もう死ぬまで見れないんじゃないかと思っていたハワード・ホークスの1964年作品『男性の好きなスポーツ』が放送されて狂喜乱舞。

これが「カツラを使った一点透視図法」という珍しい手法を使った珍作にして傑作でした。


物語のあらまし
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こういうケッタイなシーンが続出する、まことにケッタイな映画なんですけど、物語のあらましは、釣りなんか一度もしたことのない男が『釣りの秘訣』なんて本を出したらベストセラーになり、ある釣り大会にゲストとして出場せねばならなくなる、という、まことに古典的な「ウソをウソで塗り固める物語」。

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婚約者がありながら二人の美女に請われて出場する主人公がなかなかいい感じにいいかげんな男で、ウソをウソで塗り固める悪い奴なんだけど憎めない。逆に、こんなふうに美女二人にいじられたいと思ってしまうほど。

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で、大会ではまぐれにつぐまぐれで何と主人公が優勝してしまう。しかし、彼を愛する女の懇願ですべてを正直に告白せねばならなくなる。

彼を雇っていた社長は悩みまくるけれども、そこへ仲間がやってきて妙案を提示し、社長さんはクビにした主人公を雇い直し、すべてが丸く収まる。

という「底なしの楽天性」を絵に描いたような映画ですが、実はこの社長さん、ハゲなんです。


社長のカツラ
次の画像は、彼の周辺の偉いさんたちですが、右から二人目に注目。彼が社長さんで、髪の毛がふさふさしていますが実はカツラなんですね。

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ほうら、このとおり。

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何度かヅラネタで笑わせてくれますが、主人公が「俺は一度も釣りなんかしたことがない!」と告白したとき、彼を雇っているこの社長さんだけは仏頂面で「いったいこの苦境をどう脱したらいいか」と悩みまくっている。

この底なしに楽天的な映画において、当の主人公は何も悩まず告白する。それは「すべてを失っても俺には言い寄ってくる美女がいる」という余裕もあるからでしょう。しかしヅラの社長さんはすべてを失ったら何もなくなってしまう。だから悩む。悩みまくる。独りだけ地獄にいるみたいな顔で。

ところが、主人公が釣りの経験がないことを逆手に取ったアイデアを仲間がもちかけてくれるとき、ヅラがずれてるんですね。

ここはかなり大きなポイントだと思います。


一点透視図法
脚本のジョン・クェントン・ミューレイとスティーブ・マクニールはこのアホみたいな話に秩序をもたせるため、「一点透視図法」を用いたと私は見ます。

その「一点」とはまさに社長その人です。主人公は何も考えてないからこそ経験のない釣りの本を書いてバカ売れしても罪悪感のかけらもない。彼を誘惑する女たちもほとんど何も考えていない。社長に妙案を提示する仲間も自分たちが儲けることと保身しか考えていない。

しかしそれではあまりに話がアホすぎないか、リアリティに欠けないだろうかと脚本家二人は考えたはず。

そこで、主人公のウソがばれたら大損する社長にだけは悩ませた。

悩まなければおかしい社長という「一点」から、飛び出す絵のようにアホばかりの群像を描き出す手法です。だから「底なしの楽天性」というのはおかしいですね。底があるからジャンプできるわけだし、根っこがあるから花が咲く。(『我輩はカモである』だって底なしのように見えますが、当時の世界大戦間近の情勢を含んでいて結構どす黒い「底」が設定されています)

しかし、と脚本家チームは考えたはずなのです。

苦悩するキャラクターってちょっとこの映画にそぐわないんじゃない? と。

そして考え出したのがめちゃ古典的な「ヅラ」というネタじゃないかというのが私の推測です。社長の大苦悩をヅラという楽天的な小道具で覆い隠す。これはかなりの確率で当たっているはず。

主人公のほうだって同じときに、こんなことになってますもんね。

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ここを婚約者に見られて破談になるわけですが、さすがに婚約者まで何も考えない楽天主義者を配するわけにはいかなかったのでしょう。ただ、こちらは社長と違って、このシーン自体が爆笑ものなのでヅラみたいな小ネタを弄する必要がなかった。

だから、あのヅラこそがこの『男性の好きなスポーツ』の肝だと申し上げる次第です。

凡百の脚本家ならいろいろ小細工を弄するところなのに、「ヅラだけで行ける!」と踏んだのは偉いとしか言いようがない。そして最終的に決断したのは他でもない、プロデューサーでもあるハワード・ホークス。やはり天才ですね。





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