私が脚本家を目指していたことはすでにお話しましたが、実は、6月半ばに東京のある製作会社からメールが来ましてね。

「低予算ホラー映画の企画を出してほしい」と。

驚きました。

最初は誰かのいたずらかと思ったんですよね。ぜんぜん聞いたことのない会社だし。

でもま、騙されたと思って返信してみたら電話がかかってきて、ほんとに企画を出してほしいというからたまげました。

で、渾身の企画書を2つ出した結果、他の人のものが採用されたために日の目は見ませんでしたが、採用されてれば脚本も書かせてもらえてたわけで、惜しいことをしたなぁ、と。でもま、しょうがありません。力が足りなかったのです。

その後、ほんの少し間をおいて東京の友人からメールがあり、15分の短編映画の脚本をお願いしたい、と。

おおお、捨てる神あれば拾う神ありとはこのことよ。

ただ、15分の脚本なんて書いたことないんで、短編の作法を身につけようといろいろ過去の名作を見直したんです。

ブニュエル『アンダルシアの犬』
クリス・マルケル『ラ・ジュテ』
トリュフォー『あこがれ』
フェリーニ『悪魔の首飾り』

ここまでは「何だかあまり参考にならんもんばかり見てるなぁ」という感じでしたが、今日「最後に」と思って見なおしたのがまさに真打ちでした。


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アルベール・ラモリス監督『赤い風船』

いいですよねぇ。物語はいたってシンプルで、柔らかな詩情にあふれてて、色彩のスペクタクルもあって、まさに「映画」といった感じ。

しかし、その友人からは城定秀夫作品みたいのがいい、ああいう「生活エロ」を盛り込んでほしいみたいなこと言われてまして、それなら『赤い風船』みたいなのはダメですし、それにここには詳しく書けませんが、別に生活エロでなくてもいいから激情を孕んだ物語を、と要求されてまして、やはり『赤い風船』みたいなのではダメ。

なら何で見直したの? という声が聞こえてきそうですが、それは私が最近ブログで書いてる「ジャンル分けの罪」というやつでして、ジャンルで考えるのはダメなんですよ。

確かに、城定秀夫みたいなの、と要求されればそれに則したものでなきゃダメなんですけど、参考のために見るものが城定作品だけ、とか、生活エロを盛り込んだジャンルの短編を見なきゃいけないかというと、そうとはかぎらないんですよね。

そりゃそれでもいいんだけど、極端なことをいえば、ラブストーリーを書くにあたって男しか出てこない戦争映画が参考になることだってある。

ジャンルで考えてはいかんのです。
脚本の構造を学ぶためなんですから。人物配置の関係性の変化を学ぶためなんですから。

激情を孕んだ物語を要求されている以上、素朴きわまりない『赤い風船』と同じようなものは絶対ダメですが、『赤い風船』の脚本構造は充分まねしていいし、するべきでしょう。たった34分で見事な詩的世界を生み出しているところは見習わないといけません。

しかも、私に与えられた時間はたったの15分。……15分!?

『あこがれ』と『アンダルシアの犬』をもう一度見直さないといけないかもしれません。





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