昔、京都の専門学校時代にこんな人たちがたくさんいました。

「なぜおまえは一度見てつまらなかった映画を二度三度と見るのか。正気の沙汰とは思えない」と。

いやいや、私に言わせれば、一度見てつまらなかった映画を二度と見ないのってものすごく愚かだと思うんですよ。

そりゃ、同様につまらない可能性もありますよ。でも、仮につまらなくても、何か新しい発見があるかもしれないじゃないですか。

私にとって一度目はそれほどじゃなかったけど二度目からがすごかった映画に、

『ダーティハリー』
『ゴッドファーザー』
『グッドフェローズ』
『ザ・フライ』
『レイジング・ケイン』
『天使のはらわた 赤い教室』
『シェルタリング・スカイ』

などなど、錚々たるタイトルが並びます。

一度目はえらく感銘を受けたのに二度三度と見るうちにつまらなくなってしまった映画もありますがね。

なぜこういう現象が起こるかというと、それは「人間が日々刻々と変わっていくから」です。映画は変わりません。あれは「情報」だから。

人間は移ろいゆくものなのに常に変わらない一個の「情報」として考える、それが「情報化社会」だ、というのが14年前にベストセラーになった養老孟司『バカの壁』の主張でした。


バカの壁 (新潮新書)
養老 孟司
新潮社
2003-04-10



過去の自分といまの自分は別人です。あのときはつまらなかった、でもいま見直してみたら面白いかもしれない。

仮にそうでなくとも…

一度見てつまらなかった映画を二度と見ない人の誤謬は、「自分の判断は常に正しい」と無意識に思っている、というのがこの日記の主旨です。

一度見てつまらなかった映画を二度と見ないというのは、その「つまらなかった」という自分の判断が絶対的に正しいと信じてないとできない芸当でしょ。

私は少しもそんなこと思っていません。
どうしたって見落としていることがあろうし、その日の体調だって影響するし、プライベートのあれやこれやが思考を邪魔して内容が頭に入ってこないから「この映画はつまらない」と思い込んでいる可能性だって高いのです。

仮に体調が絶好調でも、あのときといまでは感じ方が変わってくる。やはり「人は変わる」のだから。

それらすべての可能性を封じ込めて「過去の自分の判断は絶対的に正しい」と信じ込むってどうなんだと。


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