟が店を切り盛りしてくれていた。彼女にとってあの店は「ふるさと」なのかもしれません。

が、かつて恋人と同棲していた部屋は「もうない」とも言っていた。あの部屋は、つまりあの恋人は一緒にいるべき人間ではなく、芳根京子にとっての「運命の人」とはコタキ兄弟のことなのでしょうか。

そこらへんはよくわかりません。

私が感服したのは、一人の女性の「五蘊盛苦」を描くにあたって「男の体が入れ替わる手」を使ったということ。しかもそれが夢だと判明したあとに仏教用語とはまったく関係ない「すべての道はローマに通ず」がすべてを解決に導いてしまうアクロバティックな作劇!


芳根京子
ただ、惜しむらくは、芳根京子がそのような複雑な情感を表現するにはまだ役者として未熟であるというところでしょうか。監督の演出も役者の想像力もぜんぜん足りない気がします。シナリオがまずかったらすべてが台無しになっていたかも。


ERyoRJPU0AA80W-

とか言いながら、私はこの女優が好きになってきたのでありました。「変な顔」だと思っていたけど、すごくかわいくなってきたと思う。



このエントリーをはてなブックマークに追加