昨日、過剰プロットと喪失プロットの両方を併せもつ映画に好きなものが多いと書きました。

前回の記事
①「ハイ・コンセプト」とは何か



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例えば『バック・トゥ・ザ・フューチャー』

30年前の世界に闖入した主人公マーティは明らかな過剰物として両親の恋路を邪魔します。が、その前、85年現在の世界で親友のドクが殺されてしまうんですね。


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だから、この映画は過剰プロットを喪失プロットが包摂する形になっています。
どちらがメインプロットでどちらがサブプロットかは判然としませんが、マーティは自身が過剰物であることをやめて両親の仲をとりもつ傍ら、喪失物=ドクを取り戻せるのは過剰物たる自分しかいないと奮闘します。ここがこの映画の面白さでしょう。


あるいは、『ゴッドファーザー』

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ヴィトーが撃たれ、物語から退場することにより映画は本格的に起動します。同時に、それまでファミリーの仕事と無縁だったマイケルが入ってきます。

ヴィトーが喪失物でマイケルが過剰物ですね。

ここで肝要なのは、ヴィトーもマイケルも同じ「ドン・コルレオーネ」という役割を担っていることです。ドンを喪失し、その穴埋めに新しいドンが入ってくる。

それならそれでいいじゃないか、となりそうですが、父と子の器があまりに違いすぎるため悲劇が起こります。ヴィトーがあまりに偉大だったため、卑小なマイケルではその穴埋めができない。

『バック・トゥ・ザ・フューチャー』では過剰プロットと喪失プロットが複雑に絡み合っていましたが、この映画では見事に1本の太い縦糸に収まっています。完璧な作劇です。

では、この映画はどうでしょうか。

『ブレードランナー』
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『バック・トゥ・ザ・フューチャー』と『ゴッドファーザー』では、喪失の理由はどちらも悪漢に撃たれることでしたが、この『ブレードランナー』では少々事情が異なります。

地球に潜入してきたルトガー・ハウアーはじめレプリカントたちは明らかな悪漢たる過剰物であり、主人公ハリソン・フォードは彼らを駆逐していきます。

しかし、彼らが地球にやってきた理由は何でしょうか。

自分たちがたった4年しか生きられないことを知ったからです。いつまで生きられるのか、本当にもうすぐ死んでしまうのか、それが知りたい、もし本当なら俺たちを造った奴を殺してやる!

レプリカントたちは「造物主によってあらかじめ奪われた未来」という喪失プロットを生きており、それがために過剰物として地球にやってくる。

凡百のパニック映画や勧善懲悪映画と一線を画するのは、悪漢たる過剰物キャラクターが喪失プロットを生きている、ということですね。

こういうのはよくありますよね。悪漢のほうにも哀しいいきさつがあったというやつ。
『新幹線大爆破』もその類でしょうが、それをセリフで説明しちゃったらおしまいでは? とも思います。明らかに喪失プロットを生きていながら犯行に至った動機を一切説明しない『ジャガーノート』のほうがよっぽど好きです。

というわけで、どういうふうに分析のメスを入れてもやはり『ゴッドファーザー』は偉大であるという結論に至るわけですが、せめて『バック・トゥ・ザ・フューチャー』ぐらいのものは書きたいし、できれば『ブレードランナー』級の深い喪失プロットをやってみたい! と思いながら頑張っていきまっしょい。




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