昨日で『正義のセ』が終了しましたが、このドラマはいろいろな問題を含んでいましたね。


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とか言いながら最後まで見てしまった私の心のほうに大いに問題がありそうですが、それは後ほど語るとして、まずこのドラマで疑問に思ったこと、んなアホな! とずっこけそうになったことなど、箇条書きで記したいと思います。


『正義のセ』の問題洗い出し
・昨日の最終回では、正当防衛を主張する代議士の息子に対し「何も作戦はない」と言うも、ただ被害者の婚約者の言葉「彼はどのような最期を迎えたのでしょうか」だけを訊き、泣き落としに成功。自白を得られる。
自分のしてきたことに罪悪感を感じていた人だったからよかったものの、何の良心の呵責も感じてない人だったら完全にアウトでしょう。このドラマでは捜査手法が物量作戦とか人情に訴えるとかばかりで知恵がない。

・第6話の「オレオレ詐欺編」では、同期の弁護士・倉科カナが出てきて、正義と正義がぶつかるいい話になりかけていたのに、結局、倉科カナが間違っていて主人公の吉高由里子が正しかったでは意味がないのでは? 主人公が壁にぶつかるから面白いのに、脇役(それもゲスト)を壁にぶつけてどうする。

・第9話の痴漢冤罪でも、結局、冤罪ではなかったというのがつまらない。本当に冤罪にして、主人公を壁にぶち当たらせないと本当の成長はないと思う。

・第7話の保育園の保育士の数を水増ししていた延長を断罪する回では、確かに違法なことをやっているけれど、あの園長には園長なりの「正義」があるわけですよね? 保育士の数を水増しすればたくさんの子どもを預かれる、それぐらいいまの日本は保育園の数が足りてない、と。
それをただ「違法だから」の一言で園長を断罪して終わりでは「正義とは何か」という究極の問いが一度もなされないまま。非常に残念。

・三浦翔平との誤チューはいったい何だったのか。最後は安田顕と「年の差カップルか!?」みたいな展開になっていたし、ちょっと脇筋のプライベートの描写が、彼氏のよくわからない言動も含めて理解不能。

・なぜ実家が豆腐屋なのか。なぜ妹に主役級の広瀬アリスがキャスティングされているのか。


と、まぁ、以上のような難点がすぐに挙がるんですが、ただ、前述のとおり、私は少しでも面白くない連ドラはすぐに見るのをやめるのに「なぜ最後まで見てしまったのか」という問題が重くのしかかってきます。

吉高由里子や安田顕の芝居がいいから、という理由もありますが、それだけでは10週間にもわたって見ませんし。


人はみな「正義」が大好き
結局、これに尽きるのかなぁという気がします。

最終回、「いくら何でもうまく行きすぎだろう!」と突っ込みたくなるし、宅間伸が「息子をよろしくお願いします」と頭を下げるシーンなど「まさか!」とも思うんですが、それでも、やはりあの憎たらしい代議士が自分の非を認めて頭を下げるところを目撃するというのは大いに溜飲が下がる。

だから、他の回でも、いろいろ問題はあるにせよ、正義が貫徹される様を目撃することにカタルシスを感じていて最後まで見てしまったのかな、と思います。

倉科カナとの正義対決にしても、吉高由里子が正しかったという展開には「いや、それはダメでしょ」と突っ込みながらもカタルシスを感じていたような……?

だから、正義というのは本当にたちが悪いと思いますね。

正義が必ずしも勝つわけじゃないし、正義が暴走すればとんでもない惨劇を生んでしまうというのはもはや常識ですが、それでも我々は正義を愛してやまない。何か問題があれば正義の側に立って発言する。

だから、芸能人が未成年と酒を飲んでいたというだけで大問題になる。みんな自分の周りの未成年に「ちょっとぐらいいいよ。正月なんだから大丈夫だよ」などと言って酒を飲ましたりしているのに、有名人がそういうことをしていると自分のことを棚に上げて「謝罪しろ!」となる。

だから、正義は「麻薬」なんだな、と思います。

『正義のセ』を批判することはたやすいですが、このドラマを最後まで楽しんで見てしまった自分自身を厳しく批判するところから始めないと先に進めない気がしています。


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2018-11-21



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