昨日の『ホンマでっか!? TV』のモテ仕草コーナーに中島健人というジャニーズの人が出てきて、そのモテ仕草がすごいと大反響になっていましたが、モテ仕草そのものはどうでもよくって、最後の「母親の年齢は?」と訊かれて「いくら母親でも年齢は……」と答えなかったことがマツコなどタレントだけでなく、中野信子さんなど学者連にも絶賛されていたことにどうしようもなく違和感を覚えました。
2,3年前のあるテレビ番組で、日本人は「若く見える」というと異常に喜ぶが外国人は怒る、という特集をやっていました。

実際、街角でどう見ても40代以上の女性に「ティーンエイジャーに見えますね」というと、相好を崩して照れまくるんですね。嘘とわかっていてもうれしいらしい。
逆に、外国人の27歳の女性に「ティーンエイジャーに見えますね」というと、それまで笑顔で挨拶していた彼女はとたんに激怒して「いったい何を言っているの、失礼ね!」と去って行きました。
外国人は歳相応に見られるのを良しとする、というのは聞いたことがあるけれど、あそこまで激怒するとは驚きでした。
日本人は若さに価値を置きすぎなんですよ。だから年齢を聞くのは失礼とか、聞かれても言わないのが美徳みたいなことになってしまう。
長く生きてるほうが偉いに決まってるじゃないかと思うんですけど、このような考え方も諸刃の剣のような気がします。

日本は極端なタテ社会といわれます。
会社でもそうだし、学校の部活がそうですよね。何で一年早く生まれただけでそんなに偉そうなのかと、先輩の理不尽な物言いに一切聞く耳を貸さなかった私は「生意気だ」と嫌われまくってましたが、若さに価値を置く一方で、年長者に敬意を払えと。
でもこれはおそらく表裏一体なのでしょう。
若さに価値を置いているから、自分にはない若さをもっている後輩に嫉妬してガミガミ言うんじゃないの?
部活で上下関係が激しいのも、文化系より体育会系のほうがより顕著なことに、なるほどとうなずいてしまいます。だって、スポーツでは本当に「若さに価値がある」から。とはいえ、ほとんどのスポーツでは「もう若くはないけど、いまの自分の強みは経験です」という選手は数多い。
歳を取ることは、何かを失い、同時に何かを得ること。と考えれば、若さだけに価値を置くことのナンセンスさが浮き彫りになるはず。
日本はいつになったら「歳相応」が当たり前の社会になるのでしょうか。
もしそれが実現したら、悪質な後輩いじめも同時になくなるのでは? と夢想するんですがね。

2,3年前のあるテレビ番組で、日本人は「若く見える」というと異常に喜ぶが外国人は怒る、という特集をやっていました。

実際、街角でどう見ても40代以上の女性に「ティーンエイジャーに見えますね」というと、相好を崩して照れまくるんですね。嘘とわかっていてもうれしいらしい。
逆に、外国人の27歳の女性に「ティーンエイジャーに見えますね」というと、それまで笑顔で挨拶していた彼女はとたんに激怒して「いったい何を言っているの、失礼ね!」と去って行きました。
外国人は歳相応に見られるのを良しとする、というのは聞いたことがあるけれど、あそこまで激怒するとは驚きでした。
日本人は若さに価値を置きすぎなんですよ。だから年齢を聞くのは失礼とか、聞かれても言わないのが美徳みたいなことになってしまう。
長く生きてるほうが偉いに決まってるじゃないかと思うんですけど、このような考え方も諸刃の剣のような気がします。

日本は極端なタテ社会といわれます。
会社でもそうだし、学校の部活がそうですよね。何で一年早く生まれただけでそんなに偉そうなのかと、先輩の理不尽な物言いに一切聞く耳を貸さなかった私は「生意気だ」と嫌われまくってましたが、若さに価値を置く一方で、年長者に敬意を払えと。
でもこれはおそらく表裏一体なのでしょう。
若さに価値を置いているから、自分にはない若さをもっている後輩に嫉妬してガミガミ言うんじゃないの?
部活で上下関係が激しいのも、文化系より体育会系のほうがより顕著なことに、なるほどとうなずいてしまいます。だって、スポーツでは本当に「若さに価値がある」から。とはいえ、ほとんどのスポーツでは「もう若くはないけど、いまの自分の強みは経験です」という選手は数多い。
歳を取ることは、何かを失い、同時に何かを得ること。と考えれば、若さだけに価値を置くことのナンセンスさが浮き彫りになるはず。
日本はいつになったら「歳相応」が当たり前の社会になるのでしょうか。
もしそれが実現したら、悪質な後輩いじめも同時になくなるのでは? と夢想するんですがね。

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