さっき気になるツイートを見かけました。
両方大事の哲学
私は、創作にかぎらず「○○よりも××が大事」という考え方が好きではありません。
小学4年生のときの担任O先生が、肝臓がいかに大切な臓器であるかを説明するときにこんなことを言いました。
「肝臓は心臓よりも大事なんですよ」
いやいや、心臓がなかったらすぐ死んでしまうじゃないか! それぐらい肝臓が大事だという気持ちはわからないでもないけれど。
それと同じで、脚本の書き方を学ぶことより脚本そのものを読むことのほうが大事という意見に私は与することができません。
高校1年のときの哲学(倫理)の担任だったI先生は、プラトンやアリストテレスを読む暇があったら『北斗の拳』を読め、それで哲学は全部わかるという変な教師でしたが、あの先生の信条は、
「両方大事」
というものでした。
有名な話があります。
「100匹の羊がいて、そのうちの1匹がいなくなった。その1匹を犠牲にして残りの99匹を守るのが政治家の仕事。99匹を犠牲にしてでもいなくなった1匹を探し求めるのが芸術家の仕事」
というアレ。
アレをI先生は一刀両断にしました。政治家であろうと芸術家であろうと、99匹を守りながら1匹を探すべき。両方大事、すべて大事なんだと。
よく脚本家がいかにシナリオが大事かを言うために、
「いいシナリオから悪い映画ができる場合もあるが、悪いシナリオからいい映画ができることはない」
という言葉を引き合いに出しますけど、シナリオが大事というのはこの言葉の表の意味だけですよね。裏には「演出や演技、撮影、編集などシナリオ以外のすべてがいい仕事をしないといい映画はできない」という意味が隠されているのに。
だから「両方大事(すべて大事)の哲学」はこの世のすべてのことに応用すべき真理だと思うのです。
落書きのすすめ
脚本そのものを読むことが大事であることは論を俟ちませんが、その前にまず書くことが大事なんじゃないでしょうか。
絵を例にとれば簡単です。誰も幼い頃に絵の描き方なんか学ばないし、名作絵画を見ることすらしません。まず落書きをします。それから描き方の勉強をする。そうすれば、描けない線の描き方がわかる。出せない色の出し方がわかる。
まず最初に2、3本書く。そうすると「こういうときどう書けばいいのか」「どうすればもっと面白くなるのか」という疑問が湧く。その疑問さえもてれば、名作脚本を読まずに書き方の本を読んでもいいと思います。そのあとで名作脚本を読んでもいいのでは?
だって、読むのだって書き方の勉強の一部でしょ?
もしかすると、最近の脚本家志望者は名作脚本を読まないから、もっと読めと言いたいのか。
でも、読むことは書き方の勉強の一部なんだから、まったく書かずにいきなり読んだってわからないでしょう。少なくとも私は、生まれて初めて脚本を読んだときまったくわかりませんでした。面白いのかどうかさえ。
だから、まず最初に書く、という順番さえ守れば、
「書くことと読むことの両方大事」
「読むことと書き方を勉強することの両方大事」
というのが私の結論です。
どちらかがより大事、どれかひとつが一番大事なんてありえません。
會川 昇@nishi_ogi確かにおっしゃる通り、と言いたいところですが、本当にそうでしょうか?脚本の書き方
2019/01/25 23:34:40
脚本家の成り方の本
脚本の学校
それぞれに意味はあるだろうけど、私はそのどれも、一冊の優れた脚本を読むことに優るとは思いません
書店で、脚本のコーナーがあっても、大半が書き方本だったりして、ガックリするんですよね… https://t.co/qNnLJbtMhF
両方大事の哲学
私は、創作にかぎらず「○○よりも××が大事」という考え方が好きではありません。
小学4年生のときの担任O先生が、肝臓がいかに大切な臓器であるかを説明するときにこんなことを言いました。
「肝臓は心臓よりも大事なんですよ」
いやいや、心臓がなかったらすぐ死んでしまうじゃないか! それぐらい肝臓が大事だという気持ちはわからないでもないけれど。
それと同じで、脚本の書き方を学ぶことより脚本そのものを読むことのほうが大事という意見に私は与することができません。
高校1年のときの哲学(倫理)の担任だったI先生は、プラトンやアリストテレスを読む暇があったら『北斗の拳』を読め、それで哲学は全部わかるという変な教師でしたが、あの先生の信条は、
「両方大事」
というものでした。
有名な話があります。
「100匹の羊がいて、そのうちの1匹がいなくなった。その1匹を犠牲にして残りの99匹を守るのが政治家の仕事。99匹を犠牲にしてでもいなくなった1匹を探し求めるのが芸術家の仕事」
というアレ。
アレをI先生は一刀両断にしました。政治家であろうと芸術家であろうと、99匹を守りながら1匹を探すべき。両方大事、すべて大事なんだと。
よく脚本家がいかにシナリオが大事かを言うために、
「いいシナリオから悪い映画ができる場合もあるが、悪いシナリオからいい映画ができることはない」
という言葉を引き合いに出しますけど、シナリオが大事というのはこの言葉の表の意味だけですよね。裏には「演出や演技、撮影、編集などシナリオ以外のすべてがいい仕事をしないといい映画はできない」という意味が隠されているのに。
だから「両方大事(すべて大事)の哲学」はこの世のすべてのことに応用すべき真理だと思うのです。
落書きのすすめ
脚本そのものを読むことが大事であることは論を俟ちませんが、その前にまず書くことが大事なんじゃないでしょうか。
絵を例にとれば簡単です。誰も幼い頃に絵の描き方なんか学ばないし、名作絵画を見ることすらしません。まず落書きをします。それから描き方の勉強をする。そうすれば、描けない線の描き方がわかる。出せない色の出し方がわかる。
まず最初に2、3本書く。そうすると「こういうときどう書けばいいのか」「どうすればもっと面白くなるのか」という疑問が湧く。その疑問さえもてれば、名作脚本を読まずに書き方の本を読んでもいいと思います。そのあとで名作脚本を読んでもいいのでは?
だって、読むのだって書き方の勉強の一部でしょ?
もしかすると、最近の脚本家志望者は名作脚本を読まないから、もっと読めと言いたいのか。
でも、読むことは書き方の勉強の一部なんだから、まったく書かずにいきなり読んだってわからないでしょう。少なくとも私は、生まれて初めて脚本を読んだときまったくわかりませんでした。面白いのかどうかさえ。
だから、まず最初に書く、という順番さえ守れば、
「書くことと読むことの両方大事」
「読むことと書き方を勉強することの両方大事」
というのが私の結論です。
どちらかがより大事、どれかひとつが一番大事なんてありえません。
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