大阪の中学校長が「女性にとって最も大切なことは子どもを二人以上産むこと」との発言がやたらと世間から袋叩きにされてますね。

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私もどうかと思います。

ただ、「国のために」とか「二人以上」という文言がなければ私は特に問題とは思いません。

人々は国家のために生きてるわけじゃないし、二人以上産むべきだというのは少子化対策でしょう? 人口を増やすのが国民としての務めだ、このまま少子化が進んだら社会保障費はどうなるのか、という計算が見え見えなので厭なのです。

でも、「人は子どもを産み、育てるべきだ」との言説自体には少しも反対ではありません。

子どもがいないばかりか結婚すらしていない私が言っても何も説得力がないことを百も承知で言いますが、私の尊敬する思想家の内田樹先生が、いろんな本でこんな意味のことをおっしゃっています。

「結婚によって人は成熟する。まったくの他人に合わせたくもないのに合わせ、したくもないことに付き合い、子どもが生まれればわがままばかり言われ、そうやっているうちに人間が成熟する」

結婚してないから想像ですが、おそらく相当なストレスだろうと思われます。しかも子どもという別の生き物が生まれてしまっては自分の時間を捻出するのがかなり難しいだろうことも容易に想像されます。

でも、そうやってこれまで人間は成熟することを怠らずに次の世代にバトンタッチしてきたのでしょう。

子どもがほしくても金がない、そもそも結婚できない、それはわかります。かの校長さんはそういうことにも配慮がないから叩かれているのでしょう。「保育園落ちた日本死ね」との匿名ブログが話題ですが、子どもを産みたくても産める体制が整っていない。それはそうなのでしょう。しかしそれは少子化と同じく政治の問題であって、人としてのあり方とは別問題です。

世間では「子どもを産まない自由もあっていい」「価値観の押しつけだ」という声が支配的のようです。私も同じことを思います。

しかしながら、私と同世代か、それより下の世代は「自由」ということにあまりに重きを置きすぎじゃないでしょうか。

確かに人はみな自由であるべきです。私だって、かつて自殺を図ったことがあるので、仮に結婚したとしても「子どもが同じ自殺願望に憑りつかれるかもしれないから産むのはやめとこう」と考える可能性は大いにあります。だから子供を産まない選択をした夫婦を否定できません。

ですが、かの校長さんの、「親に育ててもらったから、子どもを育てることでその恩を返すべき」との言葉が間違ってるとは少しも思いません。

私だって、育児に時間を取られて自分の時間がなくなるのは厭です。でも、おそらく内田先生のおっしゃるように、それ以上の「成熟」を得られるんじゃないでしょうか。

これは自戒をこめて言うのですが、いまの日本には「成熟したくない大人」が増えてる気がします。そういう人は本当の意味で大人ではありません。死ぬまで子どものままでいたい人たちの急増。

だから、かの校長さんの言葉には叩かれてしかるべき文言もありますが、一片の真理もあるはずなのです。

それを叩きに叩くだけで、真理のほうには誰も耳を傾けようとしない。「自由に生きる」「自分の時間を失いたくない」ことを唯一の正義であるかのように言うのは感心しません。



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