何かツイッターで「平成最後の漢字一文字」というのがバズってるみたいなので私もたまには時流に乗ってみようかと。

平成というといまだに「新しい時代」というイメージがありますが、平成元年は1989年。その年は日本も世界も、そして私個人も激動の年でした。

手塚治虫が死に、美空ひばりが死に、松田優作が死んだ年。
天安門事件があり、ベルリンの壁が崩壊した年。
登校拒否をした年。

浮かんだ漢字を順に列挙すると、

「死」
やはり自殺未遂をしたのがいまだに大きいですね。登校拒否をしたのはいろいろ理由があるのでいまさら細かに言いませんが、自殺願望を抱いたのはあの年が最初。そしていまだに引きずっている。平成になってから「死」を考えなかった日は一日もないといっても過言ではありません。

「映」
そんな私が、映画を見始めたのが平成元年。それまで映画なんてジャッキー・チェン、スタローン、シュワルツェネッガーの映画をテレビの洋画劇場でしか見たことのなかった私が、登校拒否する直前に生まれて初めてレンタルビデオというものを利用し、進研ゼミの赤ペン先生が推薦していた『明日に向って撃て!』を借りてきてあまりの感動に金縛りに遭いました。それ以来、狂ったように映画を見てきました。平成という時代の流れは自分史的には「どういう映画を見てきたか」と完全に重なります。

もっと映画を見たい! 面白い映画を全部見なければ死ぬに死ねない! 
死にたいけれど死にたくないという矛盾を抱えながら映画を見ていました。そしていつしか作りたいと思うようになりました。
はじめの頃はヒッチコック映画ともう1本という2本組でレンタルして見ていました。親父がヒッチコキアンだったからその影響でしょう。生まれて初めて知った映画監督の名前もヒッチコックです。小学校の頃、「映画監督のアルフレッド・ヒッチコックさんが死亡しました」というニュースを見、映画監督とは何かと親父に問うと「俳優にもっとこういうふうに演技してほしいと注文をつける人だ」と答えが返ってきて、そういう人がいるとは知らなかったのでとても驚きました。それから本格的に映画を見るまでにずいぶん時間がかかりましたけど。

「夢」
ヒッチコックは「どう見せるか」に腐心する人だったうえに、映画を見始めたのが幼少ではなかったから、「どういうふうに撮られているか」に注目して見ていました。映画監督やカメラマンなど画面に映っていない人たちが「作っている」ことをすでに知っている年齢でしたから「作り方」に意識が行っていたのです。もしかすると、物語だけに夢中になって映画を見たのは『明日に向って撃て!』ただ1本だけかもしれません。
そんなこんなで京都の専門学校に行って映画作りのイロハを学んだのち、何だかんだで脚本家を目指すことになり「夢」をもちましたが、結局あきらめて都落ちしてきたのがもう3年半も前。平成は大志を抱きながら挫折せざるをえなくなった自分のふがいなさとほぼ一致します。

さて、ここまでつらつらと書いてきましたが、ここまでの文字数が1246文字。所要時間は18分。

というわけで、私の極私的「平成最後の漢字一文字」は……







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原稿用紙3枚ちょっとの文章を18分で書くなんて平成以前の私には絶対にできない芸当でした。本というものを読んだことがなく、新聞すらテレビ欄とスポーツ欄だけであとはマンガばかり。1年に1冊だけ読書感想文を書くために読んでましたが、普段読まないからよくわからないし、感想のもちようもない。もってもどう表現していいか皆目わからない。

そんな私がここまで書けるようになったのは、ひとえに中島らものおかげでしょう。たまたま、19のときに兄貴と本屋に行ったとき、「これ面白いらしい」と兄が勧めてくれたのが中島らもの『しりとりえっせい』という本でした。これが無類に面白かった。物事を斜めから見るコツを教えてくれたのも中島らも。文章術を教えてくれたのも中島らもでした。中島らもの本ばかり読み、気に入ったフレーズは何度でも暗誦できるまで読み返しました。ただ読めばいいというのではありません。「書くように読む」のが大事なのです。ゴダールやトリュフォーたちヌーベルバーグの連中が評論家からすぐ監督に転身できたのは「撮るように見ていたからだ」と言っていました。曲がりなりにもシナリオコンクールで受賞できたのも、ヒッチコック作品を「撮るように見ていた」おかげかもしれません。

こういうことを言うと、中島らもを読めば文章を書くことができるようになるのか。ヒッチコックを見れば映画を撮ったり脚本を書いたりできるようになるのか。と問う人がいますが、そんなわけないでしょう。

文章というのは「文意」と「文体」から成っています。一人の人間が「肉体」と「精神」から成っていても両者を分けることなどできないように、文章から文体だけを取り出すことはできない。文意、つまり内容を面白いと思うことができなければそこから学ぶことはできません。映画も同じ。面白いと思う作品を読む/見ることが大事。何度でもすべて憶えてしまうほど見返す作品に出遭うまで、かなりの作品数を鑑賞しなければならないかもしれません。

だから、私は映画ではヒッチコックとすぐ出逢い、文章では中島らもといきなり出逢うことができたのは非常に幸運でした。

しかし、自惚れを承知で言えば、「面白いものに対する感受性が豊か」だっただけかもしれません。どんな作品と出逢っても学ぶことができたのかもしれない。

いずれにしても、映画の「映」や「夢」ではなく、私にとって平成とは「ひたすら書いてきた30年だった」。それが平成の総括です。今日を含めてあと4日。さて、令和はどういう時代になるでしょうか。


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