久米宏の自伝本『ニュースステーションはザ・ベストテンだった』を読みました。

冒頭にこう書いてあります。
この本はかなり詳細です。つまり、かなり面倒な内容ともいえます。
最後の「簡単にまとめてみる」をお読みいただくと、一瞬にして本書の内容がわかります。
巧妙なツカミ
素直な私はその「簡単にまとめてみる」から読んでみました。確かに概要はわかる。でも概要でしかないから詳細を是が非でも知りたくなる。著者の術中に完全にはまってしまい、夢中で最初から読み始めたのでした。
テレビとラジオの両方で50年もの長きにわたり視聴者の心をつかんできた著者ならではのツカミのうまさですね。
この本で最も感動的なのは、248ページのくだりなんですが、

僕は『ニュースステーション』を始めるときに、殺される覚悟をした。
うーん、かっこいい!
しかし、とりあえずそこは後回しにしまして・・・
「なぜ全員合格させなかったのか!」
久米宏はアナウンサーになりたかったわけではないそうです。当時は大学の就職部に希望を出して推薦をもらわなければ就職試験を受けられなかったそうで、学業の成績が悪すぎて普通の会社は受けられなかった久米宏は、ラジオで「アナウンサー募集」というのを聴いて、これなら就職部を通さなくても受けられそうだと、とりあえず受けてみたら合格だった。しかも最終面接では寝坊して遅刻。それでも合格だったというのだから相当気に入られたみたいです。
しかし、その気に入られ方というのがまたすごくて、試験は7次まであり、彼は1次から2次、2次から3次と進むうちにだんだん腹が立ってきたとか。その都度落とされる人間がいるから。
最後のほうでは「また何人か落とすんでしょう? いったいどんな権利があってあなた方は人間に優劣をつけるんですか」と生意気に迫ったこともあるそうな。それでも落ちずに最終面接。
最終面接には8人残り、4人だけ合格。そのあとでアナウンサーの数が足りないとなり、一般職で受かった者から特に声のいい者をまともな試験もなしにアナウンサーとして採用した。「じゃあ、あのときなぜ8人とも合格にしなかったのか!」と食って掛かったらしい。
やはり、報道のTBSと言われていただけに、そういう「反骨精神」が気に入られたんでしょう。あと「何が何でもアナウンサー」じゃなかったから、肩の力が抜けていたのもいい方向に影響したと思われます。
さて、久米宏といえば何と言っても『ザ・ベストテン』と『ニュースステーション』ですが……
久米宏の中の『ザ・ベストテン』と『ニュースステーション』
大韓航空機撃墜事故をどこのニュース番組も伝えないので『ザ・ベストテン』の冒頭で「それにしてもなぜあんなにソ連の奥深くまで侵入したんでしょうね」と言ったとか。
僕にとって『ザ・ベストテン』は時事的、政治的な情報番組であり、のちの『ニュースステーション』のほうがニュースを面白く見せることに腐心したぶん、ベストテン的という意識が強かった。二つの番組は僕の中では表裏の関係をなしていた。
なるほど。これがこの本のタイトルの所以なわけかと納得したけれど、想定内の話でもある。どうにも想定外だったのは以下のような話。
情報量を常に均一にする
テレビカメラのズームレンズの中には「中玉」というのがあり、それが手前に来るとカメラが引いてワイド画面になる。中玉が引くと自分のクロースアップになる。(いまのカメラに中玉はないそうです)
中玉の位置を見ながら「画面の情報量」を常に意識していたとか。黒柳徹子はいつも派手なドレスを着ているから視覚的な情報量が多い。ツーショットのときはどうでもいいことを喋り、自分のアップになったときに「これぞ」ということを喋るように意識する。そうすれば、視覚情報と聴覚情報の和が常に一定になる。それを生放送で毎週やっていたというのだから恐ろしいまでの頭の回転の速さ!
殺される覚悟
僕は『ニュースステーション』を始めるとき、殺される覚悟をした。言いたいこと、言うべきことは言おう。言いたいことを言えば僕を殺したいと思う人間が出てくるかもしれない。しかし、それで殺されても仕方がない。殺されるのが怖いからといって口を噤むことだけはするまいと思った。
黒柳徹子の家に呼び出され「辞めるのをやめるよう」説得されても応じず、『ザ・ベストテン』を強行降板して始めた『ニュースステーション』。絶対に失敗できない状況で常に心掛けたことは・・・
まだ誰も言ってないことを言おうと、朝刊に書いてあったこと、昼のワイドショーで誰かが言ったことはすべて除外。そのうえで「これなら行ける!」と思ったことをまず記憶して、そのうえで本番直前にトイレに行ってすべて水に流す。
原稿の下読みは常に黙読。音読してしまうと本番で音読したときの新鮮さが失われるから。
うーん、普通なら音読してリハーサルするところでしょうが、そういうのは凡人の考え方らしい。
小宮悦子と小谷真生子は実際には仲がよかったそうだけれど、マスコミは「不仲」と騒ぎ立てた。それならそれを大いに利用しようじゃないか、と「人と人は仲良くしなければ」という話題になると、「ね、小宮と小谷も仲良くするように」と言ってみたら取り上げてくれる雑誌があった。
小宮悦子といえばいつも久米宏から「悦ちゃん」と呼ばれていたけれど、あれもプレイイボーイのイメージがある自分と女性のキャスター共演ということで絶対関係を疑う人がいるという計算から「悦ちゃん」と呼んでいたそうな。呼びたい呼びたくないの問題ではなく「生粋のエンターテイナーとして視聴者の期待には応えなければならない」というプロ意識の表れだそう。(ヒッチコックが「自分がどこに出てくるか見つけるのも観客の楽しみだから」と、いやでしょうがなかったエキストラ出演を遺作まで続けたのとまったく同じですね)
キャスターやアナウンサーではなく、一人の人間として番組の中に存在する。ニュースに対するコメントも、一人の人間としてどう考えるかを言葉にする。そんなふうに出演者たちが番組の中で「人間として生きている」と感じることができる。いってみれば、僕はニュース番組にストーリーのあるドラマを持ち込みたかったのだ。
異端から正統へ
NHKの『ニュースセンター9時』に対するカウンターとして始まった民放初のプライムタイムのニュース番組だったから、あくまでもNHKが「教科書」で『ニュースステーション』は「くだけた参考書」程度の意識だったらしいけれど、いつの間にかNHKが9時のニュースをやめ、自分たちが教科書になった。
もうこの時点で情熱は失われていたのでしょう。あとは辞めるまでのことが簡単に綴られているだけ。
「革命」は成功した。王は倒した自分が王になるのはいや。気持ちはもう次の革命に。『ニュースステーション』が実際に終わるまでの後半10年ぐらいは降板するしないの情報が飛び交ってばかりでしたからね。
そういえば、いまやってる民放共同企画の池上彰が5人のつわものと対談する番組。今日がたけしで明日が久米宏なんですよね。どんな話が飛び出すか。括目して見たい。


冒頭にこう書いてあります。
この本はかなり詳細です。つまり、かなり面倒な内容ともいえます。
最後の「簡単にまとめてみる」をお読みいただくと、一瞬にして本書の内容がわかります。
巧妙なツカミ
素直な私はその「簡単にまとめてみる」から読んでみました。確かに概要はわかる。でも概要でしかないから詳細を是が非でも知りたくなる。著者の術中に完全にはまってしまい、夢中で最初から読み始めたのでした。
テレビとラジオの両方で50年もの長きにわたり視聴者の心をつかんできた著者ならではのツカミのうまさですね。
この本で最も感動的なのは、248ページのくだりなんですが、

僕は『ニュースステーション』を始めるときに、殺される覚悟をした。
うーん、かっこいい!
しかし、とりあえずそこは後回しにしまして・・・
「なぜ全員合格させなかったのか!」
久米宏はアナウンサーになりたかったわけではないそうです。当時は大学の就職部に希望を出して推薦をもらわなければ就職試験を受けられなかったそうで、学業の成績が悪すぎて普通の会社は受けられなかった久米宏は、ラジオで「アナウンサー募集」というのを聴いて、これなら就職部を通さなくても受けられそうだと、とりあえず受けてみたら合格だった。しかも最終面接では寝坊して遅刻。それでも合格だったというのだから相当気に入られたみたいです。
しかし、その気に入られ方というのがまたすごくて、試験は7次まであり、彼は1次から2次、2次から3次と進むうちにだんだん腹が立ってきたとか。その都度落とされる人間がいるから。
最後のほうでは「また何人か落とすんでしょう? いったいどんな権利があってあなた方は人間に優劣をつけるんですか」と生意気に迫ったこともあるそうな。それでも落ちずに最終面接。
最終面接には8人残り、4人だけ合格。そのあとでアナウンサーの数が足りないとなり、一般職で受かった者から特に声のいい者をまともな試験もなしにアナウンサーとして採用した。「じゃあ、あのときなぜ8人とも合格にしなかったのか!」と食って掛かったらしい。
やはり、報道のTBSと言われていただけに、そういう「反骨精神」が気に入られたんでしょう。あと「何が何でもアナウンサー」じゃなかったから、肩の力が抜けていたのもいい方向に影響したと思われます。
さて、久米宏といえば何と言っても『ザ・ベストテン』と『ニュースステーション』ですが……
久米宏の中の『ザ・ベストテン』と『ニュースステーション』
大韓航空機撃墜事故をどこのニュース番組も伝えないので『ザ・ベストテン』の冒頭で「それにしてもなぜあんなにソ連の奥深くまで侵入したんでしょうね」と言ったとか。
僕にとって『ザ・ベストテン』は時事的、政治的な情報番組であり、のちの『ニュースステーション』のほうがニュースを面白く見せることに腐心したぶん、ベストテン的という意識が強かった。二つの番組は僕の中では表裏の関係をなしていた。
なるほど。これがこの本のタイトルの所以なわけかと納得したけれど、想定内の話でもある。どうにも想定外だったのは以下のような話。
情報量を常に均一にする
テレビカメラのズームレンズの中には「中玉」というのがあり、それが手前に来るとカメラが引いてワイド画面になる。中玉が引くと自分のクロースアップになる。(いまのカメラに中玉はないそうです)
中玉の位置を見ながら「画面の情報量」を常に意識していたとか。黒柳徹子はいつも派手なドレスを着ているから視覚的な情報量が多い。ツーショットのときはどうでもいいことを喋り、自分のアップになったときに「これぞ」ということを喋るように意識する。そうすれば、視覚情報と聴覚情報の和が常に一定になる。それを生放送で毎週やっていたというのだから恐ろしいまでの頭の回転の速さ!
殺される覚悟
僕は『ニュースステーション』を始めるとき、殺される覚悟をした。言いたいこと、言うべきことは言おう。言いたいことを言えば僕を殺したいと思う人間が出てくるかもしれない。しかし、それで殺されても仕方がない。殺されるのが怖いからといって口を噤むことだけはするまいと思った。
黒柳徹子の家に呼び出され「辞めるのをやめるよう」説得されても応じず、『ザ・ベストテン』を強行降板して始めた『ニュースステーション』。絶対に失敗できない状況で常に心掛けたことは・・・
まだ誰も言ってないことを言おうと、朝刊に書いてあったこと、昼のワイドショーで誰かが言ったことはすべて除外。そのうえで「これなら行ける!」と思ったことをまず記憶して、そのうえで本番直前にトイレに行ってすべて水に流す。
原稿の下読みは常に黙読。音読してしまうと本番で音読したときの新鮮さが失われるから。
うーん、普通なら音読してリハーサルするところでしょうが、そういうのは凡人の考え方らしい。
小宮悦子と小谷真生子は実際には仲がよかったそうだけれど、マスコミは「不仲」と騒ぎ立てた。それならそれを大いに利用しようじゃないか、と「人と人は仲良くしなければ」という話題になると、「ね、小宮と小谷も仲良くするように」と言ってみたら取り上げてくれる雑誌があった。
小宮悦子といえばいつも久米宏から「悦ちゃん」と呼ばれていたけれど、あれもプレイイボーイのイメージがある自分と女性のキャスター共演ということで絶対関係を疑う人がいるという計算から「悦ちゃん」と呼んでいたそうな。呼びたい呼びたくないの問題ではなく「生粋のエンターテイナーとして視聴者の期待には応えなければならない」というプロ意識の表れだそう。(ヒッチコックが「自分がどこに出てくるか見つけるのも観客の楽しみだから」と、いやでしょうがなかったエキストラ出演を遺作まで続けたのとまったく同じですね)
キャスターやアナウンサーではなく、一人の人間として番組の中に存在する。ニュースに対するコメントも、一人の人間としてどう考えるかを言葉にする。そんなふうに出演者たちが番組の中で「人間として生きている」と感じることができる。いってみれば、僕はニュース番組にストーリーのあるドラマを持ち込みたかったのだ。
異端から正統へ
NHKの『ニュースセンター9時』に対するカウンターとして始まった民放初のプライムタイムのニュース番組だったから、あくまでもNHKが「教科書」で『ニュースステーション』は「くだけた参考書」程度の意識だったらしいけれど、いつの間にかNHKが9時のニュースをやめ、自分たちが教科書になった。
もうこの時点で情熱は失われていたのでしょう。あとは辞めるまでのことが簡単に綴られているだけ。
「革命」は成功した。王は倒した自分が王になるのはいや。気持ちはもう次の革命に。『ニュースステーション』が実際に終わるまでの後半10年ぐらいは降板するしないの情報が飛び交ってばかりでしたからね。
そういえば、いまやってる民放共同企画の池上彰が5人のつわものと対談する番組。今日がたけしで明日が久米宏なんですよね。どんな話が飛び出すか。括目して見たい。

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