岡田秀則というフィルム・アーキビストの『映画という≪物体X≫ フィルム・アーカイブの眼で見た映画』を読みました。

「批評は作品に優劣をつけて区別するものだけれど、フィルムの保存ではすべての映画を平等に扱う」
というところにまず感動。でも、もっと感動したというか、驚き、なるほどと思ったのは以下の3点。
①デジタルで撮影された映画も保存はフィルムで行われる
数年前にWOWOWのドキュメンタリーで、いまや世界一の製作本数を誇るナイジェリア映画界の内幕に取材したものがあって、ある製作会社で完成した映画と製作途中の映画、すべてのデータが一瞬で消失したという事件が映し出されていました。
だから、デジタルで撮影・上映したとしても、そのあと後世に残すための保存はフィルムでないといけないと。
ただここでとても面白い話があって、最初に発明されたフィルムはナイトレイトフィルムといって可燃性なんですね。『ニュー・シネマ・パラダイス』でフィルムから出火して火事になる場面が有名ですが、ああいう事故をなくすために不燃性のアセテートフィルムが発明された。で、映画会社はこぞってナイトレイトからアセテートに移し替えて保存し始めたんですが、何とアセテートフィルムはめちゃくちゃ劣化が早いことがわかり、保存のためにはナイトレイトフィルムのほうがずっといいんだとか。
いま現在アセテートとナイトレイトのどちらで映画が保存されてるのが主流なのか…忘れてしまいました。というか、そもそもそういう記述があったかどうかさえ憶えていません。
というのも、次の2点目にあまりになるほどと思ってしまったから。
②インターネットの普及でパンフレットの売り上げは激減したが、チラシを駆逐することはできなかった
私はもうずっと以前からパンフレットというものを買わなくなりましたが、確かにいまはネットで映画の情報を見ようと思えばたくさん見れますから買う人ってあまりいないでしょうね。
しかし、これから見る映画の情報をどこでどうやって仕入れるか。
ユーチューブで予告編を見れるし、ツイッターで耳寄りな情報を呟いてくれる人もいますが、何といっても映画館に置いてあるチラシがいまでも、そしてこれからも一番有効なんだそうです。実際、いまでも映画館には大量のチラシが置いてあって、たくさんの人が持って帰ってますから。
有効というか「速い」んですね。一見、ネットのほうが速そうですが、実感からいっても、チラシのほうがわかりやすいし予告編全部を見なくても配色やコピーを見ればちらっと見ただけでだいたいわかっちゃいますから。それにたくさんの映画の情報をほんの10分とか20分で仕入れられる。これはネットではできない。
常々、「映画の出来とチラシの出来は比例する」が持論の私としてはうれしかった。
③3Dは米ソ冷戦の産物だった
3D映画は早晩すたれるだろう、というのがもともと私の見解ですが、それは、50年代に最初のブームが起きたときも2009年の『アバター』の大ヒットでムーブメントが起きたときも、その根っこには映画会社の「金儲け主義」があったからです。
昔はテレビに対抗するため、いまはいろんな娯楽に対抗するため。
サイレントからトーキーになったり、白黒からカラーになったのは、「現実の世界に近づけたい」という芸術家の純粋な欲望からのみでしたが、3Dにはそういうものはありません。現実が立体なのだから映画でも立体に見せたいという純粋な欲望なんじゃないか、という人もいますが、私はそうは思いません。
なぜなら、映画が発明されるずっと前から、絵画という二次元芸術があったからです。三次元の世界を二次元に移し替えるときに一点透視図法とかいろんな技法で奥行きを出し立体的に見せる、そのことに描くほうも見るほうも愉悦を感じていたわけで、いまさらほんとに立体に見せる必要はありません。というか、3Dにはそういう「芸」がないですもん。技術があるだけで。
しかし、この本での3D衰退論は、米ソ冷戦の産物だったからだ、というもので、これには蒙を啓かれました。

「批評は作品に優劣をつけて区別するものだけれど、フィルムの保存ではすべての映画を平等に扱う」
というところにまず感動。でも、もっと感動したというか、驚き、なるほどと思ったのは以下の3点。
①デジタルで撮影された映画も保存はフィルムで行われる
数年前にWOWOWのドキュメンタリーで、いまや世界一の製作本数を誇るナイジェリア映画界の内幕に取材したものがあって、ある製作会社で完成した映画と製作途中の映画、すべてのデータが一瞬で消失したという事件が映し出されていました。
だから、デジタルで撮影・上映したとしても、そのあと後世に残すための保存はフィルムでないといけないと。
ただここでとても面白い話があって、最初に発明されたフィルムはナイトレイトフィルムといって可燃性なんですね。『ニュー・シネマ・パラダイス』でフィルムから出火して火事になる場面が有名ですが、ああいう事故をなくすために不燃性のアセテートフィルムが発明された。で、映画会社はこぞってナイトレイトからアセテートに移し替えて保存し始めたんですが、何とアセテートフィルムはめちゃくちゃ劣化が早いことがわかり、保存のためにはナイトレイトフィルムのほうがずっといいんだとか。
いま現在アセテートとナイトレイトのどちらで映画が保存されてるのが主流なのか…忘れてしまいました。というか、そもそもそういう記述があったかどうかさえ憶えていません。
というのも、次の2点目にあまりになるほどと思ってしまったから。
②インターネットの普及でパンフレットの売り上げは激減したが、チラシを駆逐することはできなかった
私はもうずっと以前からパンフレットというものを買わなくなりましたが、確かにいまはネットで映画の情報を見ようと思えばたくさん見れますから買う人ってあまりいないでしょうね。
しかし、これから見る映画の情報をどこでどうやって仕入れるか。
ユーチューブで予告編を見れるし、ツイッターで耳寄りな情報を呟いてくれる人もいますが、何といっても映画館に置いてあるチラシがいまでも、そしてこれからも一番有効なんだそうです。実際、いまでも映画館には大量のチラシが置いてあって、たくさんの人が持って帰ってますから。
有効というか「速い」んですね。一見、ネットのほうが速そうですが、実感からいっても、チラシのほうがわかりやすいし予告編全部を見なくても配色やコピーを見ればちらっと見ただけでだいたいわかっちゃいますから。それにたくさんの映画の情報をほんの10分とか20分で仕入れられる。これはネットではできない。
常々、「映画の出来とチラシの出来は比例する」が持論の私としてはうれしかった。
③3Dは米ソ冷戦の産物だった
3D映画は早晩すたれるだろう、というのがもともと私の見解ですが、それは、50年代に最初のブームが起きたときも2009年の『アバター』の大ヒットでムーブメントが起きたときも、その根っこには映画会社の「金儲け主義」があったからです。
昔はテレビに対抗するため、いまはいろんな娯楽に対抗するため。
サイレントからトーキーになったり、白黒からカラーになったのは、「現実の世界に近づけたい」という芸術家の純粋な欲望からのみでしたが、3Dにはそういうものはありません。現実が立体なのだから映画でも立体に見せたいという純粋な欲望なんじゃないか、という人もいますが、私はそうは思いません。
なぜなら、映画が発明されるずっと前から、絵画という二次元芸術があったからです。三次元の世界を二次元に移し替えるときに一点透視図法とかいろんな技法で奥行きを出し立体的に見せる、そのことに描くほうも見るほうも愉悦を感じていたわけで、いまさらほんとに立体に見せる必要はありません。というか、3Dにはそういう「芸」がないですもん。技術があるだけで。
しかし、この本での3D衰退論は、米ソ冷戦の産物だったからだ、というもので、これには蒙を啓かれました。

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