周防正行監督5年ぶりの新作『カツベン!』を見てきました。


『カツベン!』(2019、日本)
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脚本:片島章三
監督:周防正行
出演:成田凌、黒島結菜、永瀬正敏、高良健吾、城田優、草刈民代


5年ぶりの新作といっても5年前は映画断ちをしていたので『舞妓はレディ』は未見です。『終の信託』もシナリオを読んだだけで見る気が失せたので劇映画としては『それでもボクはやってない』以来でしょうか。個人的には。

そもそも周防さんの映画はそれほど好きじゃないので期待はしていませんでしたが、映画全体は特に可もなく不可もなく、といったところでした。

黒島結菜はかわいいけど「映画の顔」をしていないとか、成田凌はぎりぎり映画の顔と言えるけど、竹中直人や竹野内豊、小日向文世、高良健吾はまぎれもなく「映画の顔」。そんななか「テレビの顔」としか言えない井上真央を使っているのは解せない。

などということはほとんどどうでもよくて、私が瞠目したのは次のシーン。


弁士の説明で映画は変容する
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劇中劇として使われるサイレント映画の『椿姫』。私は当時公開された本物のフィルムを使っているのかと思ったら、この二人、城田優と草刈民代なんですってね。驚いた。製作費を安くするためでしょうか。それともフィルムが残ってない……?

とまぁ、そんな楽屋落ち的なことに瞠目したのではなく、同じ『椿姫』が弁士の説明によって悲恋物語にもなり、爆笑コメディにもなる、というところ。

コメディ的な説明をするのは主演の成田凌がふざけてそういう説明をつけるんですが、ふざけた説明をつけると、悲恋物語がコメディに変容するというのは、わが意を得たり! という気分でした。


↓過去にこんな記事を書きました。↓
町山智浩さんの『市民ケーン』解釈への反論


『市民ケーン』の解釈をめぐって私の解釈は間違いだという人がいたり、解釈を公にするには言論の倫理に則るべきだとか、意味のわからないコメントがたくさん並んでいます。

『カツベン!』における弁士の説明もひとつの「解釈」ですよね。

いや、むしろ、観客は映画そのものよりも弁士の解釈を聴くためにお金を払っている。飲んだくれの永瀬正敏に「ちゃんと説明しろ!」とヤジが飛ぶのがいい例です。

『5時に夢中!』で、周防正行監督が言っていました。

「もともとサイレントは音がない状態として作られたんだから、この映画の脚本を読ませてもらうまで、サイレントは完全に無音の状態で見ていた」

私もそうです。だけど、映画の最後に稲垣浩の言葉が出ていました。

「日本では本当の意味のサイレント映画はなかった。弁士が説明していたから」と。

周防監督は、諸外国でも生伴奏つきの上映がほとんどで完全無音の状態で見ていた観客は世界中探してもいなかったんじゃないかと言っていました。


解釈を聴きたい映画ファン
つまり、当時の観客(特に日本の)は、映画そのものを見ていたというより、弁士の説明を聴きに映画館へ行っていたわけです。

ちょいと前の映画ファンが蓮實重彦の本を読みあさったり、いまの映画ファンが町山さんの言葉を聴きに行ったりするのと同じですね。

周防監督が言うように、完全無音の状態、つまり弁士の説明がなくてもサイレント映画の物語は理解できます。でも、当時の観客はそれでは飽き足らなかった。弁士の「解釈」を聴きたかった。

だから、同じ『椿姫』を悲恋物語として楽しみ、翌日には爆笑コメディとして楽しむという見方ができたわけです。

何が言いたいかというと……

映画の解釈というのは人それぞれであってよい、というごくごく当たり前のことです。

昔の映画ファンは弁士の説明を聴きたかった。
いまの映画ファンは町山さんなど権威ある人の意見をありがたがっている。

いまも昔も一緒じゃないか、と思うかもしれませんが、私はぜんぜん違うと思う。

だって、昔の人は同じ『椿姫』をぜんぜん違う物語として楽しんでますから。違う解釈を楽しむ度量をもちあわせていた。

それがいまでは、たったひとつの解釈しか許さないという狭量な人たちが跳梁跋扈している。ぜんぜん違います。

作者がこう言っているからその解釈は誤りであるとか、ある文献にはこう書いてあるからあなたの解釈が間違っているなどといって自分の解釈を押しつけてくるのは下品きわまりない。


映画体験はきわめて個人的なもの
『椿姫』にしろ『市民ケーン』にしろ、どう解釈しようとその人の勝手。その人にとってその映画がどういう映画だったか、それが大事なわけでしょ。

映画体験はきわめて個人的なものなのだから、『椿姫』を悲恋物語として見てもドタバタコメディとして見ても、その人の自由。

私は町山さんの『市民ケーン』の見方に驚嘆し蒙を啓かれましたが、映画そのものを見ると、やはりそういう映画には思えなかった。

友人は『アイアン・ジャイアント』を見て泣いたそうです。でも同じ映画を見た私はラストシーンで爆笑しました。

それでいい。





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