『天使のはらわた 赤い教室』(1979年、日本)
脚本:石井隆&曽根中生
監督:曽根中生
出演:蟹江敬三、水原ゆう紀

田中登監督『女教師』、村川透監督『白い指の戯れ』と並んで、私がロマンポルノで最も愛する名作中の名作、曽根中生監督『天使のはらわた 赤い教室』。
今回再見してみて思ったのは、この映画は「ポルノがポルノを批判する『内部告発』の映画ではないか」ということです。
村木は「ヒーロー」なのか

ロマンポルノには珍しく蟹江敬三演じる男・村木が主人公。ちなみに続く『赤い淫画』『赤い眩暈』も男が主人公です。名美シリーズという名前で知られていますが、実際は村木シリーズ。
まずはいつものように比較神話学を援用して解剖してみましょう。
夢に溢れた教育実習生だった名美はブルーフィルムの撮影のためにレイプされ、そのために教師の夢も断たれる。あのフィルムを見たと何人もの男に脅されて体をほしいままにされ、もう男を信じられなくなっている。ダースベイダーと同じように暗黒面に堕ちてしまったアンチヒーローです。
対して、村木が演じるエロ本のカメラマンは、ブルーフィルムの中のレイプが本当のことだったと直感し名美を探す。仕事で使うホテルの受付嬢だと判明して会い、あんたの写真を撮りたいともちかけ、また会おうと約束して去る。アンチヒーローを暗黒面から救い出そうとするヒーローですね。でも本当に?
結局、村木は濡れ衣でブタ箱に入れられてしまい、約束を果たせない。名美は「あの男だけは違うと思ったのにやっぱり……」と自暴自棄になってしまい、さらなる暗黒面に堕ちていく。村木は3年かけてやっとドヤ街でホステスとして働いている名美を見つける。名美はもう誰も信用していない。
村木「あんたはこんなとこにいちゃいけないよ」
名美「じゃ、あなたが来る? こっちに」
答えられない村木を見て、名美は静かにドヤ街へ戻っていく。
ヒーロー然と登場した村木は最終的に名美を救えなかった。彼はヒーローではなかったのでしょうか。では誰がヒーロー?
村木に濡れ衣を着せたのは誰か
その前に、この映画で最大の「悪」は何でしょうか。名美をレイプした男たちであることは誰の目にも明らかです。彼らがいなければ名美は暗黒面に堕ちることなく教師としての開かれた未来があったわけですから。
しかし、この映画には大きな疑問があります。
村木に濡れ衣を着せたのは誰なのか。
仕事で使っていたヌードモデルが15歳だと発覚して逮捕されるんですが、警察での事情聴取で村木は「万引きで捕まって困っていたのを助けてやって、でも15歳とは知らなかった」と言います。村木は実直な男だから嘘でないのは明らかです。なのにその15歳の女の手帳には「村木さんに無理やり……」みたいなことが書いてあったと刑事は言います。
そう、村木はハメられたわけです。誰に? 同僚のカメラマンでしょう。村木は俗っぽいエロ写真ではなく芸術的なヌードを撮りたいと切望している男で、そのために同僚からバカにされています。しかも村木が刑事に「濡れ衣だ!」と主張していたとき、当の同僚が部屋の外でニヤニヤしている姿が映っています。彼はおそらくモデルが15歳だと知っていた。そしてその子が自分に気がある(村木の後輩がそう言う場面がありました)のを利用して、手帳に村木に犯されたと嘘を書かせていたのでしょう。
村木は名美をモデルに芸術的な写真を撮りたい。だから彼女を救おうとするのですが、結局その「芸術をやりたい」という気持ちが足枷にもなってしまう。
村木はヒーローにあらず
村木は結局、名美をレイプした男たちと同じ穴のムジナではないか、というのが私の解釈です。確かに彼は名美を救おうとする。でもそれは自分の芸術のためです。本当に名美を愛し自分の身を犠牲にしてでもと思うのなら「あなたが来る? こっちに」というセリフに応えられたはず。名美は飲み屋の裏の部屋で男とセックスショーをやっています。村木はそれを見ながら、かつてと同じように男たちに凌辱されているのを見ながら助けることができない。彼は名美を自分の芸術のための「手段」にしようとしただけだったのです。
「汝の他者を手段としてのみならず、同時に目的として扱え」
というカントの定言命法がありますが、村木は名美を目的として扱っていません。ブルーフィルムを撮影する手段として名美をレイプした男たちと本質は同じです。
村木はヒーローではありません。この映画にヒーローはいません。ヒーローであるかに見えた村木でさえ名美を暗黒面に陥れた側の人間だったことが明らかになって映画は幕を閉じます。
そして、ここで大事なのは、ポルノ映画そのものが、男が女を手段として性的に搾取しているメディアだということです。ブルーフィルムもエロ本も同じです。
この映画はだから、表面上は名美という女の底なしの哀しみを描いた映画ですが、同時に、女の裸を見たい、濡れ場を見たい、という男の欲望を静かに告発する映画でもあると思います。ポルノがポルノを批判する「内部告発の映画」とはそういうわけです。
実に深い映画。やはり真の名作ですね。
天使のはらわた 赤い教室 [DVD]
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映画はかつてブルーカラーのものだった(『団地妻 昼下りの情事』論に代えて)
脚本:石井隆&曽根中生
監督:曽根中生
出演:蟹江敬三、水原ゆう紀

田中登監督『女教師』、村川透監督『白い指の戯れ』と並んで、私がロマンポルノで最も愛する名作中の名作、曽根中生監督『天使のはらわた 赤い教室』。
今回再見してみて思ったのは、この映画は「ポルノがポルノを批判する『内部告発』の映画ではないか」ということです。
村木は「ヒーロー」なのか

ロマンポルノには珍しく蟹江敬三演じる男・村木が主人公。ちなみに続く『赤い淫画』『赤い眩暈』も男が主人公です。名美シリーズという名前で知られていますが、実際は村木シリーズ。
まずはいつものように比較神話学を援用して解剖してみましょう。
夢に溢れた教育実習生だった名美はブルーフィルムの撮影のためにレイプされ、そのために教師の夢も断たれる。あのフィルムを見たと何人もの男に脅されて体をほしいままにされ、もう男を信じられなくなっている。ダースベイダーと同じように暗黒面に堕ちてしまったアンチヒーローです。
対して、村木が演じるエロ本のカメラマンは、ブルーフィルムの中のレイプが本当のことだったと直感し名美を探す。仕事で使うホテルの受付嬢だと判明して会い、あんたの写真を撮りたいともちかけ、また会おうと約束して去る。アンチヒーローを暗黒面から救い出そうとするヒーローですね。でも本当に?
結局、村木は濡れ衣でブタ箱に入れられてしまい、約束を果たせない。名美は「あの男だけは違うと思ったのにやっぱり……」と自暴自棄になってしまい、さらなる暗黒面に堕ちていく。村木は3年かけてやっとドヤ街でホステスとして働いている名美を見つける。名美はもう誰も信用していない。
村木「あんたはこんなとこにいちゃいけないよ」
名美「じゃ、あなたが来る? こっちに」
答えられない村木を見て、名美は静かにドヤ街へ戻っていく。
ヒーロー然と登場した村木は最終的に名美を救えなかった。彼はヒーローではなかったのでしょうか。では誰がヒーロー?
村木に濡れ衣を着せたのは誰か
その前に、この映画で最大の「悪」は何でしょうか。名美をレイプした男たちであることは誰の目にも明らかです。彼らがいなければ名美は暗黒面に堕ちることなく教師としての開かれた未来があったわけですから。
しかし、この映画には大きな疑問があります。
村木に濡れ衣を着せたのは誰なのか。
仕事で使っていたヌードモデルが15歳だと発覚して逮捕されるんですが、警察での事情聴取で村木は「万引きで捕まって困っていたのを助けてやって、でも15歳とは知らなかった」と言います。村木は実直な男だから嘘でないのは明らかです。なのにその15歳の女の手帳には「村木さんに無理やり……」みたいなことが書いてあったと刑事は言います。
そう、村木はハメられたわけです。誰に? 同僚のカメラマンでしょう。村木は俗っぽいエロ写真ではなく芸術的なヌードを撮りたいと切望している男で、そのために同僚からバカにされています。しかも村木が刑事に「濡れ衣だ!」と主張していたとき、当の同僚が部屋の外でニヤニヤしている姿が映っています。彼はおそらくモデルが15歳だと知っていた。そしてその子が自分に気がある(村木の後輩がそう言う場面がありました)のを利用して、手帳に村木に犯されたと嘘を書かせていたのでしょう。
村木は名美をモデルに芸術的な写真を撮りたい。だから彼女を救おうとするのですが、結局その「芸術をやりたい」という気持ちが足枷にもなってしまう。
村木はヒーローにあらず
村木は結局、名美をレイプした男たちと同じ穴のムジナではないか、というのが私の解釈です。確かに彼は名美を救おうとする。でもそれは自分の芸術のためです。本当に名美を愛し自分の身を犠牲にしてでもと思うのなら「あなたが来る? こっちに」というセリフに応えられたはず。名美は飲み屋の裏の部屋で男とセックスショーをやっています。村木はそれを見ながら、かつてと同じように男たちに凌辱されているのを見ながら助けることができない。彼は名美を自分の芸術のための「手段」にしようとしただけだったのです。
「汝の他者を手段としてのみならず、同時に目的として扱え」
というカントの定言命法がありますが、村木は名美を目的として扱っていません。ブルーフィルムを撮影する手段として名美をレイプした男たちと本質は同じです。
村木はヒーローではありません。この映画にヒーローはいません。ヒーローであるかに見えた村木でさえ名美を暗黒面に陥れた側の人間だったことが明らかになって映画は幕を閉じます。
そして、ここで大事なのは、ポルノ映画そのものが、男が女を手段として性的に搾取しているメディアだということです。ブルーフィルムもエロ本も同じです。
この映画はだから、表面上は名美という女の底なしの哀しみを描いた映画ですが、同時に、女の裸を見たい、濡れ場を見たい、という男の欲望を静かに告発する映画でもあると思います。ポルノがポルノを批判する「内部告発の映画」とはそういうわけです。
実に深い映画。やはり真の名作ですね。
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