スピルバーグの新作というか、すでに前作になっちゃいましたが、『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』を見てきました。
アイゼンハワー、トルーマン、ケネディ、ジョンソンの4つの政権が国民に嘘をつき、勝てる見込みがないと知りつつベトナム戦争に突き進んでいった最高機密をめぐる物語。
自分の都合の悪いニュースはすべてフェイクニュースだと切り捨てる現トランプ政権への批判として至極まっとうな映画だと思うし、いったんニューヨークタイムズにリークされてトップ落ちの憂き目に遭うも、今度は自分たちワシントンポストが全文書を手に入れる。そこから最高裁判決を鑑み、掲載してジャーナリズム魂を守って投獄されるか、それとも闇に葬るかの選択を迫られるも、メリル・ストリープ社主の鶴の一声で掲載に至る。ここらへんは、すべてこうなるとわかっていても興奮しますよね。
というのは私の本当に言いたいことではありません。本当に言いたいのは、スピルバーグは自分たちの政治的信条は正しい、我々は正しい映画を作っているんだと思うあまり目が曇ってしまったのではないか、ということです。
そう思ったきっかけは、役者です。
メリル・ストリープ、トム・ハンクスといった当代随一の役者陣が出演しているのに「演技合戦」が見られませんよね。トム・ハンクスなら眠っていてもあの程度の芝居は可能でしょうし、何より「色気」がない。メリル・ストリープはじめ女優も男優も色気のある人間として演出されていない。
これらのシーンには「女」の色気が少しだけ滲み出ていますが、メリル・ストリープならもっとできるはずなんですよ。
ズバッと言ってしまえば、すべての役者が政権批判を訴えるための「駒」にしかなっていないんです。
スピルバーグはどうしても映像演出の面ばかり語られますが、彼は演技指導の達人です。
そうはっきり認識したのは『リンカーン』のとき。ダニエル・デイ・ルイスにあれだけの芝居をさせるというか、彼は油断すると「やりすぎる」人じゃないですか。『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』なんてシリアスドラマなのに私は彼のオーバーアクションにずっと笑っていました。そんな暴れ馬を『リンカーン』ではちゃんと制御していました。他にも『ミュンヘン』は渋すぎる俳優陣のアンサンブルが見事でしたし、何よりあの映画のエリック・バナ、ダニエル・クレイグ、ジャフリー・ラッシュたちには「色気」があった。
スピルバーグはインタビューで、トランプ政権が発足してすぐにブラックリストにこの脚本があると知り、すぐに準備して撮影・仕上げをして年内公開にこぎつけたといいます。その馬力には感心せずにいられませんが、政治的主張をしようという心意気が前面に出すぎというか、正しい主張のこもった物語をわかりやすく伝えることだけに神経が行きすぎたんじゃないかと思われます。この映画に役者の色気がないのはそのせいでしょう。
もう一度この画像。
何かどっちも薄暗いと思いませんか? あまりに画面にメリハリがない。とてもあのヤヌス・カミンスキーが撮った画面とは思えません。
俳優にも色気がなければ、画面にも色気がない。あのような芝居・映像にOKを出したスピルバーグは、おそらく自身の政治的主張の正しさによって目が曇っていたと思われます。
かつてスパイク・リーは「政治的主張だけが映画のすべてであるはずがない」と言いました。
その言葉はそのまま『ペンタゴン・ペーパーズ』への批評になると思います。
アイゼンハワー、トルーマン、ケネディ、ジョンソンの4つの政権が国民に嘘をつき、勝てる見込みがないと知りつつベトナム戦争に突き進んでいった最高機密をめぐる物語。
自分の都合の悪いニュースはすべてフェイクニュースだと切り捨てる現トランプ政権への批判として至極まっとうな映画だと思うし、いったんニューヨークタイムズにリークされてトップ落ちの憂き目に遭うも、今度は自分たちワシントンポストが全文書を手に入れる。そこから最高裁判決を鑑み、掲載してジャーナリズム魂を守って投獄されるか、それとも闇に葬るかの選択を迫られるも、メリル・ストリープ社主の鶴の一声で掲載に至る。ここらへんは、すべてこうなるとわかっていても興奮しますよね。
というのは私の本当に言いたいことではありません。本当に言いたいのは、スピルバーグは自分たちの政治的信条は正しい、我々は正しい映画を作っているんだと思うあまり目が曇ってしまったのではないか、ということです。
そう思ったきっかけは、役者です。
メリル・ストリープ、トム・ハンクスといった当代随一の役者陣が出演しているのに「演技合戦」が見られませんよね。トム・ハンクスなら眠っていてもあの程度の芝居は可能でしょうし、何より「色気」がない。メリル・ストリープはじめ女優も男優も色気のある人間として演出されていない。
これらのシーンには「女」の色気が少しだけ滲み出ていますが、メリル・ストリープならもっとできるはずなんですよ。
ズバッと言ってしまえば、すべての役者が政権批判を訴えるための「駒」にしかなっていないんです。
スピルバーグはどうしても映像演出の面ばかり語られますが、彼は演技指導の達人です。
そうはっきり認識したのは『リンカーン』のとき。ダニエル・デイ・ルイスにあれだけの芝居をさせるというか、彼は油断すると「やりすぎる」人じゃないですか。『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』なんてシリアスドラマなのに私は彼のオーバーアクションにずっと笑っていました。そんな暴れ馬を『リンカーン』ではちゃんと制御していました。他にも『ミュンヘン』は渋すぎる俳優陣のアンサンブルが見事でしたし、何よりあの映画のエリック・バナ、ダニエル・クレイグ、ジャフリー・ラッシュたちには「色気」があった。
スピルバーグはインタビューで、トランプ政権が発足してすぐにブラックリストにこの脚本があると知り、すぐに準備して撮影・仕上げをして年内公開にこぎつけたといいます。その馬力には感心せずにいられませんが、政治的主張をしようという心意気が前面に出すぎというか、正しい主張のこもった物語をわかりやすく伝えることだけに神経が行きすぎたんじゃないかと思われます。この映画に役者の色気がないのはそのせいでしょう。
もう一度この画像。
何かどっちも薄暗いと思いませんか? あまりに画面にメリハリがない。とてもあのヤヌス・カミンスキーが撮った画面とは思えません。
俳優にも色気がなければ、画面にも色気がない。あのような芝居・映像にOKを出したスピルバーグは、おそらく自身の政治的主張の正しさによって目が曇っていたと思われます。
かつてスパイク・リーは「政治的主張だけが映画のすべてであるはずがない」と言いました。
その言葉はそのまま『ペンタゴン・ペーパーズ』への批評になると思います。
コメント
コメント一覧 (3)
いや、私もそういう物語の面白さとか、そういうのは感じたんですよ。芝居のことを書くことに夢中になって書き忘れてしまいましたが。
ただ、物語や描写の面白さがあっても、それを演じる役者に艶がない、画面に艶がないと片手落ちではないかな、と思っただけでして。失敗作とまでは思いません。
でも、トム・ハンクスとメリル・ストリープを使ってあれだけの芝居しか見せてもらえないというのはやはり残念というか、内容の政治的正しさに熱が入りすぎて見えなくなってしまったことがあったんだろうな、と。スピルバーグでもそういうことがあるんだな、ということです。すいません、言葉が足りなかったですね。
先ほどは『ペンタゴン・ペーパーズ』の良い点を挙げましたが、続いてなぜ自分がそれでもやはり『レディ・プレイヤー』を選ぶかについてです。
まず記事でも書かれていた通り、確かに言われてみると役者さんの演技はしょっぱかったですね。ただ個人的に、これまでスピルバーグの映画に演技力は期待してこなかったので、鑑賞中はそれほど気にはなりませんでした。今後意識してみようかと。
あとこちらもご指摘通り、照明も不自然に暗いシーンがありましたね。「おじいちゃんが流行に乗っかったんだろう」と鑑賞中はスルーを決めていました笑。
ただ一番気になったのは、「スピルバーグならもっと出来ただろう」という感じです。『レディ・プレイヤー1』が2020年あたりの公開であれば『ペンタゴン・ペーパーズ』も、もう少し印象的な作品になったのかもしれませんが・・・。カードの裏表のように、上手く対比される作品となってしまいましたね。『レディ・プレイヤー1』はやっぱり作品への意気込みが違いました。
でもやっぱりスピルバーグは名実ともに表向きの監督なので、『レディ・プレイヤー1』が彼らしい作品ということになるのだと思います。
長文失礼しました。今後も、優れた映画批評を期待しています!
『ペンタゴン・ペーパーズ』についての記事、読ませていただきました。
自分自身、学生時代に映画を撮っていたこともあり、スピルバーグが「演技指導の達人」であることにこちらの記事で指摘があるまで認識していなかった(言われれば、もちろん「確かに!」と納得します)ことを少し恥ずかしく思っています。他の記事も読ませて頂きましたが、この人は「映画」をしっかり見ておられるなあ、と舌を巻く思いでした。
しかし今回コメントさせていただきましたのは、単に『ペンタゴン・ペーパーズ』を政治的主張に目が曇った監督の失敗作、と断ずるのは少し可愛そうかな、と思ったためです。
私も『レディ・プレイヤー1』派ですが、『ペンタゴン・ペーパーズ』にはアメリカ人以外は少しも興味を持たないであろう、ある意味すごく窮屈な物語の中に映画の楽しみがしっかり仕込まれていたように思います。その点で、スピルバーグの手腕を見れる佳作だったのではないかと。
今思いつくのは、ページがバラバラになった機密文書が主人公の自宅で整理されるシーンです。主人公の妻が部屋に入る途端、部屋に膨大な数の書類を大の大人が床に座りこんで並べているのが目に入ります。部屋中に紙をばらまくなんて、子供のやること以外の何物でもありません。ここは『レディ・プレイヤー1』でもあった、スピルバーグらしいずばぬけた「演出力」と「子供らしさ」がはっきり感じられる良いシーンだったのでは、と思います。
その他、冒頭のベトナム戦争のシーンや、クライマックスでとうとう新聞が発行されるシーン、メリル・ストリープが主人公との電話越しに葛藤にさいなむシーン、ライバル会社の新聞を偶然店先で読んで主人公が愕然とするシーンなどに、あくまでこの作品をエンターテイメントとして仕上げようとする工夫が感じられ、その姿勢に感服したのでした。
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