『自虐の詩』で知られる業田良家さんの連作短編集『機械仕掛けの愛』(小学館)。いま出ている3巻まで読みました。



どれもこれも面白いんですが、厳選して3篇だけご紹介します。

①『罪と罰の匣』
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ドストエフスキーを「人間の愚かさを描いた笑える小説」と看破する警察ロボットが主人公なんですが、突然ある日彼が逮捕されてしまう。

容疑は偽札作り。貧しい人たちのために偽札を刷っていたのだと。「お金持ちは困るでしょう。でも貧しい人たちは救われます。法律を犯しましたが、間違ったことをしたとは思わない」と言い放つ彼は、虫ロボットにされてしまう。メモリーだけ腹に差して。彼の上司だった男がドストエフスキーの文庫本を差し入れてやって、「私には愛すべき部下がいた」と涙を流す場面で終わる。


②『ロボット心中』
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ある男が人間の女ではなく、女型ロボットと結婚すると言い出して周囲は猛反対。それを押し切って結婚するも、周りから奇異の目で見られて何もかも嫌になった男は「俺と心中しよう」と妻に言う。が、妻ロボットは「私に愛情はありません。ただ機能があるだけです」と心中を拒否。
絶望する男にニュースが届けられる。妻ロボットが別の男型ロボットと心中したと。やっぱりロボットはロボット同士がいいのかと思いきや、おそらく「偽装心中」だろうと結論される。男型ロボットの持ち主の女性も心中を迫っていたらしい。主人の命を守るため二体のロボットは示し合わせて偽装心中したと思われる。そんなプログラミングはしてないのに、主人の命を守るという機能をまっとうした結果、命懸けで主人を守るという行為に出たのだと。

「機能」だって何だっていい、これ以上の「愛情」が他にあるか。と男は声に出さずに言う。


③『丘の上の阿呆』
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極度の監視社会に生きる男の物語。

体制派と反体制派のどちらもが自分たちの仲間を監視し、裏切り、密告、処刑に明け暮れる毎日。
主人公は、阿呆を装って生きている。そのほうがどちらにつかずにいても笑われるだけですむと。そして、殺された人たちを葬り、花を添えることを自らの責務と考えている。「阿呆のほうが人としてやるべきことをやれる。狂った世の中さ」とネコ型監視ロボットに語る。

そんな彼が「ああいうどっちつかずが一番ムカつく」と突然殺される。ネコ型ロボットはすでにメモリーを書き換えられており、自分の使命が監視であることを知らない。殺された阿呆を見ながら「俺はいま何をしなければならないのか」と考えた末に、花を一輪ずつ摘んできて阿呆の死体を飾ってやるのだった。

「心」とは何ぞや? 人間とロボットの違いは何ぞや。

人間は心があるが、ロボットにはない。本当にそうだろうか?

ロボットの「機能」と人間の「心」ってひょっとして同じではないのか、人間も神が造ったロボットにすぎないのかも…というのがこの連作短編集に通底する思想・哲学ですね。

言葉では言えない何かがこの3冊のマンガには詰まっていますが、はたしてロボットは言葉では言えない何かを理解することはできるのでしょうか。

第3巻の最後『ロゴスの花』という作品では、ある言葉を繰り返し唱えるようプログラムされたロボットが、自分自身が唱える言葉によってプログラムにない行動に出る姿が描かれます。

言葉によって機能が変わる。言葉によって心が変わる。

ならば、言葉では言えない大切なことをロボットが理解できる日も…?

第4巻ではそのあたりを読みたいですが、どんな傑作が待ってるんでしょう。


続きの記事
宇宙の片すみ清掃社に教えられたこと(『機械仕掛けの愛』第6巻より)





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