小林麻央が亡くなってしまいました。
ファンではなかったけれど、去年の乳ガン告白からの一年は「いつかきっとよくなって!」と祈るばかりでした。
だってねぇ、マスコミのはしゃぎぶりがあまりにひどかったですから。
ブログに掲載された写真の顔色から、いまステージはどのぐらいなどと「識者」と称される人たちが嬉々として語っているその顔がいわゆるドヤ顔になっていて、あんたすでに識者ではなかろうとテレビを蹴りたくなったもんです。
だから、あれだけ嫌いだった海老蔵を応援するきっかけにもなりました。
それはともかく、今日買い物に行ったときに妙な会話を耳にしたため筆を執った次第です。
それはこんなやりとりでした。
「小林麻央が息を引き取る直前に『愛してる』と言ったというのは本当だろうか。10分くらいまえに言ったのを直前と記憶違いしているだけでは?」
「いや、というより『愛してる』という言葉自体が海老蔵の無意識の作り話ではないか。愛妻の最期に混乱してしまい、そう言ったと記憶を捏造しているのかも」
云々かんぬん。
いやいや、呆れてものが言えないとはこのことですわ。
そりゃ確かに、息を引き取る直前ではなかったかもしれないし、「愛してる」という言葉自体が海老蔵の捏造なのかもしれません。
しかし、だからどうだというんでしょう?
海老蔵がそう感じたのならそれでいいのでは?
その人をその人たらしめているのは、「客観的事実」などではなく「主観的幻想=記憶」なのですから。
「息を引き取る直前に『愛してる』と言ってくれた」というのが仮に「事実」ではなくても、海老蔵にとってはそれが「真実」なのですから。
「息を引き取る直前に『愛してる』と言ってくれた」というのが仮に「事実」ではなくても、海老蔵にとってはそれが「真実」なのですから。
しばらく、最期の言葉「愛してる」がワイドショーを賑わすのでしょうが、私はそんな人の死を娯楽として消費する番組は見ません。



コメント
コメント一覧 (4)
→海老蔵ブログの更新状態からすると、かまって欲しくて仕方がない様子ですが・・・
確かに雁谷哲さんの言っていることは間違っていませんね。
でも、小林麻央=市川海老蔵と雁屋哲のネームバリューを考慮するとあながち正しいとは言えないと思います。
芸能人が「私、結婚します」というお知らせのファックスをマスコミ各社に送ってきたみたいな報道をよく耳にしますが、何でわざわざ自分からそんな報告をする必要があるのか昔は理解できませんでした。
でも、ある番組で芸能レポーターが、「○○さんは結婚したことを報告してくれないので…」みたいな発言をしたんですね。「あなた方が自分で取材すべきじゃないのか」と誰かが突っ込んでいて私もその通りと思いましたが、現実はそういう正論を通してはくれないようでして、自分から報告するくらいマスコミに気を使っておかないとひどいことを書かれてしまうらしいです。
雁屋さんがそういう正論を吐けるのは、ご自身がガンになってもさほどのニュースバリューがないからでしょう。
小林麻央と海老蔵は自分たちはあまりにも有名だから、ということで公表に至ったのだと思われます。
ただ、どうせ公表したのだからブログをやって同じ病気に苦しむ人たちと支えあいたいという気持ちが芽生え、実際、麻央さんのブログはかなりの影響力をもっていたそうです。
それならそれでいいのではないでしょうか。
「世界に影響力をもつ100人の女性」に選ばれたことをも否定することにつながってしまうかもしれませんよ。
有名人の方はね実はあんまり自分の病気のこととか世間に公表しないほうがいいじゃないでしょうかね?
以前漫画家の雁屋哲さんのブログを拝見した際雁屋さんは「私は自分が病気になってもそれを世間に公表しない、話すのはごく身近な人間と医師に対してのみだ」とおっしゃっていました。
これは雁屋さんいわく、野生動物の自分の死期が近づくと周囲にその弱った姿を晒さず一人ひっそり死んでいくという死に方に共感したからだそうで自分も死ぬときはひっそりと逝きたいからそうすることに決めたそうです。
雁屋さんはそれ故にある日突然自分の訃報が報じられても驚かないでほしいと読者に向けて言っておられたのですが私もこの考えは間違っていないと思います。
有名人が闘病生活を明かしたところでマスコミの飯の種にされるだけですよ。
ブレッソンさんも仰っていますとおり自分の死がマスコミに娯楽として消費されるくらいならば雁屋さんのような思想に基づいた闘病のほうがよいのではないでしょうか。
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