最近、ヒッチコックの泣く子も黙る名作『サイコ』と『めまい』を見直し、前々から思っていたことをいままで以上に強烈に感じました。

それは、「なぜヒッチコックは不穏なシーンの前触れとして人物の顔を真横から撮るのか」というものです。


『めまい』の真横ショット
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主人公スコティ(ジェームズ・スチュアート)の見た目によるマデリン(キム・ノヴァク)を捉えたショット。スコティがマデリンを初めて間近に見る場面で、彼女の美しさの虜になるきっかけなんですね。(このショットの切り返しでスコティ自身も真横から捉えられます)

このマデリンの真横ショットはその後もしばしばスコティを幻惑することになります。マデリンの横顔は主人公スコティにとってのオブセッションとなります。それがきっかけで一大悲劇の幕が開くわけですから、このマデリンを真横から捉えたショットはとても不吉です。何やらただならぬ雰囲気が漂っています。


『サイコ』の真横ショット
マリオン(ジャネット・リー)がノーマン・ベイツ(アンソニー・パーキンス)が経営するモーテルに部屋を取り、ノーマンに案内されて1号室に入って荷物を下ろしたあと、ノーマンが自己紹介します。そのとき二人が真横から捉えられます。

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 (これはちょっとだけ斜めですけど)

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 (これは真横と言っていいですね)

このあとあの有名なシャワーシーンがあるんですが、その間に結構長い会話シーンがあるんで、この真横ショットの切り返しという何とも奇妙な映像演出は、シャワーシーンの不穏さの前触れとしてではなく、『サイコ』という物語全体の前触れですかね。この二人の出会いが一大ショッキング事件の幕開けなわけですから。

映画とはいつだって誰かと誰かが出逢うことで始まるんですが、『めまい』でも『サイコ』でもその出逢いの場面において人物を真横から撮るという奇妙な現象が起こっています。これはいったいなぜ?

しかもですよ、『サイコ』における最凶シーンであるシャワーシーンの直前においても人物が真横から捉えられるのです。

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服を脱ぐマリオンを隣の部屋の覗き穴から見つめるノーマンを真横から捉えたショットです。ただ、このショットはどうあがいても真横からしか撮れない。

ならば、これはどうでしょうか。シャワーシーンが始まった直後に置かれたこの奇妙なショット。


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シャワーという器物を真横から撮っている。私はこの映像にただならぬ雰囲気を感じてしまうのです。

立ち話する二人を真横から撮り、シャワーという器物を真横から撮る。

なぜヒッチコックはかくも「真横から撮る」ことに執着するのでしょうか。しかも、『サイコ』においてこのシークエンスは、単なる殺人場面というだけでなく、主役と思われていた人物が殺されて、新たな人物が主役になる、主役の入れ替わりが行われるという映画史上前代未聞のシーンなのです。その重要なシーンに真横ショットを挿入する意図はいったい何なのか。

ついでにいうと、ノーマン・ベイツを昔から知る保安官(ジョン・マッキンタイア)は、ベイツの母親が実はすでに死んでいるという驚愕の事実を知らせる人物ですが、その不穏な情報が飛び出す直前にも彼が真横から捉えられます。

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『サイコ』での真横事情はここまでです。不気味とはいえ、不穏な場面の前触れとして真横ショットが挿入されるというただそれだけの話なんですが、『めまい』では単なる真横事情では終わらず、かくも麗しい「横顔のドラマ」が演じられるのです。


再び『めまい』
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主人公スコティと、彼を騙していながら愛してしまうマデリン。二人が森へ行くとき、車を運転するスコティの見た目でマデリンの顔が真横から撮られます。

そして、マデリンが死んだ(と思われた)あとには…


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再びスコティの前に現れたマデリン(ほんとはジュディ)が、これまた真横から撮られています。ここまで真横に固執するには何かわけがあるんでしょう。しかもこれまではすべて右向き。しかし、次に初めてマデリンが左真横から捉えられます。


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ジュディの告白とともに観客はことの真相をすべて知ってしまいますが、スコティだけが知りません。はたしてジュディはマリオンなのか、マリオンじゃないのか、いったい何がどうなっているのか。という煩悶のなかで彼女を見つめるとき、初めて左真横から撮られるのですね。

これまでの右向き真横ショットははっきりマデリンその人でしたが、ここではいったいこの女がどっちなのかわからない。だからシルエットのみでしかも左向き真横という撮り方になったのでしょう。

さて、これまで『めまい』における真横ショットはすべてマデリン=ジュディを撮ったものでしたが、クライマックス直前、ついに主人公スコティが真横から撮られます。

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これは、すべての事情を知ったスコティがマデリン=ジュディを連れてくだんの鐘楼に連れて行く場面。

ここでは、二人のこれまでの立場が完全に逆転しています。いままでマデリン=ジュディに騙されっぱなしだったスコティが、真相を暴くためにあの鐘楼へ連れて行こうとしている、とジュディはわかっています。それだけはしてほしくない。と思ってスコティを見つめる。

そのときのスコティが真横から撮られているんですね。

マデリンの横顔に幻惑されてきたスコティが、いまや冷徹非情な横顔を彼女に見せて復讐しようとしている。まさに「横顔のドラマ」!!!

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しかし、変です。

なぜ人物の顔や器物を真横から撮ると不気味な雰囲気が醸し出されてしまうのでしょう?

これについてはまったくわかりません。ただ、ヒントはあるような気がします。


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これは『ヒッチコック劇場』での有名なシルエット。ヒッチコックが自分自身を真横から撮っています。ヒッチコック劇場って結構コミカルなもの、『ハリーの災難』みたいな感じの作品が多いですが、しかし、コミカルといっても題材は殺人とか誘拐とか不穏な犯罪ですから、これからお送りする物語は不穏で恐いお話ですよ、ということを暗示しているのでしょうか。


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ヒッチコックといえば横顔なんですよね。トリュフォーがインタビューした『映画術』の表紙もこの横顔をデザインしたものでした。

しかし、そうであるなら、もっといろんな映画で人物や器物を真横から撮った不穏な映画を見せてほしかったなぁ、と。

なぜ『サイコ』や『めまい』だけにこういう変てこなショットがあるのか。そもそも、なぜ真横から撮ると不穏なのか。

答えはヒッチのみぞ知る! といったところでしょうか。


ヒッチコック映画自身 (リュミエール叢書)
アルフレッド ヒッチコック
筑摩書房
1999-10-01



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