ずっと見たい見たいと切望してきた東海テレビ製作、土方宏史監督による2019年のドキュメンタリー『さよならテレビ』。

傑作『ホームレス理事長』『やくざと憲法』の土方宏史さんの新作ということで期待が高まっていましたが、これが期待にたがわぬ素晴らしい壮大なる「自爆テロ映画」でした。


最初にすべてが……?
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冒頭、土方監督が『テレビの今』という仮題の企画書を見せ、同じ会社の面々に取材を申し込む。テレビがいまどうなっているかを撮らせてほしいと。

で、すぐ机の下にマイクが仕込まれるんですが、「ダメだ、マイクがあると喋れない」となり、お偉いさんたちの猛反発に遭って、

①机のマイクを外す
②打ち合わせは許可を取ってから
③発表の前に必ず試写をする

という三条件を新たに設けて取材が進むことになるんですが、土方監督が「テレビ局内部にカメラを向けることでハレーションを起こすかもしれませんが、それならぜひそれも撮りたい」と言っていたハレーションがまさに起こってましたよね。いつもカメラを向ける側のテレビマンたちが、カメラを向けられれるとキレかかる。マイクがあるとナーバスになって喋れない。いつも取材対象にはそれを受け容れさせているのに……。


三人の登場人物
しかし、そんなことにお構いなしに映画は別の方向に進みます。

登場人物が三人出てきます。

局アナの福島さん(右側)
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派遣社員から一年契約の契約社員になれた新人の渡邊くん
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ベテラン記者の澤村さん(中央)
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これら三者三様のドラマが展開されるんですが、この人たち、すべて「外様」ですよね。

局アナはもちろん東海テレビの社員ですが、カメラを向ける側ではなく向けられる側だから社内でも異質の存在のはず。常日頃からカメラを向けられている人にカメラを向けても意味ないでしょう。

新人の渡邊くんもしかり。まだ半人前以下の彼はカメラやマイクを突きつけるより、自分が被写体になることのほうが多い。それにテレビマンになりたての人間にカメラを向けて「テレビの今」を活写できると思うなんてあまりに馬鹿げています。

澤村さんも中途入社らしく、かなりのベテランのようですが一年契約の契約社員といってましたよね。やはり東海テレビの中では外様。

やっぱり、冒頭でカメラを止めろ! と叫び、渡邊くんのミスを叱り飛ばしていた東海テレビの中枢の人たちのあれやこれやを見せてくれないと意味がない。


自爆テロ=アクロバティック・ドキュメンタリー
おそらくは、撮ったけど編集で切ったのではなく、撮らせてもらえなかったのでしょう。もしくは撮って編集でも残したけど試写をしたら切らされた。そこで土方監督は逆の手を打った。

最後に澤村さんに「このドキュメンタリーも結局、いつもテレビがやってるのと同じでしょ?」と告発してきます。共謀罪で逮捕されたが無罪になった人との対面の場面は最初からマイクなどが仕込まれた「やらせ」だった。そうやってテレビ番組は作られている、この映画だって同じでしょと澤村さんが告発する。

と見せかけて、実はその澤村さんも仕込みなんですよね。あの告発はもともと台本にあるセリフのはず。

だって、最後に「出演者」として三人の名前が出ましたから。被写体ではなく「出演者」です。ドキュメンタリーなのに「出演者」です。

ドキュメンタリーと称していたこの映画は、実は周到に準備された劇映画だった。というか、編集の魔力によって無理やり劇映画にしてしまった。それもかなり不出来な。

映画そのものが、いまの腐ったテレビをそのままなぞるような「腐った映画」たろうとしています。

渡邊くんが地下アイドルのライブに行ったりするのをなぜ見せる必要があるのか。密着取材だから撮るのはいいけど作品のテーマとぜんぜん違うことだから編集で切らないといけないのにあえて残す。

それは、いまのテレビはこういう必要のない場面、テーマや主旨とは関係ないけど、アイドルおたくが情けない顔で握手会に参加してる場面があると視聴率が上がるからですよ、と作者自身が身を挺して訴えるためでしょう。

映画そのものを駄作にすることで「テレビの今」を告発する自爆テロ映画。何ともアクロバティックなドキュメンタリーで、これはかなりの実験作にして野心作だと思いました。

あえて譬えるならロバート・アルトマンの『ザ・プレイヤー』みたいな感じでしょうか。

まだまだ映画には可能性が残されていますね。この映画は希望の星です。


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