内田樹先生の自叙伝『そのうちなんとかなるだろう』を読みました。

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内田先生の本はほぼすべて読んでいるので、この本もまた「どこかで読んだような」エピソードが多いです。とはいえ、いつもの評論とは違い自叙伝なので、最初の奥さんが女優だったとかまったく知らなかったこともあるにはありました。でもやっぱりどこかで読んだことのあるエピソードのほうが多かったし、そっちのほうが面白かった。著者自身が書いてて楽しいから何度も同じことを書くのでしょう。

さて、この本を読んで痛切に感じ入ったのも、いつかどこかで読んだエピソードです。

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内田先生は離婚後、娘さんと二人暮らしすることになり、大学での教員仕事よりも子育てを優先する生活にシフトしました。

大きなパラダイム・シフトですね。何しろ大学で研究に勤しもうという人間が研究を二の次にするというんですから。

そして、私のような凡人とはぜんぜん違うと唸ったのは、子育てを優先して生活し、もし時間が空いたら贈り物としてありがたく受け取っていた、というところ。

私は脚本家を目指すという大義名分のためにいくつもの職を辞しました。

やれ、この仕事では帰ってからの時間が少ないだの、やれ、この仕事をやっていては書く体力が残ってないだの、いろいろ理屈をつけては辞めてばかりでした。

それでも脚本家になれていれば何も言うことはなかったかもしれない。でもなれなかったから、職探しするときもろくな職歴がないから書類審査を通らない。高卒だから学歴もないし。

親元で暮らしていたから簡単に辞めても食うには困らなかった。それが災いしてしまった。甘えた気持ちが自分自身を弱くする典型。

内田先生のように、まずは食い扶持を稼ぐ仕事が最優先で、空いた時間があれば天からの贈り物としてありがたく頂戴し、勉学に勤しみ創作に打ち込んでいればプロになれたかもしれない。

私は何も考えていないアホでした。とにかく自由な時間を確保せねばならないと真逆のことを考えていました。まったくもって馬鹿。

内田先生は「これまでやりたくて自分から手を挙げてやりたいと言ってやった仕事はない」と言い切ります。そこには若干の潤色があるような気がしないでもないけど、でもまぁ大方はそうなんでしょう。やれるかどうかわからないけど他の人から頼まれたことをやっているうちに現在のようにたくさんの著書を出すようになった。

成り行きに任せるとは内田哲学の最たるものでしょうが、私は成り行きに任せることができず、運命は自分で切り拓くのだと息巻くだけで、結局何事もなしえなかった。

いまの職場はかつて同僚だった人が粘り強く偉い人に口を利いてくれたから復帰できました。復帰したい気持ちもあったけれど、それよりも、そこまでして戻ってきてほしいという人がいるなら戻ろうと思って戻ったのです。

成り行きに任せる内田哲学をもっと実践していきたい。





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